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2025.12.22

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なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか。銀行員たちの知られざる奮闘記『太平洋戦争と銀行』

太平洋戦争を「銀行」の視点から振り返った、実に興味深い一冊である。著者は住友銀行勤務を経て、防衛省防衛研究所主任研究官となった経歴の持ち主。先の大戦において金融政策という面で大役を果たした銀行の動向を追うミステリアスな歴史書でもあり、現代の戦争における銀行の役割を知ることができる、未来にも通じる一冊でもある。

確かに、銀行は戦争という非日常的状況においても、非常時とは思えないような冷静さで業務にいそしむ不思議な組織だ。秩序の保持やリスク回避といった職業モラルも「戦争」の実態とは正反対でありながら、彼らは最大のクライアント=国家のために戦費調達に邁進したり、世界各国を飛び回って調整役を務めたり、あるいは個人相手の窓口業務を継続したりする。その矛盾をプロ意識で押し固めるかのように、国家とともに破局へと突き進んだ。

本書は、計り知れない犠牲と損失を積み上げた太平洋戦争において、銀行が行ってきた事業、各地で辿った命運なども克明に記していく。その怜悧な筆致は、国家の愚かしさも時にバッサリと斬り捨てる。不合理を許さない元銀行マンにとって、それは許容しがたい忖度や浪費に満ちた時代でもあったのだろう。
日本は戦争で形あるものを使い果たした。しかし国破れてバランスシートが残った。それどころか、戦争が終わって軍が戦闘行動を停止しても、バランスシートは放っておくとブレーキが壊れた機関車のように暴走し増え続ける。銃声が止んでも、財政・金融を預かる者たちには「バランスシートの精算」という大仕事が待っていた。まして外地では、連合国軍による接収や職員・その家屋の引き揚げという難題を抱えていた。
銀行員や企業経営者には説明するまでもないだろうが、バランスシートとは財務諸表のこと。企業にとっては、資産と負債、純資産のつじつまを合わせつつ明らかにする貸借対照表であり、銀行はそれらに評価を加えて融資などを図る。銀行自体にも金融政策の記録としてバランスシートはあり、もちろん国家も「国の財務書類」として毎年作成する。戦争中にも、国が投じた戦費(支出)や、銀行に集められた国債・預金などを記したバランスシートが作られた。下記は昭和17(1942)年と昭和20(1945)年の各銀行の状況を比較したものだが、まさに「暴走」と呼ぶにふさわしい、凄まじい膨らみ方をしている。
さて、戦争が勃発すると、外国で働く日本人の身には何が起きるか? 下記は1941年12月のアメリカ・ニューヨークにおける実例だが、現代でも場所や政治状況によっては起こりえないとは言えない。
昭和一六年一二月七日(現地時間)に日本が米英蘭に宣戦を布告すると、米国でも日系銀行は接収され営業許可は取り消しとなり、行員たちは連邦捜査局(FBI)に検束された。住友銀行ニューヨーク支店は、閉鎖の準備中に接収となった。もちろん香港やマニラのように、日本軍が占領して彼らが「解放」されることはない。
アメリカだけではなく、ヨーロッパ、南米、のちに占領下に置くアジア諸国、すでに実効支配下にあった満州、植民地化していた朝鮮や台湾、のちの北方領土に至るまで、日本の銀行(支行)は世界各地に駐在していた。職員たちはさまざまな状況下で、日本の敗戦後に至るまで職務を続けた。なかには敗走兵と行動をともにし、苛酷を極めた人の末路も記されている。

戦争は、国同士の関係性に亀裂を入れ、経済活動にも多くの制約をもたらす。そんな状況下での資金確保にはあらゆる工夫が必要であり、戦費の支払いも日本にとっては大きな課題だった。そのエネルギーと集金力には、ある意味、がむしゃらな努力を感じてしまうが、物資も戦力も致命的に欠乏した戦争末期の惨状を思うと、空しい無駄遣いと思わずにいられない。
本土が空襲を受けようが、外地に部隊が存在する以上、現地で戦費の支払いは続く。円は日本の占領地では、日本の軍事力を背景に一定の信任は得ていたが、それも戦争後半には怪しくなっていた。基軸通貨のドルやポンドは戦時には強いが、日本には持ち合わせがない。ましてこれらは、日本にとって「敵性通貨」だ。そうなると頼りになるのは「金(きん)」だ。金は時代を超えて、持つ者を裏切らない。
当時の日本にとって金入手の主な経路は、金鉱山からの産出(産金)と宝飾品などの供出(潰金)の二つだが、産金が八割近くを占めていた。そうやって入手した金を、昭和一九(一九四四)年には二二トンを国外現送したが、その内二〇トンは中国向けで、二トンは軍事技術供与の代金として潜水艦でドイツに送られた。
日本国内の銀行職員たちも、容赦なく戦火に巻き込まれながら、粛々と己に課せられた業務を続けるしかなかった。1945年8月6日、広島に原爆が投下されてからわずか2日後、市内の銀行が営業を再開したという逸話は有名である。
爆心地からわずか一四〇メートルの三和銀行広島支店では遺体の損傷があまりに激しく、亡くなった二五名のうち身元が確認できたのは一名だけだった。それも腰の部分にあった鍵束で個人を特定できただけだ。三和銀行では広島市内の三ヵ店合計で三八名が亡くなった。
しかし驚くことに広島市内のほとんどの銀行が、八月八日に日銀広島支店内に設けられた仮店舗で営業を再開した。
一方その頃、日本は和平仲介の望みをしぶとく託していたソ連から、無情にも宣戦布告を突きつけられる。ソ連軍が侵攻を開始した満州には、多くの日本人が取り残されていた。当時、NHKアナウンサーとして新京に家族と赴任していた俳優・森繁久彌の『森繁自伝』も生々しく思い出される。
ただ関東軍は弱体化していても、他の満銀関係者同様、彼もソ連の侵攻はないと思っていた。これは当時満州にいた民間人の共通認識だった。
それを見事に裏切る形で、八月九日のソ連軍侵攻が始まった。そうなると預金や有価証券を払い戻そうとして、預金者が一斉に銀行の窓口に押し掛ける、いわゆる「取り付け騒ぎ」が起こる。急激な物不足やインフレが予想されるので、現金を引き出して食料・燃料などの生活物資を早く買ってしまおうという動きだ。
満銀は中央銀行として、払い戻しへの対応をしなければならない。総行や分行(大型支店)から各支行に紙幣が運び込まれ、それが民間銀行に引き渡される。同時に中央銀行ではあるが普通銀行業務も行っていた満銀でも払い戻しに応じる。さらに総行や分支行では、軍・政府・その他政府関係機関などから寄せられる非常資金の払い出しにも対応していた。
満州銀行は押し寄せる避難民の払い戻しに対応するため、現金輸送にも奔走。こちらはまるで勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』シリーズの一場面のようである。
八月二〇日を五日ほど過ぎた頃、現金輸送班は行動を再開する。リュックサックに入るだけの現金を詰めて、満州人一般乗客に紛れるかたちで鉄路を東へ戻り、ソ連兵満載の軍用列車とすれ違いながら吉林まで北上する。現金が乗客の目に触れないように、彼らはほとんどの時間を客車の屋根上に這いつくばって過ごした。
8月15日以降、外地にいた金融関係者の仕事には、戦後の賠償を見越した債務処理も含まれていた。玉音放送を聞いて悲嘆に暮れている間もなく、とてつもないフットワークで活躍した人々がいたことに驚かされるが、戦争とはそういうものなのだろう。
終戦となると、戦地での債務処理を行わなければならない。第一章で触れた帳簿上の金融機関「外資金庫」は、中国親日政権(汪兆銘政権:汪兆銘は一九四四年一一月に病死しており陳公博が主席を引き継いだ)の中央銀行から、中国大陸で日本が支払う戦費を借りていた。
終戦に際して、これを精算しておく必要がある。日本が降伏すれば、親日政権も崩壊する。汪兆銘政権の支配領域を占領した連合国が、その対日債権を継承すると、日本に要求される賠償金額もさらに膨らむだろう。それを避けるためにも、汪兆銘政権が崩壊しないうちに、対中債務を弁済してしまうのがよい。
たとえば「戦争がしたくて仕方がない」類いの政治家に、こうした事後処理のリスクまで含めて戦争を考えている者がどれだけいるのだろうか。単に莫大な戦費が動く経済効果ぐらいしか考えていない夢想家がほとんどなのではないだろうか。下記の一文からは、戦争は終わってからもカネがかかる、ということがよく分かる(もちろん、この時点で戦後の復興費などは含まれていない)。この国に蔓延している「次はうまくやる」という好戦的思考からは、その現実が抜け落ちているのではないかと思わずにいられない。
戦争が終わって作戦経費の支出はなくなるが、終戦前に発注された軍需品の代金、終戦に伴う契約打ち切りに対する企業への補償金、軍人・軍属の給与、復員してくる兵士らの復員手当などの支払いが発生する。
これらは戦争経費なので、戦費と同じ「臨時軍事費特別会計」から支出される。終戦になってからの臨時軍事費の支払額はすさまじい。実際に戦争末期の昭和二〇年一~七月の支払額一六五億円に対し、八月と九月の二ヵ月だけで一九四億円にも達した。
とにかく内地でも大量の現金が必要となる。
先日の大阪・関西万博の工事費用未払い問題などを見ていると、いま戦争が起こっても、国は平気でいろいろ踏み倒しそうな気もする。事実、太平洋戦争においても、日本政府はGHQによって閉鎖された外資金庫と横浜正金銀行から、なんと414億円以上もの「臨時軍事費」を借りっぱなしのままだという。それを「うまい抜け穴」として捉えるような、恥知らずな為政者がいないことを祈るばかりだ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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