神武天皇が即位した日
2月11日は建国記念の日で、国民の祝日になっています。もっとも、これがどういういわれのある日なのか、説明できる人は存外に少ないのではないでしょうか。
恥ずかしながら自分がそれを知ったのは、成人してからでした。学校の先生は休日ですとは教えてくれましたが、どうしてかは語ってくれませんでした。知らなかったのか、あえて言わなかったのか。確かめようもありませんが、数多くの先生がみんな知らなかったとは考えにくく、あえて言わなかった人もあったと思われます。
2月11日はかつて、紀元節と呼ばれていました。初代天皇である神武天皇が即位した日とされています。日本という国が天皇とともにあるならば、この日こそ建国の日です。ちなみに、今年(西暦2024年)は、皇紀2684年にあたります。
もっとも、これは明治になってから流布された、国家の中心に天皇を置く史観(皇国史観)に基づくもので、真実の歴史に即したものではないとされています。本書にも、明治政府が初期においては2月11日という日付に恣意的に変更していたことが語られています。
第二次世界大戦の敗戦によって、日本はGHQ(連合国軍総司令部)によって占領統治されました。このとき、皇国史観は排され、紀元節も廃止されたのです。以来、神武天皇、そして日本の建国を歴史の根底に置くことはなくなっています。
もっとも個人的には、建国神話を語らないのはおかしいんじゃねえの、とは思っています。聖書なんかもろ建国神話から始まってるじゃん。皇国史観が正しいというつもりは毛頭ありませんが、あからさまに排除するのがいいとは思えません。
(高校の歴史教科書の:引用者注)本文として取り上げられているのはただ一ヵ所、昭和戦後期の「神武景気」しかない。神武天皇という人物や、その初代天皇としての意味を主題とした記述はまったくみられないのである。少なくとも神武天皇についての記述に関する限り、日本史の学習に熱心な高校生が心をこめてこの教科書を読んだとしても、その高校生が神武天皇のことをわかるようになるとは全く思われない。それとも、神武天皇についての系統立った知識はなくても、あるいはない方が良いということなのであろうか。
神武天皇は一人、しかし陵は三つ存在する
本書は歴史教科書にたいする提言を語る書物ではありません。これはあくまで「神武天皇は軽んじられてきた」という事実の例証として掲げられたもので、「教科書の問題」は、唯一ここだけでふれられています。本書の主題は、別のところにあります。「墓の問題」です。
神武天皇陵とされる地は、つごう三ヵ所あります。なんでそんなことになってるんだ、と思いませんか? 神武天皇は一人しかいないはずなのに、どうして墓が三ヵ所なんだろう?
注目すべきは、いずれも「江戸時代につくられた」ということです。もっとも古いものでも、それらしい意匠を付されたのは元禄年間(1688ー1704、江戸中期)のことでした。しかも、ここは現在、正式の神武天皇陵とは認められていません。
神武天皇のことを話していて問われることがある。それは、神武天皇は実在していたのか、それとも実在していなかったのか、ということである。(中略)
戦後長足の進歩を遂げた考古学の成果の結果、原始・古代史の実相が明らかとなり、また同時に『古事記』『日本書紀』の実証的な研究も展開し、神武天皇についての部分等はそのままいわゆる歴史的事実の反映と見做(みな)すのではなく、神話・説話等として理解するのが今日の定説である。その点からすれば、確かに神武天皇は非実在の人物に違いない。
ものすごく雑にまとめるならば、著者は「神武天皇はいなかった」と語っているわけです。しかし、それは断じてGHQの指導を受けた戦後の教育のように「ふれないことが正しい」わけではありません。むしろ、ふれないことで見えなくなることはとても多いのです。宝の山を見過ごすなんて、もったいないぜ――自分は、著者がそう語っているように思えました。
「神武天皇陵の問題」には、興味深い点がいくつもふくまれています。江戸中期の国学者(本居宣長や平田篤胤など)の考え。それにたいする幕府の思惑。幕末における尊皇攘夷という思想の隆盛。孝明天皇(明治天皇のお父さん)の事跡。神武天皇を語らないということは、これら歴史的に豊かな事象をすべて捨て去ってしまうことを意味するのです。
明治政府はたしかに皇国史観をぶちあげ、その根底に神武天皇を置きました。しかし、この思想は断じて突然変異的に生まれたのではありません。むしろ、長い時間をかけ、マグマのように地下で醸成されてきたものなのです。神武天皇陵を追いかけるだけで、そのことが了解できます。
本書のタイトル『神武天皇の歴史学』は、神武天皇がどういう人だったかを明かすものではありません。「人々が神武天皇をどう考えてきたか」を解き明かすものなのです。貴重かつ重要な視点といえるでしょう。
執念の宿る書物
本筋とはあまり関係ありませんが、本書を読んでいて、「うまい手を使うなあ」と感心したことがありました。
(神武天皇陵は:引用者注)他の天皇陵と同じくその域内には許可なく立ち入ることができない。これはつまり、域内を実際に観察してその様子をここに書き記したり、ましてや域内の写真を撮影して本書に載せることなどできないということである。
たとえば、仁徳天皇陵と伝えられる大仙陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッドより、中国の始皇帝陵より、はるかに大きな世界最大級の墳墓ですが、中がどうなっているのか伝えることはできません。ここをつぶさに観察すれば、多くのものがもたらされるでしょうが、立ち入ることは禁じられています。
これは日本ばかりではありません。たとえば、上であげた始皇帝陵の発掘調査は(有名な兵馬俑の周辺以外)禁じられています。陵には地下宮殿があると伝えられており、本当にあるなら世界史をゆるがす大発見ですが、確認する術はありません。
神武天皇陵も同様なのですが、著者はまことにうまい方法によって、実像に近づいています。思わず「おおっ」と声をもらしてしまいました。不可能に挑もうとする歴史学者の執念を見たような気がしたのです。
なお、本書の抜粋と著者のステイトメントは、こちら https://gendai.media/articles/-/122520 で接することができます。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/