“円安・株高”と“量的金融緩和政策”というかけ声がまだ続いています。いっこうに効果は見られませんが、どこか間違っているのではないだろうか……そう疑問に思う人にはぜひ呼んで欲しい1冊です。
まずこのように問題を立ててみます。「デフレが日本経済の問題」なのか、と。
──しばしば、「デフレが日本経済の問題だ」とされる。つまり、財やサービスの価格が低下するのが問題というわけだ。しかし、仮に所得が下落せずに価格だけが下がるのであれば、実質所得は増加するのだから、なんら問題とする必要がない。むしろ、それは望ましいことである。問題は(略)所得が下がったことなのである。つまり、デフレが問題なのではなく、賃金の低下が問題なのだ。──
「デフレが問題なのではなく、賃金の低下が問題なのだ」と本来の問題点を挙げた上で、デフレに関する典型的な誤解を解いていきます。典型的な間違いとして「デフレスパイラル論」が取り上げられています。
──これは、2つの点で誤りを犯している。第1は、「製品価格が下がるから賃金が下がる」という点だ。仮にそうなら、製品価格の低下が著しい製造業の賃金が下がり、価格が上昇してきたサービス業の賃金が上がるはずである。しかし、実際には(略)正反対のことが起きているのだ。すなわち、価格低下が著しい製造業の賃金が上昇し、価格が上昇してきたサービス業の賃金が低下している。第2は、「消費需要が減少するから価格が下がる」という点だ。(略)リーマン・ショック直後、消費者物価指数は、需要の変動とほぼ逆向きに変動した。消費者物価は、需要ではなく、新興国の工業製品価格や原油価格のような供給面の要因によって動かされているのだ。──
つまり「デフレが問題ではない」というのが野口さんの考えです。私たちは見当違いな政策のもとに置かれているのです。「本当の目的である『賃金下落からの脱却』は、『デフレからの脱却』によっては実現できない」という厳然たる事実から目をそらさせているのが「デフレ悪役論」なのです。
「デフレ悪役論」を疑わないように、なぜ誰も「インフレ(ターゲット)善玉論」を疑わないのでしょうか。
──「デフレからの脱却が日本経済の課題」という大合唱があるなかで「インフレこそが恐ろしい」と言えば、なんたる見当違い」と思われるだろう。──
本当にインフレを望んでいいのか、単にデフレ=悪という言辞に踊らされいるだけではないのか……。さらにインフレターゲット論で言えば、なぜインフレをコントロールできると思っているのか。これらも問題です。
なぜデフレ脱却にこれほど困難なのに、インフレは制御できると思っているのでしょうか。
「賃金の低下が問題」なのに、実質賃金が下がるインフレを待望するのは正しいのでしょうか?
──デフレと円高が日本経済を停滞させると言う人が多い。しかし、本当に恐ろしいのは、インフレと円安なのである。デフレと円高は、世界的な大変化に対応してビジネスモデルを変更できない企業にとっては問題だが、消費者にとっては困ったことではない。──
インフレを待望するのは国庫と大企業ではないかという問いかけです。さらに、野口さんはここで「インフレ税」ということを取り上げています。
──インフレが起きると、人々の実質所得が低下する。また、預金などの実質価値も低下する。したがって、人々の実質所得は減少する。他方で、国債の実質金利はインフレによって減少する。したがって、家計から国に所得が移転されたのと同じことになるのである。このため、税とインフレは、経済的には同じものなのだ。ただし、政治的にはインフレのほうがはるかに容易である。──
「インフレは最も過酷な税」ということを私たちは知っておく必要があります。
──「インフレ税」は、拒否できないという意味で過酷な税であるばかりでなく、きわめて不公平な税である。税負担が公平の原則とは無関係に生じるからだ。まず、物価上昇による実質所得減は、低所得者に対しても情け容赦なく襲いかかる。裕福な人は贅沢を切り詰めれば済むが、最低生活水準の家計は生存を脅かされる。また、定期預金のような名目資産を持つ人に重くかかり、不動産のような実物資産にはかからない(むしろ利益をもたらす可能性もある)。──
インフレを“目標”とすることが本当に正しいのでしょうか? 実質所得の上昇こそが“目標”であり“目的”であるはずです。これがかなわない“成長”は無意味なのです。
また、このインフレ待望論(?)とともに語られる“円安”というものの誤りについても野口さんはこう述べています。「円安政策によって、旧体制が温存された」と。
──マーケットは条件変化への対応を求める。日本では、それを政策が抑えたのだ。そして、旧来型の輸出産業を延命させた。このため、産業構造が世界経済の変化に対応して変わることがなかったのだ。──
貿易収支が黒字の場合は円安効果があります。けれど赤字になると……、
──これまでの日本の株式市場では、円高になると株価が下がり、円安になると株価が上昇した。それは、営業利益が円高で減り、円安で増大すると考えられたためだ。たしかに、貿易収支が黒字の場合はそうなる。しかし、貿易収支が赤字の場合には、それが逆になるのである。円安による輸出額の増加より、輸入原材料額の増加のほうが大きくなるからだ。(略)これまでの日本では、金融緩和をすれば円安になり、これが企業の利益を全体として増やすと考えられたので、歓迎された。しかし、今後はそれが逆になるのだ。──
傾聴すべき見解です。これが『変わった世界と変わらない日本』がもたらすこれからの姿です。
さらに構造改革を主導した小泉内閣へこう批判の目を向けます。「経済問題に関するかぎり、小泉政権は改革を行ったのではなく、まったく逆に、古い産業と旧体制を温存したのだ」と。“既成”も“規制”も少しも改革(開放)されませんでした。旧態依然たる経済構造が温存されたのです。格差拡大の根もここにあるのかもしれません。
この構造改革と称されたものの実態の分析はきわめて興味深いものです。この分析に基づいて野口さんはアベノミクスをこう断じています。
──アベノミクスの真の問題は、株価を上昇させただけで、実体経済を改善しなかったことにある。円高が進み株価が高騰したにもかかわらず、実体経済の動向ははかばかしくない。とりわけ重要なのは、賃金や設備投資が反応していないことだ。──
株価についても年金機構が大幅に株に投資していることが明らかになりました。官製相場を作っているともいえる“政治的行動”です。株価が経済の安定や成長や実体を反映しているとは言いがたいのです。
今の日本の状況はなにか表面を糊塗することだけに躍起になっているように思えます。この本はそんな日本のメッキを剥がす痛快な1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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