日本の国土は南北に細長く、周囲を海に囲まれています。その絶妙な地理のおかげで季節ごとにさまざまな気象現象がありますが、地方によってその特色もさまざまです。
天気そのものを表したり、気象現象の特徴を描写することばが、日本語にはとても多いことにお気づきでしょうか。そのどれもが美しい響きを持っており、先人たちが気象現象を利用して生活を営む以外にも、感性豊かな表現を楽しみ、それを子々孫々に伝えてくれていたことが分かります。
雨にまつわることばを集め、発売直後からメディアで話題となった『雨のことば辞典』があります。「読んで面白い辞書」としてロングセラーになりましたが、今回はその姉妹書として出版された、『風と雲のことば辞典』を紹介します。
風を表すことばの例~「花散らし」の意味は近年は変化した!?
風を表すことばにはどのようなものがあるでしょうか。たとえば、季節ごとに吹く風にはさまざまな名称がありますが、それらは俳句の季語であることも多く、季節を代表することばとしての情緒的で圧倒的な存在感を私たちに与えてくれます。
このほかに、たとえば私たちはよく「波風が立つ」とか「風向きが変わった」など、物事の様子や雰囲気を表すのに「風」という表現を使います。
風とは単なる空気が移動する現象を指すだけではなく、自分の身に感じられる周囲の様子や、世の中やものごとのありさまを表したり、習わしを指したりもする、とても豊かな意味を持つことばなのです。
実際にその例をいくつか見てみましょう。
風薫る《かぜかおる》
初夏の爽やかな風が吹くさま。新緑や水の上をわたる風が、匂うように爽やかに感じられるのをいう。夏の季語。
風の吹き回し《かぜのふきまわし》
そのときの成り行き次第で、気持ちなどが影響を受けることのたとえ。物のはずみ。「どうした風の吹き回しか、今日はご機嫌がすこぶる悪い」などと使う。
風を切る《かぜをきる》
風上に向かって勢いよく進む。「肩で風を切って歩く」「矢が風を切って飛ぶ」。
風を食らう《かぜをくらう》
劣勢を予知してすばやく逃げる。「風を食らって逐電した」。
鎌鼬《かまいたち》
野良などで「つむじ風」にあたった直後、頬や脛《はぎ》に鎌で斬ったような切り傷を受けていることがある。痛みも出血もなく、古くはつむじ風に乗ってやってきた幼獣の〈鎌鼬〉の仕業だと信じられていた。が、実際はつむじ風による瞬間的な真空状態によって皮膚が裂けたものだと説明されている。新潟・長野・飛騨地方など各地に言い伝えがあり、「風神」が太刀を構える「構太刀《かまえたち》」に由来する名称だという説もある。「鎌風」も同じ。冬の季語。
神渡し《かみわたし》
出雲大社に集まる神々を渡し送る風という意味で、旧暦10月に吹く西風をいう。伊豆、鳥羽地方の漁業者の間の船詞《ふなことば》(航海用語)からという。「神立風《かみたつかぜ》」とも。冬の季語。
瑞風《ずいふう》
めでたい風。また能楽の世界ですばらしい芸風をいう。一方JR西日本では「瑞風《みずかぜ》」と読み、みずみずしい風、豊葦原《とよあしはら》の「瑞穂の国」に吹く吉兆を表す風だとして、2017年春から京阪神と山陰・山陽エリアを結んで走る新トワイライトエクスプレスの名前に採用している。
花散らし《はなちらし》
以前は花見のあとの宴会のことをいったが、近年は花を吹き散らす強風のことをいう。長崎県壱岐地方には「花散らし」という野遊びの行事がある。旧暦の3月4日の風の強い日に磯野出て、凧揚げをして重ね弁当を食べるのだという。春の季語。
雲を表すことばの例~「雲行き」が表すふたつの意味
雲に関係することばにはどんなものがあるでしょうか。気象現象以外でわたしたちが日常でよく使うことばに、「暗雲が立ちこめる」「霧散する」などといった、少し不穏で残念な状況を指すものが多いかもしれません。
ちなみに、霧や霞は雲と本質的には同じもので、地上からの距離や目視可能な範囲によって呼称が変わります。雲も霧も霞も、人間の心の迷いや不安などを表したり、目の前が見えづらい状態や、先行きの見えなさ、心もとなさを表すことが多いようです。
いっぽうで、水墨画のようなしっとりとした、落ち着いた雰囲気を醸し出すことばや、神秘的で荘厳な印象を与えることばもあり、多彩な用例に驚くことでしょう。
寒雲《かんうん》
冬空に寒々と垂れこめた雲。また、冬の青空に現れては消える凍ったような白雲。「凍雲《いてぐも》」ともいう。冬の季語。
雲に梯《くもにかけはし》
とても叶わぬ高い望み。特に身分違いの恋についていう。
雲行き《くもゆき》
雲が動いていくようす。転じて、成り行き、情勢。「雲行きが怪しい」といえば、天気がくずれそうだということだが、悪いことが起こりそうだという意味にも使う。
卿雲《けいうん》
太平の世に現れるという、美しくめでたい雲。字書に「卿雲爛《らん》たり、礼(糺)漫漫たり」、卿雲が明るく美しい紫の光を曳いてどこまでも輝きめぐっている、と(『大字典』)。「慶雲」「景雲」とも書き、「きょううん」とも読む。「瑞雲」も同意。
東雲《しののめ》
夜明けがた、東の空にかかる雲。もともとは「篠の目」と書き、篠竹を編んで造った古代住居の明かり取りのことを意味したと辞書はいう。夜明けの光に明るむ篠竹の目が転じて、朝の薄明かりを指すようになり、さらに夜明けそのもの、朝ぼらけの雲を意味するようになった、と。
瑞煙《ずいえん》
「煙」は雲や霧の意で、山水に雲や霧が煙るようにかかっているめでたい光景をいう。「瑞烟」とも書く。
鳥雲《ちょううん》
小鳥が空をおおうように大群をなして飛び、雲のように見えること。秋の季語。
初霞《はつがすみ》
新春の野山、また里にたなびく霞。「新霞《にいがすみ》」ともいう。新年の季語。
知識の探求はもちろん手紙などの言い回しにも
本書『風と雲のことば辞典』は、「風」にまつわることば1040語と、「雲」にまつわることば611語を収録しています。いま紹介した以外でも、こうした風や雲がある場合には晴れる/雨が降るなどといった風や雲から読む天気の言い伝え、最新の観測技術から分かった気象現象の解説なども収録しており、読めば読むほど知識が深くなっていくことでしょう。
知識の探求にもちろん最適の1冊ですが、たとえばちょっとしたメールのやりとりにも、こうした天気を表す粋なことばで相手を気遣ってみてはいかがでしょう。なかなか直筆で文書のやりとりをする機会はなくなってきましたが、これからの季節では年賀状などに一筆、風と雲のことばを使って新年の慶びを伝えるのもオツだと思いませんか?