「大阪で生まれた女」で知られるBOROの曲に、ライブハウスでギター弾きと若い女が出会うところから始まる歌があって、中学生の時に聴いたのですが、それから30年以上経った今でも、時々レコードを引っ張りだして鳴らしています。
男と女が出会い、やがて別れる。男はその後、流行歌を歌う成功者となり、女のほうは落ちぶれる。もし今のギター弾きに会っても、今の自分の暮らしを伝えないでほしいという物語なのですが、こういう歌を聴くと「物語とは究極のところ、人と人との出会いから始まるものなのか」とガラにもなく感じます。
「踊り子と将棋指し」は第10回小説現代長編新人賞受賞作。著者は元新聞記者で、学生時代は相撲部の主将を務めたという坂上琴氏。この物語で出会うのは、もはや若くもない40男と、「もうすぐ干支が回る」という年頃(つまり30代後半)に差し掛かった女。
男は記憶を失って横浜の公園で眠り呆けていたところ、「昨晩いっしょに飲んだ」という彼女と出会い、そのまま彼女に拾われます。女は元は知られたAV女優で、今は踊り子さん。つまり今では少なくなってしまった小屋で踊って見せるストリッパーでした。
男の過去は、自分でも思い出すことができません。ただひとつはっきりしていることは、今の彼がアルコール依存症であることと、それに関連して、インポであること。この「依存症」と「インポ」は、この物語の重大なモチーフとなります。
私自身は、依存症というほどには酒は飲まず、なってもならなくても同じようなものですが、たぶんインポではないと思います。しかし知人の某漫画家さんに聞くと、このダブルパンチは「酒を飲まないとしたいという気持ちにならないが、飲むとできない」という日常で、とても情けない思いがするものらしいです。
ただ主人公の男は、このインポのおかげでいわば「アンパイ」として女の家で暮らし、やがてマネージャーを名乗って、女とともに高速バスで西に向かうことになります。お金の面倒も女にしっかり見てもらうその旅は、「情けなさ」というほろ苦さが常につきまとう旅でもありました。
女の過去の事情もあって、男は酒を我慢していました。しかし大阪の街でマネージャー業の真似事をなんとかこなしているうちに、やがて「真剣師」たちの勝負。大金をかけた賭け将棋に巻き込まれていくことになり、我慢も怪しくなってきます。旅の果てに男は、いろんな意味で「本当の自分」に向き合うことになるのでした。
著者の坂上氏は、もともと大阪本社社会部の記者だったそうですが、坂上氏がこの物語の主要な舞台として大阪を選んだ意図は、わかるような気がします。
今の世の中は昔にくらべてきれいに、清潔になった。少々、現代社会は潔癖過ぎるかもと感じないでもないですが、自分自身もまたそのきれいさを享受していたりするので、あまり否定はできません。
ただその分、人間の生々しさというものも、あまりむき出しにされることがなくなりました。それは決して悪いことだけではないのですが、どこか寂しいことでもあります。
ですが大阪という街は、今では希薄になった「人の生々しさ」がどこかに息づいている。街全部という訳ではないかもしれませんが、いまだに呆れるほど人のリアルがむき出しになっていたりします。
下着の下のふにゃっとした情けなさ。舌にピアスを開けていると、もずくのように細かい食べ物が苦手。そうした人の体の生々しさを描く坂上氏にとって、大阪はよい舞台だったに違いないと思います。しかし物語のクライマックスは、さらに南国に旅して迎えることになります。
イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズは、荒涼とした現代社会で顕在化してきたのは、ありとあらゆる分野の「中毒」、すなわち依存症だと指摘していました。人はなんにでも中毒できる。たとえ恋愛でさえも。
この物語の主人公もまた、現代の中毒者のひとりですが、「酒を飲み過ぎたらインポになる」という人のリアルが、理屈を越えて「こうしちゃいられない。人ごとじゃないぞ」という感じで胸に迫ってきます。それだけに男の「出会い」がたどる結末も人ごとではなく胸に迫ってきます。
「このところちょっと飲まないと眠れなくなってきた」というような人にはぜひオススメです。
レビュアー
作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、 現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証 言集』では編著も手がける。作家が自分たちで作る電子書籍、『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。