“戦前”とはどのような時代だったのか……政治・経済・国際情勢など、いわば大文字とでもいえるような分析・研究は(立脚点の違い、視点の違いはありますが)数多くあります。この本はそのような大文字ではなく、小文字のビビッドな生活情景・環境を、それもサラリーマン生活を中心に描いた世相史、民衆史とも呼べるものだと思います。
この本をなによりユニークにしているのは岩瀬さんが、
──戦前社会を現在とまったく継続性のない「別世界」扱いにするということは、やはり大きな間違いだろう。「別世界」扱いにするということは、好き勝手にイメージを描けるということにつながり、「戦前の人間は毅然としていた」とか「昔の学生は真剣に人生に向き合っていた」といった、いまひとつ根拠のわからない感覚的な言い分も鵜呑みにせざるをえないことになる。それを避けるためには、ミクロ情報を積み上げてみるしか解決策はない。──
というモチーフを徹底して追求したところにあります。
こうして描かれた“戦前”でサラリーマンはどのような位置にあったのでしょうか。まず、それまでのサラリーマン(ホワイトカラー)層は明治期の「立身出世のイメージ」もありエリートと見られていました。「大学を出て企業に入ること自体」がエリートの証だったのです。当時の日本はまだまだ農業国でした。「社会インフラや高等教育の普及という面」ではようやく発展途上国を脱したくらいでした。けれど都市部には大きな変化があらわれました。大量の勤め人が都市部(東京、大阪等)のオフィスに「郊外の自宅から通勤する」という、今に通じる風景が見られるようになったのです。と同時に「俸給生活者」「月給取り」といわれていたホワイトカラー層を「サラリーマン」と呼ぶことが定着するようになりました。それまでの「エリート」ではなく「大衆化」が始まったのです。
サラリーマンの生活、そのスタートが「月給100円」でした。現在の貨幣額に換算すると2000倍の20万円に相当するそうです。けれどそれがどれくらいの“実質”であったのかは、支出や物価等を考慮しないと簡単にはいえないと思います。岩瀬さんはこの“実質”についてさまざまな文献にあたって詳述しています。大臣、軍人、華族の所得も比較として取り上げられ、サラリーマン(大衆)の生活実感が手に取るようにわかります。ちなみに総理大臣は9600円(年俸)、大将で6600円(年俸、本俸)だそうです。
少し前までは“一億総中流社会日本”と呼ばれていたこともありました。この“戦前”では「中流階級の標準」は3000円(年収)と考えられていたそうです。
サラリーマンの大衆化は始まりましたがそれでも「就業人口の10%以下」(昭和4年の推計)でした。ではサラリーマンの「月給100円」以下の収入の人はどのような暮らしをしていたのでしょうか。ここには学歴・職歴差別に起因する格差社会があったのです。岩瀬さんはこう記しています。「財閥系企業の管理職は1万円以上の年収も珍しくなかった」ことに対比して……、
──雇い主が食事代など給料から差し引く習慣もあったから、未熟練労働者の極みである子供では(略)月の手取りは五円しかなかったケースもあったのだろう。月五円では、大卒初任給の十五分の一、中学卒の七分の一だ。──
戦前社会の経済の不安定はそのまま社会不安を醸成することになりました。「政府は貧困層が社会主義勢力に同調することになりより神経質」になる一方で「軍人や農民の国家社会主義的な動き」も盛んになっていったのです。
そしてそのような動きのなかで生まれたある“心情”についてとても興味深い指摘をしています。
──追い詰められた労働者の一部には「何かどーんと一発来ないか」という空気が広がった。昭和六年の満州事変はまさにそういう空気の中で起きたので、山本夏彦が言うように、「満州事変が起きて世の中が明るくなった」という受け止め方は、実際に一般社会にあったのだ。──
そして広がり続ける格差社会、その息苦しさを脱する道として「昭和維新」や「戦争」を待望する心理がうまれてきたのです。
──満州事変以降、生活の苦しいブルーカラー(つまり当時の日本の圧倒的多数)や就職に苦しむ学生は、「大陸雄飛」や「満州国」に突破口を見着けたような気分になり、軍部のやり放題も国家主義も積極的に受け入れていった。しかし、すでに会社に入っていた「恵まれた」ホワイトカラーはますますおとなしくなっていったように見える。かれらは最後まで何も言わず、戦争に暗黙の支持を与えたのだ。──
そのころの人々の姿をえぐった作家の広津和郎の文章が引用されています。
──インテリ及びサラリーマン層が、毎日毎日どんなに憂鬱な、未来のない、明日の事を考えても仕方がない、考えても解らない、だから考えずに、その日その日を唯送って行くと云った気分で生きている。(略)たまたまファシズムの台頭が問題になって来る。それに向かって歓声を挙げるものが、この層の中に多い。彼等は立場なき彼等の現在が、何事か起って楽な方へ転換することを望むからである。(略)自分等に物に徹する力がないので、徹底的に権力を振るおうとするものが現れると、徹底的と、痛快味とによって、それを賛美する。併しそれが大したものでないと思えば、やがて尻尾を振るのを止めるだろう。そして某々の暗殺された事などを、自分等の代りにやってくれたものであるかのように痛快がる。──
痛切な言辞です。「戦前の普通の人たちには、軍部や右翼のテロが閉塞状況を打開するのを期待する心理」が確かにあったのです。けれど「ファシズム」は「楽な方へ転換」することはありませんでした。
批判を受け付けない権力者は「徹底的に権力を振る」い、開戦そして敗戦へと暴走していきました。この歴史は繰り返してはならないと思います。
戦争へいたる道も“戦前”の大きな歴史ですが、この本のユニークなところは、この破滅への道を歩んでいる中にもあった“日常”の描き出し方だと思います。衣・食・住はどのようであったのか。格差ある社会の中で、それぞれの層がどのように生活していたのかを所得(経済状況)の変遷ととも追求したところにあります。
生活の面でいえば意外なのは現在に較べて住環境のコストが低い事でしょうか。現在の土地・住宅環境が突出して戦前と較べて悪化していることがうかがえます。土地、不動産の急激な上昇は戦後の新しい現象だったのです。(ちなみに東京の目黒駅前の2階建ての家が1550円。高円寺の地価は坪29円で、現在では4万倍強の140万円ほどに上昇しているようです。他の物価に比べて20倍以上の上昇です)
岩瀬さんのいう「ミクロ情報」は着物と洋服の違いやタクシー運転手の生活、貧乏サラリーマンだった尉官クラスの軍人の生活(収入)ぶりを描いたところに際立ってこの本のユニークさがうかがえます。そして、大衆の生活の悲喜こもごもを手に取るように教えてくれたこの本ですが、最後はやはりこう結ばれています。
──戦前社会で経済的には比較的恵まれた位置にいた高学歴ホワイトカラーは、結局社会の矛盾からは目をそむけたまま動けなかった。だが、最終的には彼らも安全圏に居続けることはできず、徴兵されるなり空襲を受けるなりして戦争という大混乱に巻き込まれていった。──
「この本は昭和ヒトケタ世界のガイドブックのつもりで書いた。ガイドブックの常として、内容をどう活用するかは読者の判断に委ねたい」
この本自体が大きな教訓であることを痛感させるものでした。細やかな日々の暮らしを押し流すもの、それに目をそむけたままでいてはいけない、そのようなことをひとつの教訓として教えてくれるものでもありました。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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