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2026.08.29

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日本一有名なノラねこ「ルドルフ」と会うまで、イッパイアッテナはなにをしてきたか──!?

ルドルフに出会う前のイッパイアッテナ

友だちの「むかし」は、どういうわけだかさっぱり想像できません。「むかし」は間違いなくあるはずなのに、私と出会ったときをスタート地点にしてしまうせいなのか、それともあまりズカズカ踏み込まないよう用心しているからなのか、「未来」よりもうんと未知の世界です(未来は、私も関わっていけるぶん、少しは気がラクかもしれません)。

だから、その友だちが「むかしの話」を聞かせてくれると、すごくうれしくなります。

斉藤洋さんの小説『おれのなまえはイッパイアッテナ』は、『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズの外伝で、「むかしの話」です。

「ルドルフ」シリーズの主人公は、小さな黒ねこの“ルドルフ”。日本のとある地方都市で飼いねこだったルドルフが、とある事情で東京の下町に来てしまい、そこで出会った大きなトラねこ “イッパイアッテナ”とノラねこ生活を送る、成長と冒険の物語です。今年でシリーズ40周年を迎えるそうで、私のような大人も、そして今まさに小学生の方も、ルドルフたちのことをよく知っています。本屋さんの児童書コーナーに行けば、必ず彼らに会えます。

外伝である本作は、ルドルフのよき友でよき先生でもあるイッパイアッテナが主人公です。

彼がどんな子ねこ時代を経て、今に至るのかが描かれます。これまでの作品では、イッパイアッテナはすでに一人前のねこでした。町のボスで、けんかが強くて、顔も体も大きくて、人間の言葉を読み書きできて、物知りで義理堅く、そして教養がある。でも彼にもこんな時代があったんです。
その子はおれのところにくると、手に持ったなにかをおれのほうにさしだしながら、なにかいった。
なにをいったかはわからなかったが、その子がさしだしたものは、小さな魚だった。
そのときは、魚の名まえなんかひとつも知らなかったが、それはししゃもだった。
その子の手から、おれはししゃもを食べた。
いや、おいしかったね。
「ルドルフ」シリーズのファンは、ここでちょっと泣きそうになるかもしれません。そうか、最初はやっぱりししゃもだったんだなあ……って。なので、できればこれまでの作品を読んでから本作を読んでいただくと、より楽しめるはずです。もちろん、この外伝から読んでも楽しいですよ! ときどきイッパイアッテナが思い出したかのように教えてくれるルドルフや“ブッチー”のちょっとした話に「どんな子たちなの!?」となるはず。

ところで「教養のあるねこ」とは、どういうねこなのでしょうか。「物知りなねこ」と「教養のあるねこ」は、どうやらちがうようです。

教養のあるねこ

「ルドルフ」シリーズは教養をとても大切に扱う物語です。幼いルドルフが教養を身につけ成長する姿を描くことで、若い読者に向けて、教養を本来の意味できちんと届けてくれます。ちょっと油断すると見栄っ張りなアクセサリーのように扱われてしまう教養という言葉の、豊かでやわらかな、正しい気配を感じられるんです。子どもだけでなく、大人の心にも、教養の美しさが刺さります。

外伝は、イッパイアッテナが教養を身につけるお話です。当時は「イッパイアッテナ」なんて名前も、その他のいっぱいある名前もありませんでした。どんどん遠くへ歩いていける体力や聡明さはすでにありました。そんな彼が少しずつ世界を知っていきます。たとえばこんな風に。
そういえば、東西南北という方角だって、最初から知っていたわけじゃない。
(中略)
とにかくおれは、寒かったから、太陽のあるほうに歩いていったのだ。太陽にちょっとでも近ければ、あたたかいだろうと思ったのだ。
ところが、朝、太陽は東にあって、夕がたには西にしずむ。
それは、あたりまえのことで、教養以前の常識だが、そんなことも最初はわからなかった。
(中略)
あるとき、遠くにビルが見えるところがあって、朝、それは太陽の右側にあったのだが、いつのまにか左になった。そのときおれは、寺の屋根でのんびりしていたから、そのあいだ、こっちはほとんど動いていない。
ということは、遠くの高いビルが動いたのか? いや、そんなはずはない。だとすれば、太陽が動いたのだ、と、そう気づいた。
このイッパイアッテナの発見、なんだかゾクゾクしませんか。寄る辺ない子ねこが命をつなぐために、あたたかい場所を求めて、やがて太陽の動きや方角を観察して見つけていく。なぜ知識が大切で、学ぶことが大切かつおもしろいのかが、ねこの視点で語られていきます。
太陽にむかってずっと歩いていても、同じ方向にはいけない。太陽がおひるにはどのあたりにあるか見当をつけて、そっちにむかっていかなければ、あたたかい土地にはいけないのだ。
学ぶことは、生きていくことに結びついているんですよね。

さて、太陽の大切さはわかりました。では月はどうでしょう。イッパイアッテナは、月のことを最初は「気にしないでいい」と思っていました。月は、別にあたたかくないですもんね。でも彼はほどなくしてとても大切なことを月からも学びます。太陽の動きに気づいたときと同じくらいドラマチックで感動するので、ぜひ読んでほしいです。私が本作で一番「なんてこった!」と思ったお気に入りのエピソードでもあります。観察とひらめきで知性がどんどん立ち上がっていくさまが実感できます。

旅をする必要がある

食べものを手に入れるにはどうすればいいか、あたたかい土地に行くにはどうすればいいか、弱い者いじめをするようなねこにけんかをふっかけられたらどうするか、幼いイッパイアッテナは必死に考えて行動します。そんな彼に師匠と呼べる最初の存在が現れます。漁師町に暮らす、年よりねこの“シロ”です。
その町でのことをいちいち書いていたら、きりがないが、おれはけんかのしかただけじゃなくて、いろいろなことをシロに教えてもらった。
けんかのしかたといっても、かみつきかたとか、なぐりかたとか、はじめからそういうことをならったわけじゃない。
一か月くらいは、あいての攻撃のかわしかただけだった。
老練なシロと若いイッパイアッテナの粋な会話が楽しい章です。イッパイアッテナは、漁師町で栄養たっぷりのごはんに恵まれ、シロからはねこの社会と人間の社会や自然科学のことまで学び、やがて精悍な若ねことなります。でもその町は、「ルドルフ」シリーズでおなじみの東京の東側ではありません。
「おれはおまえに、教えてやれることはぜんぶ、教えたつもりだ。おまえがもっと大きくなるためには、いや、もっと大きくなるっていうのは、体の大きさのことじゃない、なんていうか、もっとりっぱになるためには、旅をする必要がある。(中略)この町を第一歩にして、旅に出たらどうだ」
そう、若者が、自分を育んでくれた土地を離れ、旅に出るんです。ではなぜ旅をする必要があるのでしょうか。そのことも、本作は教養を真ん中に据えながら、愉快に教えてくれます。「ああ、はるばるここに来て、これを見てよかった」と思うことは、どんなに時間がたっても風化しません。イッパイアッテナもそんな経験をたくさん重ねます。

そしてイッパイアッテナは「話がおもしろいと、かりにうそがまざっていても、気にならないということだ」と考えたりするようになります。これも、斉藤洋さんらしい、チャーミングな教養のひとつだと思います。

どんどん遠くへ旅をして、危ない目にもたくさん遭って、やがて“ある人”と出会ったイッパイアッテナは、ついに文字を覚えることになりますが、これが本当に大変! 人間の私たちにも「漢字テスト」などで覚えがあるはずですから、このときのイッパイアッテナの苦労はよくわかるはず。もうね、ちょっとやそっとじゃ身につかないんです。

ちなみにイッパイアッテナが四苦八苦して最初に覚えたひらがなは「し」です。のちにイッパイアッテナがルドルフに教えた最初のひらがなは「あ」と「い」と「う」でしたが、なぜイッパイアッテナの場合は「あ」じゃなくて「し」なのでしょう。ぜひ読んで確かめてください。

ところで「ルドルフ」シリーズには、読んだ人だけが知っている、この世の人間ならばだれもが仰天するような、とっておきのひみつがあります。本作も、エピローグから斉藤洋さんの「あとがき」まで、愉快なしかけがたくさんありますよ!

レビュアー

花森リド

ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。

X(旧twitter):@LidoHanamori

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