PICK UP

2026.06.15

レビュー

New

大阪人はなぜ秀吉が好きなのか──どのへんが刺さるのか? 揺れ続ける「秀吉像」に迫る

アイドルとしての豊臣秀吉

直球なタイトルの本だが、これがすこぶる面白い。大阪人が読めばもちろんのこと、「大阪人の東京への対抗心とか、どういうメンタル?」と思っている方も、楽しめると思う。
恐らくこれまでイメージされてきた秀吉像とは違うものも登場することだろう。でもいかようにも塗り替えることができるのが秀吉の魅力であり、その融通無碍(ゆうずうむげ)さこそこのまちの真骨頂なのだと思う。
と、本書のまえがきにある。現在の秀吉像は、NHK大河ドラマで繰り返し描かれてきたそれで定着しているけれど、その評価は江戸時代から近現代にかけて大きく変化し、大阪人はそれに乗っかって大いに踊ったり、無視を決め込んだりした時代もあった。それでも大阪人が「やっぱり太閤さんが好きっ!」ってところに回帰していくところに、なんだか年季の入ったアイドルファンのような気質を感じることだろう。

知人に「お江戸の景気はどうよ?」とか、実にネットリと嫌味な感じを含ませ、執拗なくらい東京を「お江戸」と呼ぶ大阪人がいる。それはなんのソースにもならないけれど、大阪人のアンチ東京の根源は、アンチ徳川にある。大坂冬の陣、大坂夏の陣の戦火で荒廃した大阪を復興させたのは「おれら大阪人!」という民衆の自負。一大経済圏・大阪に対して権力者としてのメンツを誇示しながら、一方でかなりの気づかいをみせた徳川幕府の政策。そうしたものが大阪人に、表面的には権力者に従いつつ、内心では反発する「面従腹背」の姿勢を育んでいった。
それを一気に表面化させたのが、元禄年間の町人文化の隆盛。木版印刷技術が広がり「太閤記もの」と呼ばれる書物が大流行し、それをもとに人形浄瑠璃や歌舞伎で演目化されて人気を得た。つまり、ここで太閤さんはポップアイコン化したのだ。

そして時代は明治へ。まだ江戸城の開城も済んでいない時期に、明治天皇が大阪に行幸する(このとき、大阪がワンチャン首都になる可能性があったというのが、また大阪人をくすぐる)。このときに木戸孝允が草稿を書いた詔勅が出るのだが、これがクセモノだった。
天下統一の偉業を果たしたどころか、天皇の威光を海外にまで広めるなど国家に大功績があると秀吉を称賛し、列強がしのぎを削るこの時代において「豊太閤其人之如き英知雄略の人」が国家の発展をもたらすと再評価した。
明治新政府として徳川サゲの豊臣アゲに走るのは分かる。そこでさらに秀吉の朝鮮進出である文禄・慶長の役を「天皇の威光を海外に広め」た、として位置づけた。これをきっかけに、豊臣秀吉は日本政府の大陸進出という野望の神輿に担ぎ上げられたのだという。

大阪人としては、どんどん評価が高まる豊臣秀吉に「我らが太閤さん!」と鼻高々だっただろう。同時に、政府や軍といった権威を笠に着たモノは嫌い(そもそもアンチ東京だし)というのは変わらなかった。この複雑な心情を、徐々に撚りまとめていったのが、大阪の財界人であったり、秀吉の没後三百年を期に行われた「豊太閤三百年祭」(明治31年)という一大イベントだったりしたことは興味深い。昔も今も大阪人は、万博とか一大イベントは必ず肯定的に捉えるのだ……。本書は、そうして秀吉は「軍神」化され、それを受け入れる大阪人を明らかにしていく。

大阪城は大阪人の城

前から関西人として、「大阪人の太閤さん好きは理解できるが、大阪城への愛着はわからん」と思っていた。姫路城至上主義の播州人にとって「あんな鉄筋の城、パチモンやん」と思っていたからだ。実際、豊臣秀吉が創建したときの天守閣は黒漆塗りで、江戸幕府が再建したのは白漆喰、昭和に立てられたのは緑瓦の鉄筋コンクリート造り。創建当時の面影は、ほぼない。そんな大阪城再建の旗を振ったのが名市長、関一。大阪に長く住んだ者として、御堂筋の拡幅工事と地下鉄御堂筋線を通した剛腕の男と言われたら、その先見性に尊敬しかない。そんな剛腕市長でも難しかったのが、大阪城再建だった。なぜなら、大阪城を管理していたのが泣く子も黙る陸軍だったからだ。この難関に対し、大阪城再建を昭和天皇の即位礼の記念事業として位置づけるという奇策で陸軍から許可を得たという。

この天守閣の設計を指揮したのが、大阪市の建設課長。関市長から指示を受けたときのことを、こう振り返っている。
出来ることは出来ますが、成るべくは鉄筋或は鉄骨の永久的建物にしたい。それからもう一つは考証の方から云ったら随分六ヶ敷い(むつかしい)詮索もしなければならぬ、大体の所で非難のない程度のものを拵(こしら)えることにご承認が願われるならば仕合せであると申し上げた所、ご賛成になって尚よく取調べよとの事。
第一に「もう燃え落ちる城にはしたくない」。第二に「大体の所で非難のない程度のものを拵える」。ここを読んで、思わず「そんなに大阪城を建てたかったか!」と思わずにいられなかったが、それでも関市長はやっぱり「建てたかった」のだと思う。このとき、大阪は東京を上回る日本一の都市。そのド真ん中の大阪城に天守閣はなく、そこでふんぞり返っていたのが陸軍なのだ。「そこにおるべきは太閤さん!」と思ったに違いない。

秀吉時代の天守閣については、ほとんど文献資料が残されていない。日本全国の城を片っ端から調べ上げ、それを図面に落とし込むのは城郭建築に携わることなど夢にも思わなかった建築家。実際に施工したのは地元・大阪の大林組。今や巨大ゼネコンの大林組だが、城なんて建てたことは……当然ない。そんな膨大な数の人間が「私が思う大阪城はこうであるべきだ」とした城が、今の大阪城なのであれば「あんな鉄筋の城、パチモンやん」という言葉は撤回せざるを得ない。ここまでの思いがあっての大阪城を揶揄するのは失礼だ。大林組の工事主任がこう語っている。
〈そらもう(軍が)やかましゅうてね。材料は舟で京橋にあげ、京橋門から入れたんですが、当時はあそこが兵器廠でしたからそらアうるさい(後略)
〈何しろ後世に残るものですからあとで笑われんように念を入れました。(中略)
屋根瓦も樫で形をつくってボルト留めしてから銅板の瓦を打ちつけてますから今までの台風でも一枚もとんでまへんやろ〉
かつての権力者が、その権勢を誇示するためではなく、近代の大阪人が欲して建てた大阪城には、大阪人の魂や誇りが宿っているのだ。本書の冒頭で、上沼恵美子の「実家が大阪城」というホラ話が紹介されているのだが、それは大阪人全般に「ウチの実家も大阪城」という“うっすらとした認識”があるからウケるのではないかと想像すると、ちょっと痛快だ。

レビュアー

嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

こちらもおすすめ

おすすめの記事

レビュー

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目! 秀吉の弟、秀長はスゴイ人だった!!

  • 歴史
  • 学習
  • 花森リド

レビュー

花街はなぜ生まれ、いつ消えた? 人間たちの欲望の正体と、近代都市形成の秘密

  • 文化
  • 歴史
  • 奥津圭介

レビュー

大坂堂島米市場「世界初のヴァーチャル売買」が江戸時代に実現した理由

  • 経済
  • 野中幸宏

最新情報を受け取る

講談社製品の情報をSNSでも発信中

コミックの最新情報をGET

書籍の最新情報をGET