とても刺激的な書名ですが、小林さんが自ら取材したことがらなので読むにつれて実に言い得て妙という感がします。
取り上げられたのは「反日デモの最前線」「中国一の金持ち村」「ワイロとニセモノ」「チベット族と漢族」「中国の臨時従業員」「中朝国境」の6件です(中国の臨時従業員とは毒ギョーザ事件のことです)。
中国では共産党の権力が強く、事実上の一党独裁であることはつとに知られています。では中国当局は不都合な海外メディアからの取材に対した時どうするのか……。権力を振りかざし中止させるわけにもいかず、彼らは「あなたの安全のため」という言葉で取材陣を都合の悪い場所から立ち退かせていくというやり方をするそうです。
──中国政府が発行した「外国人記者証」を携帯して取材している以上、こうした取材活動は中国の法律でも違法ではない。だから当局も逮捕はしない。要は、中国政府にとって都合の悪い事柄を隠すために、「拘束」して取材対象から遠ざけようというわけだ。──(本書より)
その事実上の取材制限、妨害にもかかわらず果敢に取材した〝3%〟のナマの中国の姿を追いかけたものがこの本です。
どのケースもさまざまな〝妨害〟にあいながらもできる限り素顔の中国を追いかけています。取材する小林さんの前にあらわれた裏の顔、それはひたすら党の権威を守ろうとする姿、と同時に党の権力をちらつかせてワイロを要求する行政官(党委員、警察等)たちでした。
中国内でこのワイロ、買収にしばしば使われた(使われている?)のがマオタイ酒です。なぜお酒が、というといかにも中国らしい理由がありました。それは「毛沢東や周恩来ら、中国の国家指導者たち」が好んでいたからです。指導者が好んでいたという権威づけなのでしょう。
このマオタイ酒は「貴州茅台酒」という一企業が作っている高価なもので、もともと贈答用に買われることが多いものでした。以前から、受け取った側はそのまますぐに業者に売却して現金化することが行われていました。それが常態化して、「贈る側も、最初からそれを想定」しており「現金だと問題になるが、酒ならば目立たない」という理由でもっぱらワイロとしても使われるようになったのです。おまけに「贈る側も領収書を経費で処理できるというメリットがある」という、組織ぐるみのワイロとでもいえばいいのでしょうか。その利用法(?)からマオタイ酒の価格は高騰する一方でした。
そしてこの高価なマオタイ酒の市場に目を付けて大量のニセモノ出回るようになったのです。実に流通している9割がニセモノだといわれていたそうです(取材当時)。ワイロとニセモノ問題を解決しようと習近平が就任後まず手を付けたのが「贅沢禁止令」というのも、彼の手法はともあれ、納得させられます。
「中国一の金持ち村」、華西村のレポートも考えさせられるところが多々ありました。この村が1961年に誕生した頃は人口が1500人ほどの「貧しい農村」だったそうです。その村がひとりのリーダーのもとに大発展をとげることになりました。リーダーの名は呉仁宝さん。どのように村を「中国一の金持ち村」にしたのか、その詳細はこの本で語られています。ぜひ読んでください。
大発展をとげた華西村は、「毛沢東時代の中国がもともと理想としていた、マルクス主義の『人類史の発展段階の最終段階としての社会体制である共産社会を実現している」ように考えられ、視察団が連日訪れるまでになりました。「共同富裕」(共に豊かになろう)をスローガンとしたこの村は本当に成功したのでしょうか。小林さんは取材の中で「資本主義的なやり方で経済発展を遂げつつ、社会主義的なやり方で富を公平に分配している」というこの村にも「貧富の格差」があることを突きとめます。それは戸籍制度のカラクリでした。
──中国には厳格な戸籍制度がある。市や村単位で細かく分類され、基本的には、自分が生まれた自治体でしか、行政サービスを受けられない。出稼ぎ先に長く住んでも、そこでの公共サービスや社会保障は与えられないのだ。しかも、親の戸籍によって子供の戸籍も決まってしまう。──(本書より)
この発展モデルとなった村には3つの階層が存在していたのです。中心になっている、つまりは最も富裕層となった人びとは元からの住民、第2は華西村の発展によって〝吸収合併された村〟の住人、そして第3の階層となっているのが〝出稼ぎ〟の住人です。中国の戸籍制度ではどんなに豊かで社会保障が行き届いた村であっても、そこへ出稼ぎにきた人びとはその行政サービスを受けられず、また低賃金で働いているのが実態でした。資本主義的な〝搾取〟と同様なことがそこにはあるように思えます。
「都市戸籍」「農村戸籍」という「悪名高い」戸籍制度はその出発点から格差を生むもとになっています。もちろん「都市戸籍のほうが、社会福祉や公共サービス、就職などで圧倒的に有利」に働いています。ただし華西村は農村戸籍ですが「裕福さと、充実した社会福祉によって、戸籍を希望する人は多い」そうです。けれど華西村でも戸籍の管理は厳しくなり「特別な才能や技術など、村の発展に役立つ人にしか戸籍を与えない」ことになったそうです。先見の明があったカリスマ指導者といってもいい呉さんがなくなった後、この村がどのようになっていくのか、〝出稼ぎ格差〟はどうなっていくのか、興味はつきません。
格差問題でいえば、あの「中国の臨時従業員」(毒ギョウザ事件)でもこの格差が大きな要因となっています。この「中国の臨時従業員」の章は取材のプロセス、中国のメディアがどのようなものなのか、また政府から独立していない司法とはどのようなものなのかまで言及されていてこの本の中でも読みごたえがあります。
必ずといっていいほど〝当局の意志〟という壁に突き当たる大国、中国の実態、それに挑んだジャーナリストの記録として読み継がれてほしい1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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