禁涙境(きんるいきょう)。
禁涙境とは、十字線(アンカー)と呼ばれる特殊な結界によって、あらゆる魔力が4分の1以下に抑え込まれてしまう不思議な街のこと。実質的に魔力が使えないこの街は、魔法が支配する魔導文明社会において、極めて異質な存在です。
その謎の街が舞台となる本作は、戦地調停士シリーズの4作品目。この『禁涙境事件』の特徴のひとつは、それまでの3作品と比べて、連作短編色がとりわけ強いことでしょう。
序 章『禁涙境の最期』
第一章『希望街の殺人』
第二章『幸運街の惨劇』
第三章『無用街の抗争』
第四章『月光祭の怪人』
第五章『天秤塔の下で』
終 章『禁涙境の黎明』
本書は、これら7つの章によって構成されています。中でも、第一章から第四章までは物語としての独立性が強いために、それぞれが良質な〝短編〟としても楽しめるようにできている。
僕が本作の中で〝短編〟としてとくに好きなのは、第一章の『希望街の殺人』です。魔法が使えない禁涙境には、他にも不可解な法則があって、どうしてなのか、この街では女性が妊娠しない。ところが、そんな街で、娼婦が子供を授かったという。そしてある日、その娼婦と彼女の雇い主が惨殺されます。ふたりの死体のそばには、赤ん坊の姿が……。
こんなふうに、第一章からいきなり魅力的で不可解な謎が登場するのです。その謎の解決も鮮やかであり、この時点で〝長編〟としての伏線も、読者にわかるようにしっかりと張られている。事件解決によるカタルシスと、次へと持ち越される謎によって、物語に一気に引き込まれていく。
第二章『幸運街の惨劇』では、連続殺人事件が発生。その事件を通じて、本シリーズでお馴染みの、仮面の戦地調停士ED(エド)と〝風の騎士〟ヒースロゥ・クリストフの過去の一部が読者の前にさらされます。
シリーズのファンが一番見逃せないのが、もしかしたら、この第二章かもしれませんね。もちろん『禁涙境事件』以外の既刊作品を読んでいない方がこの第二章で蚊帳の外に置かれてしまう、なんてことはありません。このことは本作に限りませんが、戦地調停士シリーズはどの作品から手をつけても、充分楽しめますので。
第三章も、ひとつの小さな物語として独立していますが、ここからいよいよ〝長編〟としての性格が色濃くなってゆく。
第四章では『禁涙境事件』の次の作品のタイトルにもなっている「残酷号」と呼ばれる謎の怪人が登場し、その怪人が暴れに暴れまくるバトルファンタジーの佳品にもなっています。さらには、禁涙境という「街の謎そのもの」も、この第四章で明らかに──。
そして、それらを含めたこれまでの章の、すべての事件の謎に新たな推理が加えられ、もうひとつの終息を見せるのが第五章なのです。
もしかしたら、本作に出てくる謎の数々を自力で解き明かしてしまう名探偵顔負けの聡明な読者も、一定数存在するかもしれません。本作は、謎の難易度としては、『殺竜事件』や『海賊島事件』に比べると、それほど難しくはないと思うからです(なんて偉そうに書いておきながら、『禁涙境事件』の謎を、僕はほとんど解けませんでしたが……)。
ともかくも、「謎の難易度が高い」=「ミステリーとして優れている」とは限らないものです。謎の答えは簡単にわかるけど、その謎を解明するロジックが秀逸であったり、前代未聞の大技トリックを使っていたり、中盤のサスペンスが出色の出来でページをめくる手が止まらないなど、ミステリーを評価するポイントは複数存在します。
『禁涙境事件』は推理小説として、とても丁寧に作り込まれていて、全体の構成が緻密で美しい。ファンタジーとミステリーの融合作たる戦地調停士シリーズの中でも、構成の妙がとくに光っている作品のひとつだと思います。物語としての面白さだけでなく、そうした技巧的な部分も魅力的だったのが、僕にとっての『禁涙境事件』でした。
レビュアー
小説家志望の1983年夏生まれ。2014年にレッドコメットのユーザー名で、美貌の女性監督がJ1の名門クラブを指揮するサッカー小説『東京三鷹ユナイテッド』を講談社のコミュニティサイトに掲載。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。書評も書きます。