デビューから6年。作家・塩田武士さんが満を持して発表した小説『罪の声』は、1984~1985年に起きた昭和最大の未解決事件のひとつ、グリコ・森永事件を題材にしている。完成するまでの“生みの苦しみ”を、担当編集者・戸井武史と語る。
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。新聞社に在職中の2010年に『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞して作家デビュー。他の著書に『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』がある。
着想を得たのは16年前、大学生のとき
戸井 塩田さんが小説を書き始めたのは、大学生の頃と聞いています。
塩田 関西の生まれだからか、高校時代は漫才がやりたくて、よく台本を書いていました。でも、すべりっ放しで(笑)。大学では漫才以外のエンターテインメントを目指そうと思い、劇団のワークショップに参加しながら脚本の勉強をしていた。そんなとき、藤原伊織さんの小説『テロリストのパラソル』に出会い、あまりに面白くて一気に読み終えたんです。その日から小説を書き始めました。
戸井 今回の『罪の声』の着想を得たのも、同様に大学時代だったとか。
塩田 グリコ・森永事件が起こったのは僕が子供のときですが、警察が公開したキツネ目の男の似顔絵には強烈な印象がありました。事件当時、母親から「勝手にお菓子食べたらあかんで」と言われたことも、よく覚えています。でも、事件のことを詳しく知っているわけではなかった。大学の食堂で、たまたまグリコ・森永事件関連の本を読み、初めて犯行に「子供の声」が使われたことを知ったんです。
戸井 今回の作品の新しい点は、その子供に焦点が当てられているところですね。
塩田 とても大きな題材ですから、大学生の自分には書けるわけがないことはわかっていました。大学卒業後、僕は新聞記者になりましたが、作家になるための社会勉強をしたいという思いもあったんです。この小説のプロローグを思いついたのは、新聞記者になって警察回りをしていた頃です。
普通の生活を送っていた主人公が、ある日自宅で録音テープを見つけ、聴いてみると、子供の頃の自分の声が入っている。しかも、過去の凶悪事件で使われていた音声だと気づくんです。
戸井 でも、まだ書き始めるには至らない。
塩田 誰かがこのネタを思いついて、先に書いてしまうんじゃないかという恐怖がずっとありました。書きたいと思いながらも一向に書けない。違うものを書き続けて、2010年、僕が31歳のときに小説現代長編新人賞を受賞してデビューするに至りました。
「これ、どこまで本当なの?」
著者・塩田武士
戸井 ちょうどその年、僕は小説現代編集部に異動してきました。僕の先輩の塩見(篤史)が、塩田さんの担当になりましたが、塩見に連れられて僕もよく塩田さんと会っていたんでいよね。
塩田 デビュー当時からの付き合いですよね。戸井さんとは胸の内をさらけ出せる仲になりました。
戸井 いつも言いたいことを言い過ぎてしまって、すみません(笑)。
塩田 実は新人賞をいただいたとき、いよいよグリコ・森永事件について書けると思って、塩見さんにアイディアを話したんです。そうしたらズバッと言われました。「いまの塩田さんの筆力では書けません」って。ただし、「よそでは書かないでください、うちのネタです」とも言われて。
戸井 事件の当事者の多くが存命中に書くのは、相当難しいことですし、準備と覚悟が必要だと僕も思いました。
塩田 そして、「書くべきときがついに来た」と戸井さんに言われたのは、去年のあたま。僕の8作目の小説『拳に聞け!』を書き上げたあとでした。「これまでの8作で個人の人生が書ける作家であることはわかりました」と――。
戸井 「次は社会を書く段階ではないでしょうか」とお伝えしました。
塩田 でも、僕は断ってしまった。あれだけ書きたかったのに、もっと準備が必要なんじゃないかと恐くなったんです。
戸井 それで、もう一度お願いに行きました。
塩田 今度は僕も「書きます」と答えた。よく考えたら、自分にベストのタイミングでことに当たれるなんて、あまりない。背伸びの状態で何かをつかみとらなければいけないんじゃないかと思ったんです。
戸井 新人賞をとられた頃、塩田さんはまだ独身でしたが、その後結婚されて、娘さんが生まれたことも大きかったと思います。それがなかったら、この小説は絶対に生まれなかったなと。
塩田 そうですね。主人公は、子供の頃の自分の声が凶悪事件に利用されていたことを知り、その未解決事件を調べ始めるのですが、子供という宝物を、親が犯罪に使うことが僕には信じられなかった。怒りすら覚えました。そういう気持ちが芽生えたのも、子供が生まれたからです。
戸井 グリコ・森永事件の犯人は、ユーモアあふれる挑戦状を警察やマスコミに送りつけ、社会を翻弄して鮮やかに去ったため、義賊という印象がありますよね。
塩田 けれど、企業への脅迫状は、世間に公開されないことを見越していたからか、えげつない文言が並んでいる。彼らは義賊でもなんでもなく、目的は単なる金だったと僕は考えています。
戸井 塩田さんはこれまで、元新聞記者ならではの綿密な取材を基に小説を書かれてきましたが、実際の事件を題材にした作品は今回が初めてですね。
塩田 この『罪の声』は、発生日時や場所、挑戦状や脅迫状の文言、報道内容に関しては、史実通りに書いています。事件の現場をいくつも取材して、犯人の息遣いを感じ、ノンフィクションとフィクションの境をあえて曖昧にして書いていきました。
本作を読んだジャーナリストから電話をいただいたんですが、第一声が「これ、どこまで本当なの?」。僕は、取材の過程で作品に描いたような推理が成り立ったことを説明しましたが、その一方であの犯罪のあとには、いくつもの哀しい人生があったのではないかと思っています。とりわけ事件に利用された子供は、どのような人生を送ったのか……。そういうことに思いを馳せるところに、いまあの事件を取り上げることの意味があると思うのです。
「犯人を追いつめること」が目的ではない
編集者・戸井武史
戸井 また、今回の作品は、舞台をロンドンにまで広げたことで物語に幅が生まれました。
塩田 実際の犯人は、挑戦状に「ヨーロッパへ行く」と何度か書いていましたから。
戸井 塩田さんはロンドン取材にひとりで行かれて、その前に英検の資格も取っていましたね。これは僕に内緒で(笑)。
塩田 この小説のもうひとりの主人公が新聞記者で、英検の準一級を持っており、彼が取材でロンドンを訪れるという設定にしました。それで僕も準一級を取ってからロンドンに行った。そうしたら意外としゃべれないことが判明して(笑)、小説の中では、取材で聞くことを英文であらかじめ用意してロンドンを訪れたことにしたんです。
戸井 原稿の発表は「小説現代」の電子版での連載になりました。去年の秋から4ヵ月間連載していただきましたが、執筆中も取材が続きましたね。
塩田 連載が終わるまで、去年はほかの仕事はいっさいしないで、これ一本に集中しました。そうやってようやく連載原稿を書き終えたのですが、そこから単行本までがまた大変でした。
戸井 もともとグリコ・森永事件が発生した3月に、この本を出版することを目指していて、それで去年の年末に連載を終えたわけですが、その直後に「このままでは単行本には出来ない」と塩田さんにお伝えすることになりました。
塩田 あのときは戸井さんが何を言っているのか、全然わかりませんでした。僕はやりきったと思っているのに、もう一度書けと言われているようなものでしたから。しばらく口内炎が3つ以上できて、なかなか治りませんでした(笑)。
戸井 今年の1月下旬に、塩見と僕、そして僕の前に塩田さんを担当していた堀(彩子)の3人が、それぞれ、塩田さんの原稿に疑問点や注文を書き込んで、お渡ししました。3人というのは異例なことではありますが。
塩田 それぞれの指摘がひとつひとつ、グサグサ来ました。たとえば、イギリスのパートをかなり分厚く書いたのですが、堀さんから「紀行文ではないので、別の機会にどうぞ」なんて書き込みがあって(苦笑)。
でも、僕は敗北を認めなければなりませんでした。これはもう、直さなきゃだめだと自覚したんです。一方で、「きちんと書き直したら、これはめちゃくちゃいい作品になる!」という感覚がものすごくありました。
戸井 3人が意見すれば、塩田さんが混乱することはわかっていたんですが、それぞれに塩田さんに対する熱い思いがあったので、それをぶつけようと。
塩田 全員に指摘されたのは、「“テープの子供”について、もっと思考を深めて」ということ。結局僕は、主人公のひとりである彼の全パートを、「このシーンで得る情報」「心理描写」「背景説明」など最小単位にまで分解し、その表を床に並べて、「どこに無駄があり、何が足りないか」を毎日考え続けた。そうしてようやく答えを見つけました。連載時は、昭和の大事件の「犯人を追うこと」に囚われて「平成の小説家が書くべきはそこではない」「この事件の新しい視点とは『子供の人生』なんだ」という基本から離れてしまっていたんです。
その筋が見えてから、改稿は一気に進みました。事件を追う新聞記者と、過去に追われる“テープの子供”というコントラストが際立ち、後半の展開がさらに加速して物語が深まった。タイトルも『最果ての碑』から『罪の声』に変え、どの世代の人が読んでも楽しめる社会派エンターテインメント小説になったと思います。
戸井 読んでくれた方が皆、「面白い!」と感想をくれます。「日時・場所・体調にかかわらず、いつ読んでも面白いので、ぜひ読んでください」と自信を持って言える小説です。
塩田 難しい挑戦でしたが、イメージをはるかに超える小説に仕上がりました。いまは、新しい名刺を手に入れられたと思っていますが、さて、これからが大変だ……。