下流老人化が進んでいるといわれる日本で、貧困・格差拡大は避けて通れぬ問題となっています。この格差の拡大を生み出している現象を〝マタイ効果〟というそうです。
「新約聖書の一節「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるだろう」(マタイ福音書13章12節)から名づけられた社会現象のことです。すなわち「マタイ効果」とは、「格差は自ら増長する傾向があり、最初の小さい格差は、次の格差を生み出し、しだいに大きな〈格差〉に変容する性質を指す」ものです。
さらに「重要なのはこの「マタイ効果」が社会に内在されている(略)社会の仕組み、ルールとして」存在しているということです。
格差拡大に聖書からの名がつけられているのも皮肉ですが、格差というものは単なる経済的な貧困だけではありません。社会的排除というものもそこにはあります。
社会の中で「居場所」や「役割」がなく他者との「つながり」がない状況、それが社会的排除です。この社会的排除は「誰か、または何かが、誰かに対して行う行為である。排除される側と排除する側がある」という面があります。これは間違いなく社会的な病理です。〝自己責任〟というものでは決してありません。貧困、格差という問題がややもすると〝自己責任〟という名のもとに、結果として弱者を切り捨てる強者の論理が持ち出されてきますが、それは間違いです。
社会的な病理である社会的排除には正しい〝処方箋〟が必要です。では日本の処方箋はどうなっているのでしょうか。
阿部さんは社会的排除ではなく社会的包摂ということを考える必要があるといっています。残念なことに、社会保険、公的扶助、就労支援を3本の柱としている日本の社会保障制度は、どれもが社会的包摂という視点からは不十分なものなのです。
「現在の社会保険制度は、すべての人がまっとうな職業に就いていたり、または、家族のセーフティーネットにより守られていることを前提としており、公的扶助制度は、最低生活は保障するものの、扶助を受けとることが排除につながる要素を持っており、そして、就労支援は、人々を労働市場に戻すことだけを目的としており、戻された労働市場での社会的包摂は問題視していないから」というものなのです。
なぜそうなっているのでしょうか。
「これらの政策が抱える問題の一つは、「出口」としての社会が変わらないところである。いくら就労支援をしても、こまめにサポートをしても、得られた就職が非正規で賃金も低く、自己の存在価値が認められたと感じさせるような仕事でなければ、結局のところ、何が改善されるのであろう。「出口」の先が、人々を戦々恐々とさせる格差社会であるなら、その人の真の社会的包摂は可能であろうか」と疑問を投げています。
確かに待っている社会がそのような不寛容な社会であるなら、少しも病理は治されていません。それどころか、病因を弱者に押し付けているものだとしか思えません。
阿部さんはこう鋭い指摘をしています。
「このような思考の問題点は、「解決」をすべて、貧困者に求めていることである。この考えには、彼らの生活困難はそもそも彼らが社会に貢献できるような労働市場における条件整備が出来ていないからであり、「改善」すべきなのは労働市場であり、社会であるという発想が欠けている」と。
ここにもまちがった〝自己責任論〟というものが顔を出しています。
そしてこの不寛容な社会に対し阿部さんは社会の〝ユニバーサル・デザイン〟を提唱します。「どのような人であっても、「居場所」「役割」「承認」の形態としての「就労」の選択肢が提示されなければならない。そしてその労働は、「生きがい」を感じる尊厳のあるものでなければならない」という社会を目指さなければならないと。
「社会の一員として、まっとうな生活ができない貧困、社会の一員として認められない社会的排除」、これが私たちの目の前に迫っている事態です。私たちが生きる社会はどのような社会であるべきか、それを考えなければならない時がきていることを痛感させられた一冊でした。
阿部さんは、イギリスの社会疫学者リチャード・ウィルキンソン教授が指摘した格差拡大が引き起こす社会的病理についての一文を紹介しています。
「格差が大きい国や地域に住むと、格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく、格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり、格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることとなる。人々は攻撃的になり、信頼感が損なわれ、差別が助長され、コミュニティや社会のつながりは弱くなる。強いストレスにさらされ続けた人々は、その結果として健康を害したり、死亡率さえも高くなったりする。これらの影響は、社会の底辺の人々のみならず、社会のどの階層の人々にも及ぶ」と。
さらには「格差の大きい社会ほど、自分より社会的地位の低い(と考えられている)人々を差別する傾向が強いという」のです。
これもまた私たちが心しなければならないことではないでしょうか。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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