江戸時代に「天下の台所」と呼ばれた大坂。大坂には諸藩の蔵屋敷が設けられ、米だけでなく各藩の特産物も集められ、商業、物流の中心地となっていました。大坂の活況のさまは井原西鶴の小説でも取り上げられています。
この大坂の地に現代にも通じる市場が成立していました。それが海外でも「世界初の組織的先物取引市場」と評価される優れた市場、堂島米市場です。
この本はこの市場がどのようにして生まれ大きくなっていったのかを描き出した力作です。大阪で生まれたこの市場経済は現代に通じる「先進的な金融取引」といえるものでしたが、活況を呈した裏ではまたさまざまな問題も生じていきました。
活発な市場を生み出した「米切手」
大坂が米市から米市場へと拡大できた大きな要因は「米切手(こめきって)」という手形の取引が常態化したことにあります。
米切手の発行・流通をあらわした表があります。
大坂の米市は、ごく初期の段階から、米そのものを売買する市場ではなくなり、手形で売買する市場になっていた。
「米の保管場所を気にしなくて済む」等の手形(米切手)の利便性は商取引にうってつけで、大坂では早くから手形が取り扱われていました。手形取引が市場を大きくしていったのです。
米の売買をする商人にとって、手軽に売買する米切手は便利だし、発行する大名にとっても、代銀を全額支払ってもらえさえすれば、あとはどれだけ長く米切手が売買されても問題はない。
信用創造をもたらせた米切手
流通した米切手は、当初は現物(米)取引の代用でしたが次第にその性格を変えていきます。米切手が「信用創造」というものを市場にもたらせたのです。これは諸刃の剣です。必ず米と交換できるということには、売り時・買い時という機会の利益が生まれてきます。米切手は「全てが直ちに米俵との交換を要求されるわけではない」からです。
たとえば米切手の信用を基に、大名は資金調達のために、大坂の「在庫米の量以上」に米切手を発行しました。「米価の頭打ち」により、米に支えられた諸藩の経済は資金繰りに苦しめられ、その打開策(?)として、米切手が濫発されました。また市場ではいまでいう先物取引も行われるようになりました。(この経緯は本書第5章に詳述されています)
こうして過熱した市場で問題になる事象が頻発してきました。その大きなものが「空米切手」の発行です。
※空米切手とは「米との交換が延期ないし拒否される」「米の裏付けがない米切手」のことです。
この「空米切手」の取り扱いは、藩(武士)と商人との争いとなり、大坂町奉行を巻きこんでの騒動となったのです。これは江戸幕府にとってゆるがせにならないものでした。(市場)経済活動で重要な「信用」というものが毀損されたからです。
幕府は「空米切手停止令」を発令します。なによりも米切手の信用回復が第一だったのです。「市場に空米切手は一枚もあってはならない」という原則の徹底化を図りました。これによって、米と交換可能な「米切手」のみになると考えたのでしょう。過剰発行された「米切手」を市場から撤退させ、本来の健全な手形取引に戻すことをもくろみました。
蔵米の引き渡しが行われると期待できるからこそ、全ての米切手は蔵米と裏付けがあるものとして授受・売買される。これこそが、大坂米市場が、貢租米という商品の取引市場としてのみならず、金融市場としても機能しえた、基本的な構造だったのであり、それを支えた法令が空米切手停止令だったのである。
米切手の信用危機の対策が堂島米市場を金融市場へと大きく飛躍させることになったのです。幕府の強引な政策と「空米切手」処分という市場介入は、一時は市場の健全化に成功したかに思えます。
幕府の市場介入
けれど大きな問題が残っています。それが「米価低落問題」です。幕藩体制はその財政基盤は米年貢に負っていました。米価が低落すれば藩財政の悪化につながり、資金繰りのため米切手の空米切手化も引き起こします。といって米価の上昇は「社会的不安を惹起」しかねません。米価安定へ向けての幕府の舵取りが重要な政策となっていきました。
幕府は先の「空米切手停止令」を含めて米市場へ積極的な介入を仕掛けます。
空米切手停止令によって米切手の安全性を高めて米切手の買持ちを促進する。それだけでは足りぬと、大坂市中から融資を募り、そこで得た資金を、町を通じて米切手市場、大名金融市場に投下することで、さらなる米価上昇と領主階級の資金繰り改善を図る。
この宝暦年間の政策をはじめとして幕府はさまざまな市場政策を実施します。その経緯と政策の諾否、効果は第九章に詳述されています。今に通じる政府の市場介入のあり方として興味深いものがあります。さらに続く章では市場に大きな影響力を及ぼす通信事情について、江戸時代の「旗振り通信」とその禁止に触れています。いち早く相場の情報をつかもうと苦心するさま、飛脚以外の手段を禁じる幕府の政策、さらそれをかいくぐる知恵(?)の追いかけっこも興味深く綴られています。
近代を準備した江戸時代の町人エネルギー
かつて、江戸時代は近代以前の暗いイメージで語られてきました。強固な身分制度に縛られた息苦しく不自由な時代。なにより変化を恐れる頑迷固陋な支配層(武士等)による強圧的な政治、奢侈禁止等に代表される一方的な町人文化への抑圧……。江戸時代はそう語られてきました。
けれど、近年ではさまざまな江戸再評価があります。250年に及ぶ平和(パクス・トクガワーナ)、町人文化の爛熟、寺子屋等での教育の浸透による識字率の拡大、儒学の合理的思考の再評価とその刺激を受けて国学、蘭学(洋学)などの学問が興隆したなどが着目されています。この再評価には江戸が近代を準備した時代という視点があります。考えてみれば当然ですが、いくら黒船が来たからといっていきなり「近代」にジャンプすることができるわけはありません。
この江戸時代が持っていた町人・商人を中心としたエネルギーのありさまを描き出したのがこの本です。当時の文献、絵図を縦横に使って大坂の米市場を描き出したこの本は江戸の活力を活き活きと私たちに教えてくれています。江戸の再評価を含めていろいろな読み方ができる本です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
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