『天空の城ラピュタ』は、スタジオジブリが手掛けた初めての作品です。1986年8月2日、いまから約30年前に劇場公開されました(1984年公開の『風の谷のナウシカ』はトップクラフト制作)。
その当時、宮崎駿監督は、業界人やアニメ好きなど、知る人ぞ知る有名人でしかなかったそうです。産声を上げたばかりのスタジオジブリは、名前を知っている人の方が珍しかった。そこから始まり、いまや宮崎駿、スタジオジブリを知らない日本人の方が、マイノリティという時代です。
『ラピュタ』に関しては、ネットでの「バルス祭り」が大盛況。実は僕も、今年1月の放送時に、Twitterで呟いています。あれはとても楽しかったなあ(笑)。なんなんでしょう、あの変な高揚感は。
とにかくそれぐらい僕にとって『ラピュタ』は思い入れの強い作品です。ジブリ作品中、あえて一番をつけるなら、絶対に『ラピュタ』。これは昔からずーっとです。
ゲーテは「いつも変わらなくてこそ、ほんとの愛だ。一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ」(『ゲーテ格言集』新潮文庫)と言っていますが、もうそれだと思ってます。
しかし、そんなにも溺愛しているのに、僕は『ラピュタ』の関連書籍に手を出したことがない。アニメが面白ければそれで充分。関連書籍には興味がないんですよ、というのが本音でした。これからもそのつもりだったのに、ふと気になって手に取ったのが本書でした。
『もうひとつの「バルス」-宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-』
何せ「バルス」ですから。もう何ヵ月も前の出来事とはいえ、Twitterでお祭りに参加したので余計に気になったのかも。
さらには、著者に惹かれました。著者の木原浩勝さんは、かつてスタジオジブリで制作進行を担当されていた方です。当時のジブリ関係者だからこそ書ける創作秘話が次々と出てくる本書は、読んでいて本当に楽しかった。それは僕が『ラピュタ』のファンだからでもあり、この本が木原さんの青春小説的な一面を兼ね備えていたからかもしれません。著者本人にそういうつもりがあったのかどうかはわかりませんが、僕はそんなふうに読みました。
ジブリに入社するまでの道のり。入社後の、宮崎さんたちスタッフとの思い出。いまは亡き金田伊功(かなだ・よしのり)さん、飯田つとむ(飯田馬之介)さんら、著名なアニメ関係者の名前が出てきただけで、うるっとくるファンも多いはずです。
第14章「落涙」では、うるっとくるどころか、僕はもらい泣きしてしまいました。初号試写で木原さんがいつの間にか泣いていた、という短い逸話です。この14章は、エピローグ手前の章。作品が仕上がるまでの苦労や笑い話、表題の「もうひとつのバルス」が描かれたラフコンテのエピソードなど、ここまでにたくさん出てきます。そうした出来事を脳内で疑似体験してきた。だからこそ、もしかしたら自分もスタッフのひとりになれたかのような気分で、堪えきれずに泣いたのかもしれません。
もちろん僕は『ラピュタ』に関してどこまでも「お客さん」です。お客さんで本当によかった。心底そう思っています。
制作当時、「この作品は失敗できないんですよ」と宮崎さんは何度も口にしていたそうです。それだけ緊張感に満ち、疲労困憊のなか、差し迫るスケジュールに忙殺されていた木原さんたちのことを思うと、自分もスタッフのような、なんて勘違いもいいところ。
しかしそれとわかっていて、不朽の名作(この賞賛がここまでしっくりくる作品も珍しい)『ラピュタ』との距離が、僕の中でわずかばかり縮まったのも事実でした。次は、これまでとは違った心境で『ラピュタ』を観ることができるかもしれない。少なくとも、本書で知りえた逸話をいくつか思い出すはずです。物語の流れとは関係なく、勝手にまたもらい泣きしているかも……。この本を読んでいると、一度ならず二度三度とそんな気持ちにさせられるのでした。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。