まず、愛着障害の簡単な定義について、本書の冒頭から引用しよう。
愛着とは「特定の人と情緒、感情、気持ちで結ばれるこころの絆」と定義されます。これはいわば、自分にとって特別な意味を持つ人との「つながり」を十分に感じられる、ということです。普段はあまり意識されませんが、私たちはこの絆があるから感情豊かに、かつ意欲的に生きていくことができます。
ところが何らかの事情により、十分な絆が結ばれないままになることがあります。そのような愛着形成不全の状態が「愛着障害」であり、こどもが示す数々の「してはいけない行動」(不適切行動)の背景には、この愛着障害があることが多いのです。
愛着障害は他者との関係のなかで起こる後天的な問題であり、「生まれつき愛着障害のこども」はいません。
よく知られているように、自閉症は「自閉症か否かという二元論は不適切」という共通認識が世界的にできたことで、スペクトラム(連続体)と考えられるようになりました。だから現在では「自閉スペクトラム症」という言葉が使われています。
これと同様に私は、愛着障害もスペクトラムとして捉えるべきだと考えています。「愛着障害か否か」ではなく、愛着の問題も連続体として考えるべきなのです。
以下は、愛情障害の特徴を示した図表。これらの行動に心当たりのある周囲の大人には、ぜひ参考にしていただきたい。
なお、こどもの気持ちと言動を見るにあたって、ひとつ気をつけたいことがあります。
こどもを観察する際には、ある行動が「出ているとき」だけでなく、その行動が「出ていないとき」にも目を向けるようにしてください。「出ているとき/いないとき」の両方を見て、初めてパターンがつかめるからです。
しかし支援が完了するまでの過程のなかで、大人との間に関係性がだいぶできてきた頃、なぜかもう一度、試すような行動が起こることがあります。支援者のみならず、実の親に対しても同じような現象が起こることがあります。
支援が後退したかに見えるこの現象について、私は養護施設や学校の先生、里親さんから相談にあずかることが多いのですが、実はそこを乗り越えるとこどもが劇的に成長することがわかっています。
この行為は、自分にこどもが最終試験を課してきたと思うべきものです。これを乗り越えるととんとん拍子に成果が積み上がっていきます。ですので落胆せず、むしろ成功の証と捉え直して支援を続けていただくことが大切です。
メッセージ性の高い文章のなかには、図らずも著者の「遺言」のように読めるところもある。そのなかから、ある厳しくも感動的な一節を抜き出してみよう。これも、その真意をきちんと汲み取ろうと思うなら、実際に本書を手に取ってみてほしい。
大事なのは、こちらがいくら愛情を注いでいるつもりでも、それをこどもが愛情と感じなければ愛情ではないということです。愛着を愛情と勘違いするなとおっしゃる愛着の専門家がよくおられます。愛着と、注ぎ込む愛情とは違う、というご意見ですが、愛情を一方的に注ぐものだと捉えるのは間違いで、愛情はかかわりからこどもが感じるものです。そして愛着の絆をとおしてこどもが愛情を感じ、関係性を意識して感情発達していくことを含めて「愛着形成」と捉えなければならないのです。







