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2026.08.14

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なぜ日本人は「空気を読む」のか。職場、SNS……“同調圧力”の中でしなやかに生きる戦略

「空気を読む」という表現は、日本語にしかないらしい。

正確に言えば、他の言語にも似た表現はあるようなのだけれども、日本語ほど日常的かつ当たり前に使われる言葉は、ほかに存在しないようだ。
しかし私たちは、この言葉を処世術の一つとして日々気にしながら暮らしている。
脳科学者の中野信子氏が「空気を読む」ことの正体を解き明かした同名の新書が、大幅な加筆を経て単行本としてリマスターされた。それが本書『新版 空気を読む脳』だ。

本書が面白いのは、「空気を読む」という普段我々がほぼ無意識に行なっている行動を、根性論でも道徳論でもなく、脳科学と遺伝子の話として説明している点である。
日本人は、脳にあるセロトニントランスポーターの密度が低いタイプが、世界でも一番多い部類に入ります(量を決める遺伝子にバリエーションがあり、産生量が少ないSS型という遺伝子型を持つ人の割合が日本人に多いため)。
セロトニンは幸福感や安心感に関わる神経伝達物質で、不足すると不安を感じやすい性質を持つという。私が調べたところによると一方でSS型を持つアメリカ人は約20%にとどまるとのこと。
これだけでも、日本人がいかに「不安ベース」で生きているかが見えてくる。

さらに本書では、オキシトシンの二面性についても触れている。「愛と信頼のホルモン」と呼ばれるオキシトシンは人と人の絆を作る物質で、共同体の結束を高めると同時に、共同体のルールを破ったり、「自分たち」以外や、仲間でも異質な人への攻撃性や排他性を強めるという。仲良しグループだったのが仲間をいじめたり、よそ者に冷たいのはなぜだろうか。それはこのホルモンによる作用らしい。
数字と物質のエビデンスを突きつけられてしまうと、「空気を読む」は美徳ではないのかもな、と感じてしまう。少なくとも、脳科学の視点からは、美徳とは「言えない」ものに見えてしまう。

新版で最も印象的に加筆されているのが、「生贄」のメカニズムの体系化だ。
我が国において集団の中で誰かが排除されるとき、その対象の人には決まって3つの「罪」が帰せられる。不信の罪・傲慢の罪・逸脱の罪、だ。
みんなの中にある不文律を逸脱するような行動や考えを示すことである。
きっと、本書を読んだ社会人のかたは、あの会社だとか、あの団体だとか……、具体的な組織名とかそこにいる人の名前が浮かんでくることだろう。自分の勤め先の困ったあの人とか、学生時代のアイツとか。あの人が敬遠されたのは、この3つのどれかに当てはまるからだったのか、と。

そんなルールとも言える「空気」の支配力については、3つの要素が挙げられている。
責任の不可視化・論理の無効化・臨在感的把握、だ。前の2要素は文字面から想像しやすいと思うが、3つ目の「臨在感的把握」という概念は、目に見えない空気がなぜあれほど強く人を縛るのかを説明する鍵となる概念である。
「特定の対象に『霊的な何か』が宿っているように感じ、それを絶対視してしまう心理のこと」で感情的な一体感がつくり出され、それに論理では反論できず、逆らえないものといえばいいだろうか。
このような感じで、空気というルールに感じる感覚の正体を浮き彫りにしてくれる。なるほどなあ。

本書で何度か読み返した箇所が、「褒める」教育についてだ。
「褒めて育てる」という考え方が広まって久しいが、心理学者マーク・レッパーの実験では、それが逆効果になり得ることを示しているという。
実験は、子どもたちに絵を好きになってもらうにはどうしたらよいか、というテーマのもとに立案されました。子どもたちをふたつのグループに分け、片方のグループには「良く描けた絵には素晴らしい金メダルが与えられる」ということを前もって知らせておきます。もう一方のグループには、メダルが与えられるという話は一切しないでおきます。
この操作のしばらくあとに、子どもたちのグループそれぞれに、実際にクレヨンと紙が渡されます。そして、子どもたちがどれだけ絵に取り組んでいたか、取り組んだ時間の総計と課題に傾ける熱心さを観察します。
すると、メダルを与えると伝えた子どもたちのグループは、メダルのことを何も知らなかった子どもたちよりも、ずっと課題に取り組む時間が少なかったのです。
あたかも報酬を与えることそのものが、子どもたちを絵から遠ざけることになってしまったかのような結果でした。
絵を好きになってもらうために、良かれと思ってごほうびを約束したことが、かえって逆効果になってしまったのです。グループを変えて何度実験してもこの結果は変わらず、データには再現性がありました。
もちろん「褒めるな」という話ではないと思う。どう褒めるか、何のために褒めるか、という問いへの一つの回答だろう。

そして日本人の幸福度の低さと長寿のパラドックスについても、本書は触れている。
長生きなのに幸福度が高くない。それも、SS型遺伝子の多さと無関係ではないのかもな、と感じる。
新版は、AIによって変化する社会への問いも大幅に加筆されているが、「空気を味方にする」3つのステップが具体的にいま効く処方箋として大いに参考になった。提示されるのは3つのステップだ。
ひとつ目は「ぬるま湯を注ぐ」。冷たい水を注ぐような急激な変化は空気の反発を招くからだ。ハレーションを起こすってやつですね。少しずつ、段階的に新しい空気を醸成していくアプローチだ。
ふたつ目に「二重構造の構築」だ。表向きは空気を読みつつ、内面には別の倫理体系を保持する。面従腹背の処世術のようにも見えるけれど、自分の軸を守るための構造だと読むこともできる。
みっつ目には「例外規定の獲得」。空気をあえて読まない、面白いやつというレッテルを先に確立してしまう。ルール破りを先制的にキャラクター化することで、逸脱を許容されやすくする戦略だ。〇〇なら仕方ないっていうポジションを自発的行動で獲得できればそれはもう「勝ち」ではある。

なるほど確かに「空気に負けるな」という精神論ではなく、空気の構造を知った上での、現実的な処方箋のようだ。
長く空気に苦しんできた人、あるいは、自分が知らずに空気を作り出していた側かもしれないと感じる人に、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。

レビュアー

宮本夏樹

静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。

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