本書は建築史、都市文化論を専攻する工学博士の著者が、さまざまな媒体で発表した文章をまとめた『ニッポンの塔――タワーの都市建築史』(河出ブックス、2012年)のリニューアル版。「物見の塔」「公共の塔」「電波の塔」といった章タイトルで、日本各地にそびえ立つタワーについて語られる(いまや現存しないもの、外国のものも含む)。
その構造、その魅力、その機能などはそれぞれに異なり、それらの個性が我々の心をくすぐり、揺さぶり、感動させる。人はなぜタワーに惹かれるのか?という根源的な理由についても考えさせてくれる一冊だ。
タワーは、高みからパノラマ的な光景を見てみたいという私たちの欲求を実現させてくれる装置である。
もっとも前近代の社会にあっては、塔の上から市街地を見晴らす行為は、大衆に許されたものではなかった。文明開化の時代を経て、都市が近代化される過程にあって、都市に展望所が建設されるようになり、ようやく誰もが簡単に「空中の視点」を得ることができるようになったのだ。
山里から遠く離れた都市部に住む庶民が、気軽に高所からのパノラマ視点を手に入れたのは、考えてみればつい最近のことだ。その眺望が特権階級に独占されていた時代は終わり、かつての城下町の平民=都民でも、誰もが塔の上に登って都市の全景を眺められるようになった。そんな視点を手に入れた民衆を、いまさら徳川幕府のように上からの圧政で服従させるなど時代遅れもいいところ、という思いにも自然に導いてくれる。
高所からの眺望、モニュメントとしての威容や美しさといったシンプルな売りを前面に押し出したタワーにも、それぞれ魅力はある。だが、膨大な建築労力、敷地面積の確保といった労苦を伴う以上、なにがしかの機能がないと、この国では成立しにくい。必要性と美観の双方を兼ね備えたタワーの代表格が、やはり東京タワーだろう。電波塔の役割と構造の美しさを伝える本書の文章は、改めてその魅力を再認識させてくれる。
電波塔は、じつに機能的なタワーである。寺院や教会の塔のような聖性も、天守閣や城塞の塔のような威圧感も必要ではない。本来の役割は、ただひたすら空に高くそびえ、特定の通信を遠くに送り届け、また地上にあまねく電波を送り続けることにある。
もちろん抜きん出るその高さゆえに、大都市の電波塔では、しばしば展望所が設けられる。またその存在感ゆえに、モダンにデザインされ、夜は照明で美しく彩られるのが常だ。しかしその骨格はあくまでも、垂直方向に伸びる構造体である。
今日において、少なくとも日本で暮らす私たちは、芝公園にそびえる電波塔を、パリの先例の模倣とはみていない。むしろ、古きよき戦後復興のシンボルとして意味づけをなし、その存在を理解している。かの鉄塔を眺める際、エッフェル塔の模倣とは微塵(みじん)も感じることなく、東京という都市が生んだ独自のランドマークとして意識するのだ。
また、かつて新世界に存在し、初代通天閣とともに栄華を誇ったテーマパークの先駆け、ルナパーク(1912年開園)にまつわる記述も熱い。
「新世界」は、しばしば大阪の「新名所」として宣伝された。とりわけその中核にあって評判を取ったのが遊園地ルナパークである。「月の楽園」という名称は、ニューヨーク郊外にあるビーチリゾート「コニーアイランド」にあって、大衆的な娯楽を都市住民に提供し、大人気を博していた遊園地に由来する。本家は、名前のとおり月世界旅行という物語を疑似体験できるアトラクションを園内に配置する新趣向の娯楽場で、今でいうテーマパークの原形のような施設だ。
ルナパーク内には、通天閣と向かい合うかたちで、ホワイトタワーというもうひとつの塔が建設された。北欧の塔をイメージしたというが、塔内にはアメリカの流行神ビリケンを祀る堂があった。ふたつの塔のあいだはロープウェイ「釣金渡し」で結ばれていた。
戦後、町のシンボルの復活を望む大阪市民の熱い支持を受け、1956年に二代目通天閣が再建されるまでの物語も、すこぶる熱い。阪本順治監督の『王手』(1991年)をはじめ、数々の映画やドラマに登場してきた通天閣と新世界は、大阪に行くとどうしても足が向いてしまう「劇的な町」のひとつだ。
本書には、建築・都市文化の専門家である著者ならではの視点、「これもタワーに入るのか」と驚くような視点も多く含まれる。「ひとがたの塔」の章で取り上げられる、茨城県の牛久阿弥陀像(牛久大仏)、大阪万博記念公園の「太陽の塔」(最近では『タローマン』に登場する奇獣としてもおなじみ)などはその筆頭だ。
視覚面だけでもじゅうぶん圧倒的なモニュメントに「内部構造」を与え、建築としての個性や機能も展開させることで、ひとくくりにはできない魅力が発生する。もしかしたらそれは、シンプルで明解な評価を遠ざけ、キワモノ扱いすら導くかもしれない。だが、そこがいい。それこそが個性でなくてなんだろう、という視点には頷くばかりだ。
「外から見ると彫刻であり、内から見ると建築であるといわざるを得ない」巨像の評価について、著者が正直な迷いも告白しながら綴る主張が感動をさそう。みうらじゅんや宮田珠己らの評価眼にも近いかもしれない。
だからこそ、その扱いは難しい。たとえそれがいかに立派であっても、立体造形と建築、それぞれの専門家の評価は低いはずだ。その境界性ゆえにおとしめられることはあっても、高められることはあるまい。世の建築評論家たちは、面白い構築物だが、しょせんキッチュであるとけなし、まともに語ることもない。
しかし、いかに美術的に、あるいは建築意匠としての評価が低くても、その存在感は圧倒的に大衆の心を打つはずだ。一九世紀末から二〇世紀にかけて、建築技術の発展とともに、いくつも建造されるようになったこの種の建築物を、近代という時代が生んだひとつのビルディングタイプとして再評価してもよいのではないか。
ドバイは、西南アジア、南アジア、アフリカといった圏域にあって、さまざまな分野の中枢性を担おうとしている。上海やシンガポールなどとともに、高い志を持って、新世紀を担う世界都市を目指す都市間競争に参画したとみてよいだろう。
ドバイでの出来事を、オイルマネーに依拠しつつ、世界中どこにでもあるような巨大都市がまたひとつ建設されたという評価にとどめてはいけない。わずか三〇年程度の時間で砂漠に出現した摩天楼群は、イスラムの文化圏から世界に通用する普遍的な価値を新たに創出しようとする試みである。西欧文明とは異なる文化的バックグラウンドを背負った、これまでにない都市文明がここに萌芽しているとみるべきだと考える。
なお、今回の学術文庫版での再刊に際し、あとがきに書き加えられた「実現しなかった章」についての記述も興味深い。送電鉄塔、送信塔、吊り橋を支える主塔などを含む「社会基盤の塔」や、計画だけされながら実現に至らなかった「幻の塔」など、いまからでも続編で実現してほしくなる内容だ。







