著者はまず、こんな一言を紹介する。
「勝って騒がれるのではなく、負けて騒がれる力士になりなさい」
大横綱白鵬は、2021年夏場所を最後に土俵を去った。相撲の取り口も私生活も奔放だった朝青龍とは対照的に、優等生のように見えた白鵬。しかし、その歩みは決して称賛一色ではなかった。相撲界を揺るがした不祥事が相次ぎ、人気が低迷した時代、勝ち続けることで角界を支えたのは間違いなく白鵬だった。それでも彼は、次第に「日本人横綱誕生への期待」という空気のなかで、悪役のように見られていった。
勝ち続けるがゆえに、勝利そのものが評価されなくなる。勝って当然、負ければ非難される。白鵬が背負わされたのは、単なる強さではなく、「横綱とはこうあるべきだ」という曖昧で重たい規範だった。
本書で描かれる象徴的な場面がある。福岡国際センターでの稀勢の里との一番。真っ向勝負の末に白鵬が敗れた瞬間、会場には観客の「万歳」の大合唱が響き渡った。師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)によれば、翌日の千秋楽の朝、白鵬は稽古場に姿を見せず、ちゃんこにも手をつけなかったという。そして、ぽつりとこう漏らした。
「自分がやってきたことは何だったのか」
また本書には、角界の生活感や文化を伝える言葉も、ところどころに顔をのぞかせる。
たとえば、ブルガリア出身の元大関琴欧洲。来日当初の食事について、こんな言葉を残している。
「お米がダメでしたねえ。(米は母国でも食べるが主食としては食べない)砂糖をたっぷりまぶしたヨーグルトに入れて食べる『デザート』ですから」
しこ名にまつわる話も洒落が効いている。
「海のものとも山のものとも分からないものに、海だの山だの付けられるか」
名言はまだ続く。
「横綱は、みんな変わり者だよ。まともなのは、俺ぐらいだよ」(第61代横綱北勝海・八角理事長)
「人が綱を選ぶんじゃなくて、綱が人を選ぶんです」(第64代横綱曙)
「力士は(麻雀じゃなくて)花札だよ(略)ほら、脇がしまるだろ」(第52代横綱北の富士)
国技館の地下には食堂がある。そこで一緒に鍋をつついた時のこと。味に不満があったらしい。「ちょっと待ってて」と言うと、北の湖さんは熱燗2本鍋に注ぎ、しょうゆを足し、厨房から持って来させた砂糖も入れただろうか。汁を小皿にすくい、「どう?」。
段違いの味の奥行きに、「うまいですねえ」と思わず声を裏返すと、「でしょ?」とうれしそうに笑い、「食べて、食べて」。そして、わざと敬語で、ぼそりと……。
「自分は下積みが長かったもんですから」
あの時は汁を吹きそうになった。(中略)
切れ長の目から放つ鋭い眼光。現役時代から、チラリとどこかを見ただけで、「にらまれた」と勘違いされた北の湖さん。だが、おかみさんのいない地方場所ではテレビをつけっぱなしにしないと夜も眠れない寂しがり屋で、冗談ばかり言う人だった。
読み終えて、ひさしぶりに相撲を見に行きたくなった。娯楽の少なかった子どもの頃、テレビにかじりついて見ていた大鵬、北の富士、輪島、高見山、北の湖、千代の富士、若貴兄弟、曙……。好きな力士の名前を挙げ出すときりがない。だが、ここ数年は、ずいぶんと足が遠のいていた。
最後に、桟敷席を行き来する案内係、「出方(でかた)」の言葉を紹介したい。
「ジーパンはいて、リュックを背負ってちゃねえ。和服で来てくれとは言わないけれど、客自身も大相撲の風景にならなきゃ」
「日本人は年を取ると相撲が好きになる」と、本書にはある。うん、わかる。ここのところ、急に関心を持ち始めている。
老後の推し活に、両国へ通うか。そんな気分にさせてくれる、相撲という文化の奥行きを、言葉の力で味わわせてくれる一冊だった。







