言葉の力を解き明かす
脳科学者の中野信子さんによれば「まじない」とは「言葉の力」であるという。これもまた意外に感じるが、人間だけが持つ「言葉」は、時にその行動パターンを大きく変え、個人だけでなく集団、社会生活に大きな影響を与えている。例えば、ある意思決定は自分だけでしているようで、実は家族や友人、SNS、広告やウェブ記事、たまたま直前に目にした何かといったものにかなり影響されているはず……と中野さんは語る。
私たちは、物理世界に住んではいるけれども、その認知は言語によって形作られている。見えている世界は言語によって見え方が変わりもすれば、起きた事象がなかったことにもなり、何もないところに事件を作り出すことすらできてしまうのだ。夢で見た出来事と、過去に起きた事件は、区別が次第にできなくなっていく。脳の中では区別ができないのだ。このことを知って操ることのできる巧みな術者にかかれば、私たちの現実はたちどころに書き換えられてしまうだろう。
悩みや問題に対し、科学的なアプローチをとる人がいる一方、神社仏閣にお参りするなどの儀式を「咒」として行う人もいる。それをスピリチュアルな、非科学的な行動と思う人も多いだろう。しかし、科学的アプローチにしても咒にしても、まず求められるのは自分の望みを具体的に言語化することだ。
冒頭に記した「おまじない」にも、「いいことがありますように」「では、いいことって何だろう?」「どういう状態になれば私は幸せなのか?」という言語化プロセスが確かにあった。
自分の望むことを具体的に整理し、言語化を通じて認知する……。これは、思い通りにならない何かを、どうにか意に沿う形にしたいと願って行う振る舞いだと定義でき、定義を持った「咒」は科学的に分析する対象に一歩近づく。
本書は脳科学の観点から、言葉とは、そして私たちの脳にかけられた「咒」はどんなものなのかを解明する。
呪いで人は殺せるか
「呪詛の力で人は死ぬのか?」に対する答えは「そういうこともある」なのだが、ここには「呪いが原因とされる突然死」の実例が掲載されている。私たちの「発する言葉」「信じること」が心身に与える影響がどれほど大きいことか。外傷を与えずとも、ほんの些細なイタズラが人の命を奪うこともある。
ではポジティブな「咒」、例えば「願いをかなえる」には「有言実行」「不言実行」どちらが効果的なのだろうか? 当然「有言実行」だろうと考えていた私にとって、ある実験の結果から導き出された結論は意外なものだったが、その考察を通じて「言葉が現実を書き換える様子」を見ることができる。
本書の様々な例を通じて、言葉がいかに私たちに影響を及ぼし、意思を揺るがす「咒」であるのかを深く理解することができる。
本書はWebメディアで発表されていた連載をまとめたものなので、「快楽」「ルッキズム」といったトピックスを脳科学の観点から語るパートもある。「言葉」とは関係が薄いように見えるが、美醜や社会の評価がいかに私たちの無意識に刷り込まれ、それが脳の判断にまで影響を与えているかを思うと心がざわつく。
これらに関する思考の際に脳内で再生される言葉もまた私たちに影響を与えることを思うと、十分「咒」として機能するテーマだと言えるだろう。