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2025.05.02

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グローバル化、格差拡大、揺らぐデモクラシー……令和日本の課題は戦前昭和にあった!

1955年11月に出版された『昭和史』(岩波新書)は、戦後10年を迎えた当時、予想を遥かに超える大ベストセラーになったという。そこには当時の民衆が知りたかったことが書かれていた。
『昭和史』の「はしがき」は言う。「なぜ私たち国民が戦争にまきこまれ、おしながされたのか、なぜ国民の力でこれを防ぐことができなかったのか」。読者はこのことをもっとも知りたがっていたはずである。(中略)読者は大きな見取り図を求めていた。
言うまでもなく、読者のほとんどは「戦争体験者」だった。それでもやはり、答えを知りたかったのだろう(当事者だからこそ、その熱に浮かされたような時代の正体が見えなかったのかもしれない)。戦後10年の節目に、人々はすでに「あの時代」を再検証しようとしていた。

そして、戦後80年を数える2025年、やはり人々は強い興味をもって、同じタイトルを含む本書を手に取るのではないだろうか。それは過去を懐かしむためではない。「これからの戦争の時代」が、かつてどのように訪れたのかを改めて知り、現在と照らし合わせるためだ。過去の歴史書ではなく、未来への「予習」になるという予感……それが現代人の率直な心境ではないだろうか。

戦前・戦後史、昭和史に関する著作をいくつも手がけている著者は、当時の新聞記事から子供向けの読みものに至るまで、膨大な文献に当たりながら「昭和の60余年」の実像を浮かび上がらせていく。そこには、我々があまり知らない当時の庶民生活のディテールや、軍部や政財界における駆け引きなども含まれる。「戦争前夜の条件」について記された前半部分は、特に興味深い。「混乱した政治状況」「経済の悪化」「安定を求めて既存の多数派勢力になびいてしまう大衆」など、現在に通じるような要素も多々見受けられるからだ。

それでも、日本が戦争をしないという可能性は、決してゼロだったわけではない。たとえば、昭和6年(1931年)に刊行された『日米果して戦ふか』(春秋社)という本では、軍事評論家の石丸藤太が日米必戦論を「痴人夢」と言いきり、軍事リアリストの観点から非戦論を展開していたことが本書では紹介される。
石丸は二つの選択を示す。「戦争を絶滅することの不可能を信じて軍備の競争をなすのは冒険であり、平和を信じて軍備を縮小するも、これ亦(また)冒険である」。石丸はどちらを選択するのか。「余は戦争の冒険よりも、寧(むし)ろ平和の冒険を選ぶ」。なぜ「平和の冒険」の方を選択するのか。「平和の冒険」によって、「政治の保障、外交の保障、友誼の保障、正義の保障に信頼するのは、極めて賢明であり、又時代の趨勢を知るもの」だからである。
こんな分析が声高に行われていた時代もあった。しかし、それでも結局、日本は戦争へと大きく舵を切っていく。だから、SNSで自由な論議や政治批判ができるうちは大丈夫、などという意見は安心材料にはならない。

戦争が始まる理由の大元を辿れば、そこには「欲をかいた」「偉ぶりたかった」といった権力者の稚拙な欲望がある場合がほとんどだろう。だが、その実現過程においては膨大な知性や財力や人材が水面下で投入され、複雑かつ周到な「下準備」が進められていく。その後に訪れる破局を思えば無駄としか思えないが、しかし当時の人々は「未来」を知らない。その恐ろしさは、現代を生きる我々にも言えることだ。

戦前日本がアジア支配の道筋を力技の謀略をもって構築し、さらに内地では開戦やむなしの機運を巧みに浸透させていく一方、そこには呆れるほどの「先見性のなさ」と「見切り発車の杜撰さ」もあったことが本書では明らかにされる。そもそも、日本には長期戦を戦い抜く資金が最初からなかった。1937年7月7日の盧溝橋事件を発端とする日中戦争が始まる前から、その無謀さは指摘されていたという。中国経済通の陸軍軍人・岡田酉次(おかだいつじ)は、盧溝橋事件よりも前の会合で、横浜正金銀行頭取の児玉謙次(こだまけんじ)からこう言われていたという。
「岡田さん、円で大陸の戦争をやるのは無理ですよ」。たしかにそうだった。日本の国際収支は好調とは言い難かった。外貨準備も不足気味で、実際のところ、一九三七年前半の貿易収支の入超額は、前年同期の二・三倍に上り、横浜正金銀行が決済資金を枯渇させる事態になっていた。それでも輸入増は続く。国際収支の悪化と財政膨張は、諸外国に日本経済の脆弱性を印象づけるようになった。それにもかかわらず「管理の届かない大陸に円を放出すれば、それが直ちに内地円に影響して、金融面から戦争指導をむつかしくする心配」があった(『日中戦争裏方期』)。
それなら「いまの日本は貧乏だから大丈夫」と思う読者もいるかもしれない。だが、それでも戦争は始まってしまった……その史実は肝に銘じておきたい。

戦争が起きると、当然ながら人心は荒廃し、生活は破壊される。厚生省の創設(1938年)が日中戦争下だったことはよく知られているが、これをもって「戦争も社会にプラスの影響を及ぼす」とは軽々しく言えない。それ以上に傷つくものが大きすぎるからだ。本書は、あらゆるモラルが崩壊していった戦場、そして限度を超えた節約を強いられる内地、それぞれの過酷な現実を等しく見渡す。
八路軍との治安戦は困難をきわめた。ゲリラ戦において「良民」と八路軍の「便衣隊」兵士を見分ける余裕はなかった。勢い、「良民」も八路軍兵士も区別なく殺害することになる。山西省で治安戦を戦っていた独立混成第四旅団独立歩兵第一五大隊の宮原良助(みやはらりょうすけ)二等兵は、のちに当時を回想してつぎのように述べている。「とにかく敵やったら、ということでした。敵やったら皆やっつけるっていう頭ありましたわな」。宮原によれば、部落で祭りや芝居が催されると、八路軍も来るので襲撃した。そこには「普通の人もいっぱい」いた。八路軍の兵士だけを狙い撃ちにすることはできなかった、やろうともしなかった。
経済学者の大河内一男(おおこうちかずお)は『科学主義工業』1941年1月号に寄稿し、長期戦を乗りきるために「国民の生活縮小」が必要であるとした。まるで、極右主義者の好戦的主張の行き着く先が、社会主義的清貧生活であるかのようで、皮肉な笑いが込み上げてしまう。
総力戦下の国民は、今以上の生活の縮小に耐えられるのか。大河内は言う。「生活の引下げはただ生活の新しい体制、換言すれば生活の革新を遂行することによってはじめて達せられるであろう」。
それでは「生活の新しい体制」あるいは「生活の革新」はどうすれば可能なのか。大河内によれば、生活費の引き下げが生活の質の低下につながらないような新しい生活様式を作り出せばよかった。新しい生活様式は、一方では「生活の協同化」と他方では「生活の標準化(規格化)」によって進められる。大河内は「生活の協同化」の例として、「多くの農村」でみられる「協同耕作」を挙げている。
新しい生活様式がこのようなものだとすれば、それは「等しく貧しく」であり、貧しさを貧しさと感じない倫理観が求められていたことになる。あるいは「協同化」「標準化」は社会主義の生活様式に限りなく接近する。「協同耕作」はソ連のコルホーズに似る。「標準化」とは顔の見えない無個性な人間の集団を作ることにつながる。戦争をとおして、日本はこのような社会になりかねなかった。
結果的に、日本はそういう国にならなかった(もし戦争に勝っていたら、そうなっていたかもしれない)。敗戦国となったことで、重い戒めと強い復興意欲を身につけたような国は、「長い戦後」を試行錯誤しながら歩んでいく。ある時期までは「戦争の記憶」を引きずりながら、だんだんと「忘却」という甘美な、しかし激しく容赦ない波に抗いきれなくなるかのように、その歩みは令和の世へと続いていく。

戦後日本のアティテュードを決定づけたような出来事として、本書で印象的に取り上げられるのが、1952年5月3日の日本国憲法施行五周年記念式典である。このときの昭和天皇の「おことば」をめぐる駆け引きは、さながら玉音放送の奪い合いに匹敵するかのごとくドラマチックだ。主な登場人物は、当時の首相・吉田茂、宮内庁長官の田島道治、そして昭和天皇その人。
こうして五月三日の「おことば」では戦争に対する天皇の反省の意は国民に伝わることなく、在位の既定化が告げられることになった。
この「おことば」から独立を回復した戦後日本が出発する。戦争責任論はあいまいなまま、決着をつけることなく、戦争の影を引き摺りながら、不完全な独立国家=日本は、復興を加速化していく。
政治的配慮により言葉を呑み、それゆえ長年にわたる糾弾対象ともなった昭和天皇。その存在が、昭和の末期には「忘れないこと」の重みを体現する最後の砦でもあったことを、本書は示唆する。
バブル消費社会は人びとから戦争の記憶を消し去ったかのようだった。しかしあの戦争を忘れない人びとがいた。
昭和天皇もそのひとりだった。天皇にとって戦争を終わらせる大きな区切りになるはずだったのは、退位である。敗戦直後、あるいは独立回復後、退位すれば、戦争責任を果たすことができた。しかし退位の機会は政治によって奪われた。
その退位が本当に「贖罪」になったかどうか。それは我々日本人が決めることではないだろう。昭和という時代から、私たちが学ぶところはいまも大きい。背負ったものの重さ、そして忘れ去ろうとしているものの大きさを含め、いまこそ振り返らなくてはならないと痛感させる1冊だ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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