主にフィーチャーされるのは、『噂の眞相』発起人にして名物編集長だった岡留安則。常にサングラスをかけ、謎めいた人物と評されることもあったが、実は飄々とした好人物で、よき上司でもあったという。しかも、女性にモテた。本書に収録された常連ライター・中森明夫と著者の対談から引用しよう。
中森 在りし日の岡留安則さんを知る人は、口を揃えて「岡留イズム」と言います。岡留さんという人は、編集者として極めて傑出していました。いつも真っ黒いサングラスをかけていて素顔が見えないし、「左翼活動家出身で怖い人だ」というイメージをもっている人が多い。ところが実際会ってみると、岡留さんはものすごく優しいし紳士的なんです。これは佐高さんにも共通する点だけど、実は癒し系なんですよ。偉ぶらない。自慢話をしない。若い連中を前にマウントを取らない。セクハラをしない。女性にお酌なんて絶対させない。
神林が初めて自分が書いた記事で訴えられた時も岡留は〈編集者は訴えられて一人前〉と言っていた。岡留が神林と共に東京地検特捜部に起訴された時も〈公訴記念で飲みに行くか〉と社員を引き連れて朝まで宴会。確かにこういう神経でなければ『噂の眞相』は続けられなかっただろう。
スタッフは、いま注目されている人物を取り上げて叩こうとしたが、岡留はその人間が権力側なのかどうかにこだわった。〈大衆の共感が得られない〉とか、〈斬ってるほうが陰惨に見えるような斬り方はしたくない〉と、よく言っていた。神林広恵が語る。
〈岡留さんって実はすごくピュアなんだよ。本気で反権力をやろうとしていた人だった〉
その後、売れ行きが伸びるにつれてリクルートや武富士から「広告を出したい」と申し入れがあったが、雑誌のイメージと違うからと断った。ただし、風俗系の広告は基本的にOKして載せていたら、連載執筆者の斎藤美奈子に休刊号で批判された。岡留はこう言い訳している。
〈まぁ確かに品は落ちますけど、(略)言論の自由を守るという意味では非常に助かった。でも、読者だという地方の教師あたりから、「荒木(経惟)さんの連載と扉イラスト、それから風俗系の広告。この3つをやめてくれれば、生徒にも勧められるのに」と言われ続けました〉
〈書きたいことが書けなくなったら物書きやめるのは当たり前の話。それが多くのマスコミ人たちはそういう構えで書いていない〉と私が言ったのに、田中が〈一般論として俺たちの配慮とは違うね、弱者に対して。俺たちの方が本当に神経使ってるよね。書いちゃいけない人のことや、文章の表現を〉と補足したので、私は〈何を書いているかより、何を書いていないかを見るとよく分かる人もいる〉と指摘し、田中も〈なるほど〉と頷いた。
辺見庸は『噂の眞相』の2004年4月号で永江朗に80分間のインタビュー中、「残念」という言葉を7回使ったという。
〈残念だね。残念の一言ですよ〉
この号をもって『噂眞』が休刊するのを残念だと言い〈ある種の悲しささえ感じるよね〉とつけ加えた。〈侵略の暴力も抵抗の暴力も一緒くたにしてしまう隠微なメディアのファシズム〉の中での『噂眞』の休刊は〈敵前逃亡みたいなことじゃないか〉と辺見は〈口調は冗談めかして、しかし目は真剣に〉言ったらしい。
終盤、本書は『噂の眞相』表4(裏表紙)に14年間も広告を出し続けた、株式会社ビレッジセンター元代表取締役社長・中村満と著者の対談を掲載する。この「内幕劇」がすこぶる面白い。中村氏が初めて『噂の眞相』編集部に岡留編集長を訪ねた時の思い出話では、予想外の名前が飛び出す。
中村 (前略)ふと下を見ると、乱雑にお中元が積まれていました。一番上の荷の熨斗を見ると、送り主は野村秋介、品物は「味噌」でした。思わず背筋が伸びました。野村秋介さんからお中元が届く――。こんなことは、普通の会社ではまず考えられません。







