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2016.09.08

インタビュー

【シリーズ500万部】『蒼穹の昴』から20年、待望の最新作──浅田次郎を直撃

シリーズ累計500万部超! 大ベストセラー『蒼穹の昴』(1996年)から20年。『珍妃の井戸』(1997年)、『中原の虹』(2006年)、『マンチュリアン・リポート』(2010年)に続くシリーズ最新作『天子蒙塵(てんしもうじん)』の刊行が、いよいよ10月から始まる。

「ラストエンペラー」として知られる溥儀(プーイー)と、満洲を制した馬賊・張作霖(チャンヅオリン)から権力を受け継いだ息子・張学良(チャンシュエリャン)。そして、溥儀の正妃・婉容(ワンロン)と側妃・ウェンシウ。数奇な運命をたどった人々の物語は、いかにして生まれたのか──。担当編集者の小林龍之と語る。

世にも稀なるドラマティックな人生

2016年10月26日発売予定 『天子蒙塵 第一巻』

小林 『蒼穹の昴』は清朝(1644~1912年)末期の物語。第9代皇帝妃・西太后(シータイホウ)が権力を握る宮廷が舞台でした。続く『珍妃の井戸』は1900年に起こった義和団の乱を扱い、『中原の虹』では清朝滅亡前後を背景にして馬賊・張作霖(チャンヅオリン)とその周辺を描き、『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件が軸になっています。そして、待望の新作『天子蒙塵』に続くわけですね。

浅田 今回は溥儀(プーイー)と張学良(チャンシュエリャン)という2人の若き王に焦点を当てています。この2人を通して、あの時代を描いてみよう、と。

小林 どのような気持ちで新作に臨まれたのでしょうか。

浅田 このシリーズは数十年にわたる私のライフワークであり、生活そのもの。新しいものを書き始めるからといって、特別な気構えはないんです。ただ粛々と書いていると言ったらいいでしょうか。

小林 またここへ戻ってきたという感じですか。

浅田 このシリーズを書いているときこそが私には日常で、心はむしろ休まっています。

小林 溥儀と張学良については、どのような人物とお考えですか?

浅田 いずれの人生も、アラビアンナイトの物語に加えても遜色のないような数奇な運命に彩られています。溥儀は3回即位して3回退位した歴史上ただ一人の王です。一方、父親の死を受け、27歳で満洲における全権力を継いだ張学良も、時代に翻弄された王ですね。そんなドラマティックな人生を描いています。

小林 「天子蒙塵」という言葉を初めて聞く人も多いと思いますが、どのような理由でタイトルにされたのでしょう。

浅田 紀元前、春秋時代の最古の史料『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』に出てくる言葉です。「天子塵(てんしちり)を于外(うがい)に蒙(こうむ)る」。天子、つまり王がほこりまみれになって逃げるという、大変な異常事態を表しています。実は『蒼穹の昴』を書いたときに、すでにこの蒙塵のイメージが頭の片隅にあったのですが、今回、溥儀は紫禁城を追われ、張学良も自分の領地を追い出されて、まさに蒙塵するんです。

小林 冒頭のシーンも蒙塵と呼べるものですね。イタリア船のコンテ・ロッソ号で、アラビア海を行く張学良の姿が描かれています。

浅田 居場所を奪われた張学良は、船でイタリアへ向かうわけですが、あのシーンは取材旅行で訪れたヴェネツィアでひらめきました。「海洋博物館」に行った際に目にとまったのが、豪華客船コンテ・ヴェルデ号の模型です。コンテ・ロッソ号ではなかったけれど、同型艦の精密な模型があった。

小林 取材旅行のときは、船が実際に着岸した場所にも行きましたが、冒頭のシーンの源泉になったのは模型のほうだったんですね(笑)。 

浅田 船着き場では、イメージできなかった。でも旅の最後に寄った「海洋博物館」で模型を見た瞬間に、私は小さな張学良になってコンテ・ロッソ号のデッキに転げ込んだんです。一瞬で物語のすべてが出来た気がしました。やっぱり小説の神様は降りてきてくれたんだな、と……。しかし、娯楽小説とはいえ、想像だけでは書けません。大切なのは、それまでにどれだけ資料を読み、かつ分析しているかです。イメージが降りてきたとき、それを正確にストーリーと結びつけるには、それだけの用意がないといけないんです。

それは壮大な物語の玄関に過ぎない

著者・浅田次郎

小林 浅田さんはこのシリーズを書き始めた頃から、張学良を非常に強く意識されていたんですよね。

浅田 当時はまだご存命中でしたしね。

小林 彼は1901年生まれで、2001年に亡くなっています。

浅田 晩年はハワイに住んでいらしたんです。あの頃、私は年に一度くらいハワイへ行っていたから、散歩に出てくるんじゃないかと、彼が住んでいたあたりをウロウロしたりした(笑)。結局会えなかったけれど。

小林 溥儀に関してはいかがですか。

浅田 やはり非常に思い入れがあります。溥儀の自伝『わが半生』は、映画『ラストエンペラー』が作られるずっと前、20歳の頃に私は読んで、世の中にこんなに面白い読み物があるのかと思ったんです。本がボロボロになるくらいに読みました。

小林 今回は溥儀について、側妃の文繡(ウェンシウ)が語るという設定になっています。彼女は歴史上初めて、そして唯一中華皇帝と離婚をした皇妃で、その視点で溥儀を描くというのも新鮮ですね。

浅田 この離婚劇を書きたかったんです。にっちもさっちも行かなくなった溥儀から逃れ、自由を求める文繡。では家族とは何なのか、自由とは何だろうと私も深く考えました。そして読者の皆さんには、運命に逆らおうとする人間たちの姿からも、何かを感じ取っていただきたい。

小林 『天子蒙塵』は10月発売の第一巻に続いて、12月には第二巻が刊行されます。どのような展開になるのでしょうか。

浅田 まだまだ続きます、ということだけは言っておきましょう(笑)。『蒼穹の昴』以降、私もこのシリーズとともにいくらか成長しておりますので、より良いものになっていくだろう、と。はっきり申し上げたいのは、『蒼穹の昴』で立ちどまってしまった読者は不幸だということです。あれは壮大な物語の玄関に過ぎないのですからね(笑)。

編集者・小林龍之

「義侠」の塊のような男

小林 ところで、文繡が離婚する一方で、正妃の婉容(ワンロン)は溥儀のもとに残り、それが対比になっています。

浅田 そもそも文繍と婉容は、どちらが皇后になるかが曖昧でした。家の格から言えば逆だったのだけれど、不思議なことに光緒帝(溥儀の前の皇帝)の妃である珍妃の姉が猛烈に婉容を推したそうです。

小林 溥儀と2人の妻の関係が非常にスリリングですね。

浅田 溥儀は夫として不能だったから、事実上の夫婦関係はありません。その場合、彼ら3人の関係はどうだったのか。結局、「家族」という言い方しかできないと思うんです。夫婦関係がないだけで、家族としての結束力はあった。「俺とあなた」ではなく、「俺たち」というような3人の関係です。文繡はそこから脱出するわけです。

小林 12月刊の第二巻では、張作霖の側近だった馬占山(マージャンシャン)という馬賊の男が、もうひとりの主役となります。ただひとり己を貫いて政権に反旗をひるがえし、歴史に抗い続ける彼の姿は、同じ男としてグッとくる格好よさがあります。

浅田 私には「中国」と名の付く本を片っ端から読んでいた時期があるのだけれど、朽木寒三さんが書いた『馬賊戦記』という本も20歳くらいの頃に読んでね。これが抜群に面白くて、一章を読んだとたんに馬賊にハマった。あの頃は自分が死ぬなんて怖くなかったから、血沸き肉躍る、そういう世界にものすごく憧れてね。それから馬賊というものをいろいろ調べるようになった。馬占山は馬賊中の馬賊みたいな存在で、どの史料にも登場するんですよ。ただ、馬賊の存在自体は、日本の幕末期における新選組みたいなもので、それがなくても歴史は成立する。正史にはあまり関係がない。

小林 新選組とは、わかりやすいたとえですね(笑)。張作霖も馬賊として凄いのですが、馬占山はなんというか、凄味が凝縮されているような感じがあります。

浅田 張作霖の世の中に対する恨みは、自分が貧乏だった恨みで、個人的なものではない。でも馬占山は自分の親を殺され、女房も死に、育て親も死んだ。恨みの塊みたいな人だったんです。

小林 そこも第二巻の読みどころですね。

浅田 いわゆる侠客です。実は義侠的な精神というのは日本で始まったものではなく、中国にはとっくの昔からあるんです。馬賊のつながりというのは、日本のヤクザの親分子分のつながりと似ている。義侠であることが馬賊の資格みたいなもので、そういうものの塊が馬占山なんじゃないでしょうか。

小林 『蒼穹の昴』シリーズ全体をつなぐ重要な存在として「龍玉(ロンユイ)」があります。龍玉は、中国を支配できる器の持ち主だけが手にするもので、資格のない者が手に取ると五体が砕け散るとされています。皇帝のいなくなった中国で、この龍玉を誰が手に入れるのかも、大いに気になるところですが、『天子蒙塵』の第一巻には張学良と蒋介石(ジャンジェシイ)の龍玉をめぐる緊迫したやりとりがありますね。第二巻以降はどうなるのでしょう。

浅田 龍玉はこのシリーズには欠くべからざるもの。ストーリーの核心であり、テーマそのものです。

小林 『蒼穹の昴』では、ある皇帝が「王であることに意味はない。天下は虚しい」と悟って龍玉を隠し、皇帝に仕えた宣教師が龍玉の偽物を造ります。

浅田 それは神への反逆と言ってもいい行為ですし、権力の虚しさを表してもいる。また、運命に逆らってこその人間ということを、龍玉に象徴させているのです。このシリーズをじっくり読んでいただくと、何か得体の知れぬ力が湧いてくるはずですが、それはグランドプランにこの龍玉があるからだと思います。第二巻以降もぜひ注目していただきたいですね。

浅田次郎(あさだ・じろう)

1951年東京都生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞などを受賞。2011年より日本ペンクラブ会長を務める。他の著書に『日輪の遺産』『シェエラザード』など。

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