僕はときどき現実逃避したくなる。子供の頃からずっとそうだった。でもそれは別に嫌なことがあったから、字義通り現実から逃げ出したくなるわけじゃない。毎日ちゃんとご飯を食べる。次の日に備えて毎晩しっかりと眠る。そんなふうに、間欠的に起こる現実逃避は、言わば生理的なルーティンのようなものだ。
僕にとって現実逃避とは、その言葉が持つネガティブな印象とは違って、日常的でとてもポジティブな行為なのである。
僕が子供の頃から「嘘の物語」が大好きな理由も、おそらくはその現実逃避ゆえだった。昔から現実離れした設定や世界観が大好きなのだ。妙ちきりんな登場人物は大歓迎である。僕が大好きな物語の原風景とは、悪意のない素敵な嘘で満ちあふれていて──たとえるなら、玩具箱の中身のような世界なのだった。大人になっても、その原風景に立ち返りたいと思うときなんてしょっちゅうだ。──ああ、そうか。だから僕は『玩具都市弁護士(トイ・シティ・ロイヤーズ)』が好きなのだろう。
『玩具都市弁護士』は連作短編の本格ミステリ。タイトルに『玩具都市』とあるように、作品の舞台は、玩具たちの街、バッバ・シティ。「悪魔のおもちゃ箱」の異名を持つこの街には、人間以上の数の玩具たちが暮らしている。高度に発達したAI(人工知能)技術により「感情」をプログラムされた玩具たちだ。しかし玩具とはいっても、幼児向けの物ばかりでない。AIを搭載された家電製品や家具なども、総じて「玩具」と呼ぶらしい。
もっとも、玩具たちがとどのつまり〝物〟である以上は、次から次へと新しいモデルが出てくるわけで、そうなると型落ちの古い玩具はあっさりと捨てられてしまい、スクラップ工場へと送られてしまう。ところが、玩具たちには感情がある。人間がそうしたのだ。感情を持ち合わせてしまった玩具たちは、そりゃ廃棄されるなんて嫌に違いない。捨てられた玩具たちが逃げ込んだ街──それがバッバ・シティだった。
そのバッバ・シティで暮らす人間のベイカーが、本作の主人公である。ベイカーは元弁護士の経歴を持つパン屋だ。どことなくハードボイルド風の男なのだが、彼を含め、捨てられた玩具たちの街で暮らす人間たちもまた、いろいろとわけありらしい。ベイカーが助ける17歳の少女ミズキにも、やはり秘密があった。このミズキとベイカーがバディを組んで、次々と舞い込んでくる(巻き込まれる)事件を解決していく。
本作に登場する事件は4つ。
CASE1.『ピギーパンクの密室』
CASE2.『逆転の野球盤』
CASE3.『モグラたちの雄弁』
CASE4.『マンション・モルグの殺人』
4つとも、玩具たちの街ならではのトリックを使った本格ミステリ。いずれの短編にもミステリとしてきっちりと趣向が凝らされている。中には長編でも充分使えそうな大技トリックまで出てくる。それでいて、少しも読みづらさがない。トリックに凝りすぎると、小説が説明的になりすぎて、しかもその説明がどうにもわかりづらい、ということが多々ある。しかし4つの短編すべてがそうはなっていないところが、本作のミステリとしてのミラクルだ。
それでなくても、感情を有した玩具たちの街で奇妙な事件が起きるのだ。なんだかもう、僕なんかはこの設定だけでわくわくする。素敵な現実逃避を予感させてくれる。僕がこの本を読みながらふと想起したのは、劇場版『ドラえもん のび太とブリキの迷宮(ラビリンス)』だった。本書と『ブリキのラビリンス』は設定も登場人物もテーマもストーリーも違う。でも、わくわく感は同じだ。そして楽しい。それも同じだ。物語として面白く、出てくる玩具たちの〝ノリ〟が何より楽しい。あの映画に登場するブリキの玩具たちと同じで、なんだかこっちまで元気になる。
僕のお気に入りは、キッチン系玩具団ゼリー・ロジャー(マフィアらしい)の団長、キャプテン・メレンゲである。彼の部下たちを含め、皆、海賊のような強面の玩具たちだ。でも、そこはやはり玩具。キャプテン・メレンゲの右手は海賊の船長らしく鋭いかぎ爪……ではなくて、泡立て器だった。
キッチン系の玩具たちなので料理の腕は超一流。部下である木琴玩具の演奏に合わせて、踊るようにリズミカルに料理を披露する様は、読んでいて本当に楽しかった。是非ともアニメ化してほしい。
加えて本作は、とても続きが気になる作品でもある。各短編の謎は鮮やかに解決された。しかし、残された伏線があるのだ。それが続編の刊行を期待させる。今度は是非とも長編で読みたい。いっそのことオマージュを意識して、玩具でできた巨大地下迷宮の謎に迫る大冒険活劇本格ミステリ──なんていうのは、どうだろうか?
レビュアー
小説家志望。1983年夏生まれ。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。