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2015.12.01

レビュー

イギリスのタフな議会、議論。日本の劣化に赤面する

イラク戦争の過ちを認めたトニー・ブレア元首相は「史上最大級の与党をバックに、『ニュー・レーバー ニュー・ブリテン』というスローガンの下、『伝統の国』イギリスの近代化を推し進め」ようとしました。「イギリスのイメージを『伝統の国』から『若々しい国』へと変貌させること」を目指したのです。

現在の中東の混乱の遠因でもあるイラク戦争への加担が国際社会への過ちだとすれば、国内的な失政は「キツネ狩り禁止」策をめぐる騒動でした。これは笠原さんによれば「イギリス滞在中に起きた出来事の中で、もっともこの国らしい」騒動であったそうです。
ブレアは「17世紀にはジェントルマンのスポーツ」となっていたキツネ狩りを動物愛護の視点から禁止しようとしました。ところが「労働党が多数を占める下院が禁止法案を可決し、保守派が多数の上院が認めない」ということで可決、修正、差し戻しが繰り返され審議時間はなんと700時間を超えることになってしまいました。

なぜキツネ狩り禁止がそのような大騒動になったのでしょうか。
そこにはブレアが「イギリスから保守派を一掃する」と対決姿勢を鮮明にしていたことへの反発があったのです。保守派は対決色を強め、このキツネ狩り禁止に対して「田園連盟」を結成して反対を表明します。保守の基盤である農村による田園連盟を結成することでブレア政権に対して反撃を行ったのです。この農村からの反撃は、同時に都市を優先するブレア政権への批判でもありました。
問題はそれだけではありません。労働党内部にもさまざまな思惑がありました。党を結束させる課題としたのです。つまりブレアたちは「金持ちのキツネ狩りを、オールド・レーバーは階級闘争の対象とみなし、ニュー・レーバーは動物愛護団体に共感する。両派を団結させる数少ない課題」として考えたのです。

けれどブレアのもくろみは大きく外れてしまいます。この問題は「ある者には『階級』の問題であり、ある者には『動物愛護』の問題であり、ある者には格差が拡大する『都市vs.農村』の問題といった具合に、イギリス人なら誰もが何かしらの対立の構図に組み込まれる問題」となってしまったのです。
当然、上院と下院の亀裂も大きく広がっていきました。
さらに「ブレア首相は『世襲制は民主主義にそぐわない』として上院改革」を行おうと考えていたことがこの騒動に拍車をかけることになってしまったのです。新しいイギリス像を作ろうというブレアのこのもくろみは、このキツネ狩り禁止法案が骨抜きになったように、失敗といってもいい結果に終わりました。

ブレアの前に立ちはだかったこの「田園」というものはどのようなものなのでしょうか。笠原さんはイギリス人のこのようなひと言を記しています。
「緑豊かなイギリスの田園地帯には、ロンドンにはない〝クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)〟がある」と。
イギリス人は田園に特別の「意味と価値」を見出しているのです。田園はなによりイギリスがイギリスである所以を感じさせるものなのです。ブレアはそこを軽視してしまったのです。

笠原さんはひるがえって日本の現状をこう記しています。
「地方創生や女性の活用自体は、国民をより幸福にするための手段(政策)であって、政治の最終的目標ではないはずである」し、安倍政権に対して「日本は政治的に『自信のない国』から『過信する国』に振り子が大きく振れた。その安定感のなさ、国の在り方に、危うさを感じざるを得ない」と。
日本の政治には「生活の質」という視点が欠けています。
「国民生活への視点ではなく、グローバル経済における日本の国際競争力の維持という政治的意思」としか思えない「労働規制の緩和」、そこには「生活の質」を求めていこうという姿勢は少しも見えてきません。

成熟したイギリスでももちろんさまざまな矛盾や問題をかかえていることは確かです。スコットランドの独立問題をはじめ、世襲制の問題、階級社会の問題、格差の問題と難題が消えたわけではありません。
けれどイギリスにはどこか強さを感じさせるものがあります。
それは第2次世界大戦で破壊された下院の再建に際してチャーチルが言った「建物を形作るのは我々だが、その建物が後に我々を形作ることになる。議員全員を収容するような議場にしてはいけない。下院での優れた議論の真髄は、軽快にやり取りができる対話スタイルにあるからだ。そのためには、小さな議場の打ち解けた雰囲気が欠かせないのである」という「議会は議論する場でなければならない」という強い信念に裏打ちされた議会主義というものが支えているものだと思います。そして現首相であれ歯に衣着せぬ言葉でその責任を追及する、BBCをはじめとするメディアの強い姿勢に裏打ちされた民主主義の伝統といったものがあるからだと思います。
議会主義と民主主義という誰もが口にするけれど、どこか空洞化されてしまいがちなことをイギリスほど徹底して血肉化している国はないのかも知れません。

この本は複雑な顔を見せるイギリスをできうる限り客観的な視点をもって誠実なレポートをしたものだと思います。そしてその視点から見えた日本の姿はイギリスとは似て非なるものであり、少なくとも日本の政治とメディアの劣化を浮き彫りにしているように思えてなりません。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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