「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」
老夫婦ではときおりよく似た雰囲気を持っている二人を見かけることもあります。またペットに飼い主が似るようなこともあるようですが、この小説の主人公の私(サンちゃん)の場合は少し違っているようです。結婚生活というものは「自分がすべて取り替えられ、あとかたもなくなる」ものだと考えていましたが、それでもかまわないと思い専業主婦として暮らしていました。だから「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」ことにもはじめはさほど驚きはしなかったのです。旦那の奇行が気になるまでは……。
サンちゃんの旦那はといえば、家では、毎日テレビのバラエティ番組を見たり、ひたすら単純なゲームをし続けているばかり。なにが面白いのかと訊ねるサンちゃんに、旦那はこう答えます。「家じゃなんにも考えたくないって男の気持ちがわかんないんだよなあ。」と。「何をそんなに考えたくないの?」というサンちゃんの問いかけにもまったくとりあおうとしません。「そういう質問の答えをねえ、考えるのも、やなの。」というばかりです。
旦那の言い分も分かるような気がするけれど微妙にかみ合わない会話、次第に言葉も少なくなっていきます。家で気を許しているからでしょうか、ふと見た旦那の顔が少しずつ崩れていっていることにサンちゃんは気づきます。「人といる時は、体裁を保ってきちんと旦那の顔をしているのだが、私と二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置がなんだか適当に置かれたようになる」。戸惑いながらもサンちゃんはそれにも次第に慣れていくのでした。次第に自分の顔も旦那のように崩れていくのを感じながらも。
サンちゃんは、いつか聞いた蛇ボールの話を思い出します。それは「二匹のヘビがね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなる」というものでした。
サンちゃんが話す隣人の話もすべて上の空、それでも自分の関心のあることには少しも譲ろうとしない旦那。ついには不調を訴えて会社を早退するようになり、一心不乱に料理(揚げものだけ)をし始めるのでした。
旦那の奇矯な振る舞いにサンちゃんは思わず「大事な話をしたい」と声をかけます。でも返ってきたのは……「家でまで、大事な話なんか、しなくったっていいじゃない。」「大事な話、大事な話って言うけど、それって本当に大事な話なわけ? サンちゃんは大事な話がしたいだけで、大事な話があるわけじゃあ、ないんじゃないの?」。旦那はさらに言いつのります。「おれもサンちゃんも大事なことに向き合いたくなんかないの。だから俺、サンちゃんといるの楽なんだから」と。
旦那はついに会社を休み家事までもをし始めます、サンちゃんがしているように。それは彼女にはあの蛇ボールがついに「自分も、相手も、気付いた時にはいなくなってる」、その姿を思い起こさせるものでした。今のサンちゃんの結婚生活そのものでした。
「人間らしい生活など維持し続ける必要はない、やめてしまえ、という声」がサンちゃんの心の中で大きくなっていきます。その思いが心の中からあふれ言葉になった時……。サンちゃんの目の前で旦那が家庭がそして世界が大きく変わっていくのでした。すべてのものがいままでの軛(くびき)から解き放たれたかのように……。
ゲームに、次いで家事にのめり込んでいった旦那の心には妻にも窺い知れないものがあったのでしょうか。それともサンちゃんの結婚生活に陥穽(かんせい)とでもいうものがあったのでしょうか。
いつでも、誰にでも、どこでも起こりうる、小さな気がかりとでもいうようなものが広がっていく。そして次第に大きな暗闇とでもいえるようなものが見えてくる……。今まで疑問に思わなかった結婚や生活といったものがどんどんその正体をさらし、自分たち自身を不安定にさせていく。それでもその道から外れていくことは難しい。その行き着く先の世界がどのようなものなのか、本谷さんはユーモアすら感じさせる筆致でその奇妙さ、時にはグロテスクにも感じさせながら描いていきます。リアル生活描写がかえって非日常なものを浮かび上がらせてきます、どこからが非現実的なのかわからないほどに。
結婚というものが少しも自明のものでなく、もちろん堅固なものでもなく、それぞれが違った思いを抱きながらも奇妙な共生をするというものなのでしょうか。誰もが間違ったということもないのにいつの間にか何かが壊れていく、そんな現在というものを感じさせる話です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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