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2016.10.27

インタビュー

史上初めて“中華皇帝と離婚”した妃が語る──「蒼穹の昴」シリーズ最新作!

1996年に刊行され、一躍ベストセラーとなった『蒼穹の昴』。つづく『珍妃の井戸』、『中原の虹』、『マンチュリアン・リポート』と中国近現代史を圧倒的な面白さで描き、累計500万部を突破したシリーズが20周年を迎える。最新作『天子蒙塵』刊行を記念し、スペシャルインタビューをお届けします。

原点は漢詩との出会い

──浅田さんが描き続けてきた激動の近世中国をテーマにした小説群は、いまでは壮大な歴史エンターテインメントとして人気を博しています。その嚆矢ともいうべき『蒼穹の昴』が刊行されて20年ということもあり、改めて本シリーズの誕生についてうかがいたいのですが。

浅田 『蒼穹の昴』は書き下ろしで1800枚の小説です。皆さんご覧になったことはないと思いますが、手書き原稿1800枚って、人間は持ち運べません。腰痛めます(笑)。それで、当時は婦人服の販売をやっていたので、営業のワゴン車で講談社まで運び、台車に原稿を載せて、昔の講談社の本館の入口までゴロゴロと押して行った。入館手続きをしようとしたら守衛さんに「納品は裏にまわって」っていわれて。納品? 出入りの業者か何かかと思われたんでしょうね。ま、納品といわれれば納品には違いないかと、納得して裏から入ったんですけど、すれ違う人がみんなじろじろ見て通り過ぎて行くんですよ。

あとで気がついたんですが、20年前の当時すでに原稿執筆はワープロやパソコンが主流で、手書き原稿なんて出版社の社内でも珍しい存在になっていたんですね。

──『蒼穹の昴』は清朝末期を舞台としていますが、この時代の中国を書こうと思われた動機を教えてください。

浅田 私が生まれて初めて衝撃を受けた文学体験が“中国”なんです。中学1年になって授業で漢詩を習いましたが、そのとき「世の中にこんな美しい文学があるのか」と感激したんです。

それで図書館に通いつめて中国関連の書物を読みあさったんですが、そのなかに、当時、京都大学の現役教授だった宮崎市定先生の著作がありました。これがまたすばらしかった。昔の学者は文章がうまいものだからその文章に魅了されてしまって、小説を読むより面白かった。私が初めて買った全集は、鷗外でも漱石でも谷崎でもなく、古本屋で見つけた『宮崎市定全集』でした。

宮崎先生の専門分野は近世中国、つまり明代と清代における科挙制度と官僚システムでした。だから自然にこうしたことに興味がうまれましたし、その面白さにすっかりはまってしまいました。宮崎先生の著作を読みながら『儒林外史』(呉敬梓)も読んだなあ。これは科挙について書かれた有名な小説ですが。

いずれにしても、私が中国史の中でもとりわけ清朝に対して魅力を感じ、『蒼穹の昴』の執筆にもっとも大きな影響を与えたのは宮崎先生の著作だったということは間違いありません。

──『蒼穹の昴』の刊行は1996年です。漢詩との出会いを原点とするならおよそ30年後になります。このタイミングになったのには理由があるのですか。

浅田 史料を渉猟しようと思ったらきりがない。充分な知識を備えてから書こうなんて思っていたらいつまでたっても書けるわけがないんです。そこで「書くのは今だ!」と思う瞬間があるのですが、『蒼穹の昴』に関しては、主人公が春児(チュンル)というかわいらしい少年だったことが“そのとき”をもたらしたんだと思います。

この作品は構想に一年、原稿執筆に半年をかけました。つまり書くことを決心したのは、私が40を少し過ぎたころになります。男性は誰でもその身の内に「少年」を宿しているものだけれど、年齢が加わるとともにどんどんその気持ちが消えていくんですね。当時の私にはかろうじてその残滓があった。主人公の春児を描くにはそのときを逸してはならないと考えたんです。実際、あれから20年を経た現在、同じように春児を書けといわれても不可能だと思います。

ところで少し話はかわりますが、多くの方は、小説家は文章を書くのが仕事だと思ってらっしゃる。しかし先ほど「構想一年、執筆半年」といいました。つまり何も書かずにもんもんと考えている時間の方がずっと長いんです。私なんか家人に「ぼうっとしてないで宅配便が来たら受け取って下さいね」なんていわれちゃうんですが、それは違うということは理解していただきたい(笑)。

──なるほど(笑)。作品が浅田さんの深い思索の賜物であることは、読者にも充分伝わっていると思います。

第五部『天子蒙塵』スタート

──そんな本シリーズも、いよいよ『天子蒙塵』(第一巻・10月刊行、第二巻12月刊行予定)で新展開を迎えます。まずタイトルの意味を教えてください。

浅田 これは紀元前、春秋時代の史料『春秋左氏伝』に出て来る言葉です。「天子塵を外に蒙る」。天子、つまり王がほこりまみれになって逃げるという、大変な異常事態を表しています。実は『蒼穹の昴』を書いたときに、すでにこの“蒙塵”のイメージが頭の片隅にあって、「“蒙塵”する人生とは」という問いかけは、シリーズに通底するテーマだと思っています。

──今回は溥儀(プーイー)と張学良(チャンシュエリャン)という二人の若き王に焦点を当てています。

浅田 溥儀は3回即位して3回退位した歴史上ただ一人の王です。“蒙塵”しまくっているんですね。27歳で満州における全権力を継承した張学良も領地を追い出されて“蒙塵”します。

──冒頭のシーンも“蒙塵”と呼べるものですね。国を追われた張学良がコンテ・ロッソ号でイタリアへと航海します。

浅田 居場所を奪われた張学良は船でイタリアへ向かうわけですが、あのシーンは取材旅行で訪れたヴェネツィアでひらめきました。「海洋史博物館」に行った際に目にとまったのが、豪華客船コンテ・ヴェルデ号の模型です。コンテ・ロッソ号ではなかったけれど、同型艦の精密な模型があった。

──取材旅行では船が実際に着岸した場所にも行かれたそうですが、冒頭のシーンの源泉になったのは模型の方だったんですね。

浅田 船着き場では具体的なイメージは湧いてこなかった。冒頭のシーンどころか、小説の全体像すら見えてこない。これは弱ったなあと思いつつ、旅の最後の最後に寄った「海洋史博物館」であの模型を見た瞬間、コンテ・ヴェルデ号はコンテ・ロッソ号になり、私は小さな小さな張学良になって船のデッキに転がり込んだ。このとき物語のすべてができ上がった気がしました。やっぱり小説の神様は降りて来てくれたんだなと……。小説を書くためには膨大な情報を自身の中に集積します。しかしそれらを再構築してアウトプットするだけでは小説は成立しません。イメージが降りて来る瞬間、それがあってこそ娯楽小説は娯楽小説たりえると思います。

最後の皇帝・溥儀の離婚劇

──もうひとりの主人公・溥儀は映画「ラストエンペラー」(1987年公開)で主人公として描かれた事でも有名ですね。

浅田 映画の原作となった溥儀の自伝『わが半生』(ちくま文庫)は、映画がつくられるずっと前、私が二十歳のころには読んでいました。中国共産党が書かせた自己批判の書であるし、矛盾する記述もあるんだけど、第一級の史料であることに疑う余地はありません。なによりも溥儀の人生がドラマチックで、世の中にこんなに面白い物語があるのかと思いました。本がボロボロになるくらいに読み込んだのを覚えています。

──小説では、溥儀について側妃の文繍(ウェンシウ)が語るという設定です。彼女の視点で溥儀を描くというのも新鮮に感じました。

浅田 溥儀の妃には正妃の婉容(ワンロン)と側妃の文繍がいました。溥儀は男として不能だったから、事実上の夫婦関係はありません。その場合、彼ら三人の関係をどう呼べばいいのか。結局「家族」としかいいようがないんですね。文繍は歴史上初めて、そして唯一中華皇帝と離婚した皇妃です。私はこの離婚劇を書きたかった。「家族」とは何なのか、彼女が追い求めたものとは何だったのか。そして溥儀は彼女にとって何者だったか。

──12月に刊行される第二巻には、『中原の虹』中でも読者に圧倒的な人気があった張作霖(チャンヅォリン)の側近、馬占山(マーチャンシャン)が登場します。とても魅力的な馬賊です。

浅田 これも二十歳ころの読書体験で、中国関連の本を片っ端から読んでいたころ、朽木寒三さんが書いた『馬賊戦記』(徳間文庫)という本に出会いました。これが抜群に面白くて、一章を読んだとたんに馬賊にハマった。若い頃は死ぬことなんて意識しないから、血沸き肉躍る決死の冒険譚なんかに憧れるわけですよ。それから馬賊というものをいろいろ調べるようになった。渡辺龍策さんの『馬賊頭目列伝』(徳間文庫)とか……。

馬占山は馬賊の中の馬賊みたいな男で、いろいろな史料に登場するんです。いわゆる侠客ですね。実は義侠的な精神というのは日本で始まったものではなく、中国には昔からあったんです。馬賊のつながりというのは、日本のヤクザの親分子分のつながりと似ている。義侠であることが馬賊の証しみたいなもので、そういうものが純粋培養されてできたのが馬占山という男のイメージです。

とはいえ、馬賊の存在自体は、日本の幕末期における新選組みたいなもので、大局的にはそれがなくても歴史は成立するんです。でも小説家としては、正史に登場する人物より、馬賊や新選組みたいな草莽(そうもう)の群像に惹かれてしまうんですよね。

──物語の本筋とは関係がないのですが、麻雀牌の一索(イーソウ)がなぜクジャクのデザインなのかという記述があり、雑学としても面白く読ませていただきました。

浅田 あれはちゃんとした出典があるわけじゃないんです。若い頃に出入りしていた雀荘に人呼んで“物知りじじい”というおじいさんがいたんです。「白は“おしろい”、中は“口紅”、發は“緑なす黒髪”」とかね、麻雀ウンチクをとうとうと語る生き字引みたいな人で、その人から聞いた話なんです。でもなぜそんな話をいまだに覚えているのかが不思議ですよね。「何十年後かにお前はこんな小説を書くんだから覚えておきなさい」と聞かせてくれたみたい。だから、白太太(パイタイタイ)みたいな人って実在するんだなあって思います(笑)。

これからの読みどころ

──『天子蒙塵』は「小説現代」で今も連載中ですが、これからの読みどころを教えてください。

浅田 流浪してゆく二人の「王様」を描いていきますが、話は満洲国の成立と、満洲国に翻弄されていく溥儀というのが一つの形となり、もう一つの形として、張学良はその後、西安事件というものに向かってどのように進んでいくのか、というのがあります。

今作で西安事件までを扱えるのかはわかりませんが、これは中国と日本、ひいては世界の運命を決定した大事件ですね。西安事件に対して、必ずしも肯定的でない人もいますが、考えればあそこで国共合作をされたというのは日本にとっては致命傷でした。あれで中国が手に負えなくなってしまった。あの事件がなければ、ちがう日本と中国の運命も、第二次世界大戦に突入しなかった可能性もあると思うんですけれど、ともかく日本にとっても中国にとっても決定的な出来事だった。その意味で張学良は日本にとってのキーパーソンでもあります。満洲事変後、不抵抗将軍と言われ、日本人がなめきっていたまさにその人によって日本は挫折するんです。

満洲国の繁栄と、その一方で起こる西安事件、そこに向かって話は進んでいきます。

──本シリーズでは全体をつなぐ重要なアイテムとして「龍玉(ロンユイ)」があります。それは 天命を持つ支配者だけが手にできるもので、その器にない者が触れると五体が砕け散るとされる神器ですね。この「龍玉」の行方も気になるところです。

浅田 「龍玉」はこのシリーズには欠くべからざるものです。エンターテインメント小説のグランドプランとしては核心といってもいい。

乾隆帝は「権力は虚しい」と感じ、子孫に同じ思いをさせまいと、偽物を作って本物を隠してしまう。その偽物づくりを命じられたのが宣教師のカスチリョーネです。彼は布教のためにイタリアからはるばる渡って来たのに、実際は植民地政策の先兵として派遣されたにすぎないことに気づく。そして神への反逆を決意し、運命に逆らうものの具体としてのニセ龍玉づくりを引き受けたわけです。

「運命に逆らってこそ人間」。カスチリョーネが到達したこの思想は、はからずも西太后(シータイホウ)も張作霖も共有しています。そしてそれは「龍玉」を発信源とする強力なメッセージでもあります。だからこのシリーズをじっくり読んでいただくと、何か得体の知れない力が湧いてくるはずです。今後も「龍玉」の行方に注目していただきたいですね。

浅田次郎(あさだ・じろう)

1951年東京都生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。2011年より日本ペンクラブ会長。2015年紫綬褒章受章。

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