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2016.01.18

レビュー

近代最悪の捏造「大逆事件」で冤罪、日本と63年闘った男

高知(土佐)には〝いごっそう〟という気風があります。〝快男児〟〝頑固で気骨のある男〟それに加えて〝酒豪〟も入った気質をいうそうです。この〝いごっそう〟は〝もっこす〟(肥後・熊本)、〝じょっぱり〟(津軽・青森)とならんで日本3大頑固のひとつに数えられています。鎌田さんがこの本で描いたのはこの〝いごっそう〟を地でいった男、坂本清馬の半生です。

清馬が巻き込まれたのは近代日本最大の暗黒裁判「大逆事件」でした。大逆事件とは1910年(明治43年)、明治天皇暗殺計画があったとして幸徳秋水ら26名が逮捕、起訴された事件です。社会運動家だけでなく森鷗外や石川啄木、永井荷風、徳冨蘆花など多くの文学者を含む日本国中に大きなショックを与えました。事件は1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決が言い渡され、1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童らが、1月25日に管野須賀子の死刑が執行されました。特赦で無期刑となったのが坂本清馬ら12名、2名が有期刑となりました。

この大逆事件は明治政府が主導したフレームアップ(でっち上げ)事件だったということは今ではよく知られています。それどころか事件後、10余年のちの「一九二八年の九月、小松松吉検事総長が、思想係検事会で講演した秘密速記録」にこのような言葉が残されています。「証拠は薄弱だが、関係ないはずがない」「不逞(ふてい)の共産主義者を尽(ことごと)く検挙しようと云ふことに決定した」。さらには「邪推と云へば邪推の認定」だが「有史以来の大事件であるから、法律を超越して処分しなければならぬ、司法官たる者は此の際区々たる訴訟手続などに拘泥(こうでい)すべきでないと云ふ意見が政府部内にあった」と。法治国家の根幹を司法行政が無視したものだったのです。

清馬は暗殺計画の密議に加わったどころかまったくこの事件に無関係でした。たしかに幸徳秋水に心酔し、2年ほどは書生にもなっていました。幸徳の身代わりとしてクロポトキンの著作『麺麭(パン)の略取』の出版名義人となったこともありました。けれど大逆事件の1年ほど前に幸徳と衝突し、激昂のあまり飛び出していたのです。「貴様(幸徳)が革命をやるかおれがやるか、競争するぞ。こんな所におれはいられない」という激しい言葉を残して。この清馬の言動には、直情径行、いごっそうの面目躍如たるところがあります。

九州などを放浪後、東京に戻った清馬は印刷工場に職を得ます。そして「秋水逮捕から二ヵ月近くたって」あろうことか「浮浪罪」という名目で拘引され、そのまま大逆事件の犯人として起訴されました。別件逮捕の上での起訴、冤罪以外のなにものでもありません。

「無期懲役が決まった瞬間から、いつか真実を明らかにしようという決意をかためた」清馬は獄中でも「癇(かん)が強く、厳格さを絵に描いたような、誇り高き清馬」として服役。言うべきことは言う、約束したことは何であり守り、誰であり守らせる、懲罰房に放りこまれても屈することなく、看守等におもねることなどみじんもない獄中生活を送ります。獄吏の理不尽さに怒り心頭に発して、司法大臣へ「こんな国に生きている価値を認めるわけにはいかない。私を殺すようにしたのは、あなただから、私を死刑に復(もど)せ」という上願書を出すほどでした。

無実を知りながらもそれを晴らすため、また秋水の無実を明らかにするためにも生き抜こうとした清馬の日々の記述は読む者の心に滲みてくるものがあります。「罪のないものをあると自覚することはできません。もしも、そのような阿(おもね)り諂(へつら)心がありましたなら、私は疾(と)うに賞票(善行表状)を与えられているはずです。私は今も昔も一個の信念を抱いて生活しているのです」と。

秋田監獄への収監、その後、故郷の高知刑務所へ移管され仮出獄になったのは逮捕から24年後の1935年、すでに日本は戦争への道をひた走っていました。「結局、無期懲役一二人のうち、清馬が最後まで獄中に残されていた」のです。獄中死したのは5人、うちふたりは自殺でした。

出獄後、清馬の冤罪は晴らすことができたのでしょうか。敗戦後の昭和22年に司法大臣より1通の文書が届きます。そこには「無期懲役の刑の言渡の効力を失はしめられる」というものでした。無罪の通知ではありません。「判決の効力が無くなった」というものでしかありません。政府は大逆事件へ曖昧な姿勢をとったのです。清馬の心にあったものは「長い冬は終わったのだ。だが、本当の春はまだやってこない。(略)私は未だ自分の無実のあかしを世界に立てていないのだから……」というものでした。

清馬の次の闘いが始まりました。再審請求への活動です。ここでも直情径行ぶりを象徴しているような行動がありました。天皇への直談判、マッカーサー元帥への働きかけなど、直接行動そのものでした。けれど再審請求は認められませんでした。「予審調書はデタラメだった、として再審を請求したのだが、裁判長はそのデタラメに依拠して請求を棄却した」のです。鎌田さんが記したように「責任逃れである」としか言いようがありません。

今年(2016年)は幸徳秋水たちの死刑執行、清馬の投獄から105年になります。89年の生涯のうち63年を冤罪の名の下に生きた男。「国権維持のためなら、人権など歯牙にもかけない」という暗黒裁判、国家による冤罪事件に「頑固な抵抗」を続けた清馬の一生は私たちにとても多くのことを教えてくれます。信念、思想、敬愛とはどのようなものをいうのかを含めて。そしていまだに冤罪が生まれ、政治のフレームアップが起きる時代に私たちは生きていることを改めて痛感させるものでした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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