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2026.09.23

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なぜ日本人は、あのとき国家に動員されたのか? 戦前戦後を貫く日本固有の「病」とは

「天皇」と「人権」……このふたつの言葉がどう結びつくのか? 天皇にも人権はある!といった主張を声高に訴える内容ではない。「戦前戦後を貫く『日本的歪み』の正体」という副題に、すでに一筋縄ではいかない雰囲気を感じる人もいるだろう。言わば「天皇」という古からの存在、「人権」という近代以降の概念が、極めて独特のかたちで結合してしまったこの国の歪んだ仕組みを、独自の視点で解析してみせた一冊である。

著者は聖職者の家庭で育ち、自身も牧師としての経験を持つ神学者(1976年生)。『抵抗権と人権の思想史』『人権思想とキリスト教』といった著作があり、本書ではさらに一歩踏み込んだテーマに挑んでいる。ヨーロッパのキリスト教信仰が育んできた人権意識が、明治維新後の日本社会に輸入されたとき、どのようにアレンジされ、結果としてどのような歪みを内包するようになったのか?というプロセスは、読んでいて非常に禍々しく興味深い。

1980年生まれの身としては、天皇/天皇制に対してはなんの思い入れもなく、『はだしのゲン』などに強く影響された少年時代もあったが、もはや「いてもいなくてもいいんじゃない」程度にしか思わない。が、本書を読むと、ある時代までの日本国民にとっては「大事な心のよりどころ」だったこと、あるいは「ファナティックな妄執」の対象だったことを思い知らされる。しかも、それは時の政権が仕向けたことでもあった。
大正末期から昭和初期にかけて、人々は自らの存在意義や権利の根拠を天皇に求めるようになり、天皇に基づく国民運動が盛んになりました。こうした動きは、政府が進めてきた臣民教育によって形成された土壌が育みました。しかし、その上に形成された国民は、政府が想定していなかった形で運動を展開しました。人々は天皇に神聖な意味を見出すことで、自らの正義をそこに重ね合わせ、運動を一層強めていったのです。その結果、このような動きは過剰なまでに徹底され、五・一五事件や二・二六事件といった急進的な行動へとつながっていきました。
徳川幕府という巨大な権力中枢を崩壊させた明治政府が、代わりに担ぎ出したシンボルが(一時期はすっかり忘れ去られていた)天皇であり、自ら革命を成し遂げたわけでもない国民は、その信奉対象に飛びついた……というのは、わりと多くの現代人が認識している歴史のあらましであろう。ひょっとしたら、若い世代にとっては「生まれたときからそこにいた存在」で、歴史的立ち位置すら認識されていないのかもしれないが。
江戸時代まで存在感が薄かった天皇は、幕末から明治にかけて政治の表舞台に登場します。その時代は国家の存続が危ぶまれる時期であり、日本を一つにまとめるために天皇の存在が重要視されました。この時期に用いられた言葉が「国体」でした。
国体ってなんじゃらほい、と思う読者も少なくないだろう(僕もこの字面を見るたび思う)。説明されてもイメージするのは雲のような綿菓子のような、ふんわりボンヤリした幻想めいたものだ。その国体を護るために、時には血で血を洗う闘争が繰り広げられ、最終的には天皇自身の意志すら超越して玉音盤の争奪戦が展開したりもした……。映画『日本の一番長い日』(1968年)などで描かれたとおりである。

話が先に進みすぎてしまったが、明治政府の天皇ヨイショは江戸時代末期にまで遡ることができる。“徳川様”に代わる都合のいいシンボルとして、天皇はトップの座に返り咲く。
天皇という存在は庶民にほとんど認知されておらず、実際の忠誠心は藩主や徳川幕府に向けられていました。ところが、幕府の存在を否定して、文字通り「一君万民」の国家体制を主張する人々が現れます。その代表的な人物が會澤から影響を受けた吉田松陰(よしだしょういん)です。吉田松陰が教えた松下村塾(しょうかそんじゅく)で学んだ塾生の中から、高杉晋作や伊藤博文など明治維新で活躍した志士が輩出されます。彼らが天皇を中心とする国体を確立していくのです。
著者は(一見、形骸化したかに思える)この構造が、実は現在まで連続していると述べる。現代に生きる自分自身が天皇をどう思っているかはさておき、この国が現政権も含めてその思考を引きずり続けていることが示され、ゾッとさせられる。
これまで見てきたように、日本は「国体」や「一君万民」という文言を用いなくなりましたが、本質的な日本的要素は精神的に継続しています。こうした構造は、憲法や制度といった政治的手続きの背後に組み込まれているため、私たち国民が自らを「天皇の赤子」と自覚することはほとんどありません。しかし、国家的な儀礼や行事を振り返れば、国民を結合する精神構造は常に天皇を中心とする形式になっていることに気づきます。こうした点に注目すると、戦前と戦後は単純に断絶しているのではなく、むしろ深いところで連続していると理解することができるのです。
現代の日本社会でも、天皇崇拝は(“無意識下の意識”も含めて)生き永らえているが、明治から大正、そして昭和初期には、「狂信的」といえるレベルで広く国民に浸透していた。そのイメージ戦略に大きく貢献したのが、政府主導の神道リバイバル運動だったという記述も興味深い。最近はヤクザVシネぐらいでしか見ないが、神棚を自宅に設える習慣が実は伝統でもなんでもなく、明治以降に広まった(政府お仕着せの)文化だという記述には、ハッとさせられる。

天皇は政府と違って、なぜか市民の同情を集めやすい存在でもあった。なんなら「反政府のシンボル」や「庶民の味方」とすら捉えられていたフシもある。
ここで重要なのは、不平等に抗議する庶民が政府を批判する一方で、天皇を非難しなかったことです。これは、彼らが天皇に特別な敬愛の念を抱いていたからです。たとえば、明治期の賤民出身者は、身分制度を廃止してくれた天皇に感謝の意を抱いていました。むしろ、実際には維新(平等)が完全には実現していないことに対する不満を持ち、天皇を根拠として、不正を是正しようと政府への批判運動を展開していったのです。
人権意識に目覚めた市民が、同時になんの違和感もなくシンボルとしての天皇を称揚する図は、ヨーロッパの人権運動家からすれば「ハア?」と声を挙げてしまうような状況だろう。本書では、そのいびつな構図が淡々と冷静に、破局へと向かう歴史の流れとともに語られる。その筆致が冷静であればあるほど、怒りの感情を誘発される読者もいることだろう。たとえば、こんなくだり。
大日本帝国憲法制定の過程で、森有礼が「臣民権利義務」という表現を「臣民の分際」に改めるべきだと主張したのです。
(中略)
森の発言が示しているのは、臣民が天皇に従属する存在である以上、天皇に対して権利を主張するという発想そのものが成立しないという認識です。このため彼は、「臣民権利義務」ではなく「臣民の分際」と表現すべきだと提案しました。この案は採用されませんでしたが、尾佐竹猛は後にこれを知り、「誠に結構なことを聞いた」と評価しています。
現代の日本人ほど「義憤」の感情を奪われた民族はいない、と感じることはままある(特に、自分より大きな力や抑圧に対して)。たまにその感情が表面化したとしても、それが単なる暴力衝動のはけ口になっていないか、弱者を標的にしたナショナリズムの発露に変質していないか、といった核心は常に己に問う必要はある。また、その感情が新たな戦禍の火種に悪用されることはないか、冷静に省みることも必要だ。ついに革命の起こらなかった国で、いまや天皇への敬意や憧憬も持ち合わせない次世代の国民に、次に何が「信仰の対象」として用意されつつあるのか……私たちは警戒心を解いてはならない、と本書は思わせる。見かけは大人しいが、パワフルな一冊である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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