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2026.03.19

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死んだら自然に還りたい。風葬・土葬から樹木葬・循環葬まで──『日本の自然葬』

風葬、土葬、散骨、樹木葬、循環葬……日本にも、自然の力を借りて死者を葬る「自然葬」が、さまざまなかたちで存在する。ただし圧倒的にポピュラーなのは火葬であり、地域によっては実質的に自然葬を禁じていることも少なくない。しかし、弔い方の選択肢として、火葬や墓所への納骨以外の道を考えたい人が、今まさに増えているという。

本書では、古来より伝わる沖縄の風葬や、北海道のアイヌの人々による土葬といった伝統的葬送、そして樹木葬や循環葬といった現代の自然葬までが幅広くとり上げられている。著者は、『土葬の村』『葬送の日本史』などの著作があるルポライターの高橋繁行。実際の儀式への参加、現地での聞き取り調査、新しい葬送のスタイルを模索する人々への取材を自ら行い、深い説得力で読者を「死者のいる場所」へといざなう。なお、表紙や文中に掲載された切り絵は著者によるもので、時代性を超えた民話的ムードを高めている。

第一章「今も残る風葬」では、沖縄県粟国島(あぐにじま)の断崖にある風葬墓所の情景がディテール豊かに描かれる。時間をかけて家族の死を実感し、喪失と別れを受け入れるというプロセスの大切さを思い知らされるような内容だ。また、自然の腐敗・分解力を用いるうえでの儀式的セッティングも興味深い。
目の前に野辺送りに参列した十数人の人びとがたたずめる平地が広がり、奥に墓所の入り口があった。入り口は、背丈ほどの高さのスペースに、十数個の自然石を石積みし密閉してあった。自然石を一つずつ取り除くと、風葬場所である洞窟内に入室できる仕組みである。
墓所の中には、手前の棺桶を安置する「シルフィラシ」というスペースが設置されている。シルフィラシとは「汁を乾かす」という意味で、文字通り、遺体が分解され流れ出る液体を乾かす場所ということだ。まさに、ここで風葬が行われたことを物語っている。
なお、自然葬は「手間の省略」「費用の削減」などとは真逆で、さまざまな儀礼や手順を伴うことが多い。同じく沖縄県の与那国島では、独特の声かけ・独特の装束・龕(がん)という神輿のような台を用いた野辺送りなど、非常に多くのしきたりを含んだ葬儀が行われ風葬から数年を経て「洗骨」というクライマックスが訪れる。その長大なプロセスの序盤だけ引用しよう。
いったんくいかぎ(声かけ)という魂呼ばわりを終えると、遺骸は「裏座」という場所に運ばれる。裏座は、普段使われることのない、閉ざされた、言わば秘密の間である。
これに対して仏間のある座敷は一番座という。裏座は、一番座の裏側にあるという。
なぜ裏座に運ばねばならないかというと、湯かんするためである。
「裏座に遺体を運ぶには、『ぐすぬいか』(後生の穴)という通り道を通らねばなりません」と前楚さんは言う。
後生の穴。なんとぞくぞくする語感なのか。湯かんのためだけに通る秘密の通り道を「後生の穴」と命名しているわけである。
写真付きで解説される「洗骨」のプロセスも見応えがある。墓所に収めた遺骸を数年の時を経て取り出し、ところどころに残る肉片などを近親者たちがこそげ落とし、泡盛で洗い、白布でていねいに拭き、きれいな骨にしていく。その一部始終に立ち会う著者の感慨にも、説得力がある。
眼前の人骨は生命力を保ち、横たわった。折り重なった頼りなげな手足の骨格、あばら骨、骨盤は儚(はかな)げに臥し、頭蓋骨ははにかみ微笑んでいるように見える。生まれたての命。新たないのちの復活という言葉が浮かんだ。
正直、私は、これは風葬か土葬かといった途中抱いた疑問はどうでもよくなった。これこそ正真正銘、自然の循環のサイクルを活かした「風葬」なのである。
第二章「アイヌの土葬」もまた、アイヌの人々が死者をあの世へと送り出す際の儀式のスケールの大きさ、ていねいさに驚かされる。「カソマンテ」という炉端や作業場を設けた儀礼用の仮小屋を丸ごとひとつ作り、葬儀後には燃やしてしまうという風習もすごい。現在、それらの儀式を受け継ぐ者はほとんどいないというが、それこそまさに「文化の剥奪」ではないかと思わずにいられない。漫画『ゴールデンカムイ』でアイヌの生活様式に興味を持った人にもぜひ読んでほしいくだりだ。

ひとつ例を挙げれば、副葬品をすべて傷つけておくという風習が興味深い。アイヌ以外の人間が目撃したらギョッとする光景かもしれないが、その真意には奥深いアイヌの世界観がひそんでいる。
遺族や近親者、その場にいる人が集まり、故人の使っていたふとん、衣装、お椀、小刀などあの世に携えさせたい副葬品に、ハサミやナイフを当ててギザギザに切り刻んだ。
「副葬品はすべて切って傷つけておくんだ」とツギオさんは言う。なぜ傷つけるかというと、こうやってこの世では役に立たないものにすることで、逆にあの世で使える道具になると考えられているからだ。
「自分が愛用していたものを一緒に入れてくれなかった人を逆恨みして、家の人にいたずらをしかけたりする。だから、そういうことのないように、迷わずあの世へ行けるようにするのである」(『アイヌ、神々と生きる人々』)と藤村さんは書いている。
本書後半では、比較的近年に始められた自然葬のスタイルがいくつか紹介される。散骨、樹木葬、循環葬などだ。海、山、森林といった「自然に還る」ことを最終目的とした葬送は、エコロジーや土地問題、経済事情といった観点から見ても、合理的な方法のひとつといえよう。死者を悼む墓参に、窮屈な様式や息苦しい土地の狭さではなく、風通しのいい自然の循環を感じることができれば、どれだけ心が楽になるだろうか……と想像する読者も少なくないはずだ。

また、墓地のなかで遺骨として半永久的に閉じ込められることを避けたい人、死んでまで血縁や姻戚関係に縛られたくない人にとっても、それらは救いをもたらす解決策かもしれない。「孤独を重んじる」現代社会において、その選択肢は重要性をどんどん増しているように思える。

主に火葬を前提としつつ、自然葬スタイルで葬られた遺骨がどのように「自然に還る=分解される」かを細かく解説したくだりも興味深い。正しいプロセスで「自然に還る」ことを望むならば、葬送が「どうやっても他者に頼らざるを得ない作業」である以上(だって自分はもう死んでいるのだから)、その方法もこだわりをもって精査しなくてはならない。そんな注意喚起も読者に与えてくれる。
生命の循環は、食物を産み出す生産者、それを食べる消費者と、死体の分解者の三者がいることで成り立っているといわれている。タンパク質、脂肪、でんぷんを作る生産者は植物。それを食べる消費者は主に動物だ。動物は植物を食べる草食動物、草食動物を食べる肉食動物という具合に食物連鎖によってつながっており、これで生態系の食うか食われるかの関係が成り立っている。
そこで忘れてはならないのが、生物の死骸や排泄物を食べる分解者という存在である。自然生態系において分解者は、遺体や排泄物に含まれる栄養分を循
環(リサイクル)させる重要な役割を果たす。
「生産者でも消費者でもない分解者の仕事って忘れがちだけれど、人間社会においてもこれからいちばん大事になるのではないか」と神戸大学の石井教授は言う。
本書の終章には「うんこと死体の復権を!」という衝撃的なタイトルが躍る。何事かと面食らう読者もいるかもしれないが、順を追って読めば説得力満点の痛快な内容であることは保証しよう。一見清潔な様式で凝り固められた弔いのあり方=「漂白された死の現場」への疑義は、きっと思ったより多くの現代人が抱えているだろうから。

自然葬とはつまり、自然と人間の関係を見つめなおす作業である以上、やがては自然科学の領域へとたどり着く。宗教的倫理や死生観、地域によって異なる葬儀文化についての本かと思って読んでいたら、まさかの意外な場所に着地する――そんな読書のダイナミックな楽しさを思い出させてくれる良書でもある。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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