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2025.12.15

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恋の成就は権力に直結する!? 悲恋と邪恋、嫉妬が彩る中世武家社会の裏面史

英雄だって恋をする

武士といえば質実剛健、軍人として、あるいは政治家として優れている点に注目して語られがちです。当然だろうと思う反面、彼らも人間であったのだから、わたしたちと同じ側面を持っていたにちがいない、とは誰もが思っているにちがいありません。彼らだってうまいもん食いたいとか、イイ女とセックスしたい、というような下世話な欲望を持っていたはずなのです。
「英雄色を好む」の言葉もあります。英雄とされる人はすけべにたいする欲望もまた人一倍だったろうと考えるのはきわめて自然なことです。

本書は、2015年に山川出版社から刊行された『恋する武士 闘う貴族』の第1部を再構成し、文庫化したものです。
(本書は)平安から鎌倉・南北朝の武士の群像を「色恋」を主題に語ったものだ。ありそうで無かったテーマである。そもそも、武士とは闘うことを業とする人々で、色恋とは無縁の存在ではないか。そんな“常識”がまかり通っているはずだ。恋は貴族たちの専売である、との常識である。けれども、武士といえども貴族と同じく恋をする。
わたしたちは「武士は忠義に篤く、清廉潔白なもの」というイメージを持たされてしまっています。多くは明治以降に成立した「武士道」という考え方によるものです。
明治以降の考えですから、断じて日本を代表するようなものではありません。むしろ、富国強兵・中央集権・国民皆兵を確立するためのプロパガンダだった、と言い切ってしまっても差し支えないようなものも多くなっています。これを日本の伝統であるとする意見は今でもときおり見かけますが、たいへん浅はかだと感じています。

本書は何より、そうした偏った価値観へのカウンターとして、たいへん有意義なものです。
日本を長きにわたり支配していた武士とはなんだったのか。どういう考えで行動していたのか。それを知ることは、正しい日本人のすがたを探るために大きな役割を果たすでしょう。武士の色恋に着目し、そこから政治を見るという本書のスタンスは、とてもユニークかつ重要なものです。

「はじめての武士」は卑怯だった

平安貴族って恋の歌ばっかり詠(よ)んでたんだろ、退屈じゃねえかそんなの、とは爆笑問題のネタですが、もともと貴族と武士はわかれていたわけではありません。近年の歴史学では、「武士は貴族の中から生まれてきたもの」と考えるのが主流になっています。

武人として有名な源頼光は、大江山の酒呑童子を退治したことで有名です。本書の記述をもとに彼の行動をたどりつつ、「武士のはじまり」がいかに今日の武士像から離れていたかを追いかけていきましょう。

源頼光は、藤原道長(摂関家)につかえていました。当然、野心も出世欲もあったことでしょう。彼が酒呑童子退治に向かったのも、勅命にしたがった結果です。断じて義勇心にかられて、ではありません。上に命じられたから仕事をする。ほとんど現代のサラリーマンと同じような感覚のもとに、頼光は鬼退治に向かいました。

鬼とは何か、鬼とはのちの静御前や巴御前などの「御前」と似た呼称ではないか、など、本書には中世の価値観への興味深い考察が頻出します。それらもすごくおもしろいのですが、あえてそこにはふれず、頼光たちがどうやって酒呑童子を退治したのかを見ていきましょう。

頼光たちは山伏(旅の修行者)に扮して酒呑童子の酒宴に潜入しました。相手が完全に信用したころ、頼光たちは酒呑童子を毒によって眠らせ、刺殺しました。酒呑童子がいまわのきわに叫んでいます。
「修行者だって言ったじゃないか。ウソはつかないって言ったじゃないか!」
童子にとって、頼光たちは「ウソつきの集団」に他なりませんでした。少なくともそのはじまりにおいて、武士とはそういうものだったのです。
酒呑童子退治の場面でおもしろいのは、頼光一行の「兵(つわもの)ノ道」に欠ける意識である。われわれはともすれば、これを後世のフェアー(公正)なる道徳的世界と合致させる傾向がある。だが、それは「武士道」という名の幻想でしかない。王朝武者の「兵ノ道」は、時として算術的なドライな世界だった。目的のためには手段を選ばずという面も、随所に見受けられる。それこそが生き抜くための「知恵」に他ならなかった。

あたらしい中世、あたらしい日本人

酒呑童子退治のエピソードなど、全編がフィクションである可能性すらあります。歴史学の素材としては不適当なものでしょう。しかし、本書はあえて説話や物語文学、能や謡曲などに描かれたエピソードを集め、考察をおこなっています。
『平家物語』あるいは『太平記』をひもとけば、「兵」「武者」「武人」とその呼称は様々だったとしても、彼らの色事にかかわる事件は少なくない。中世の主役を成す彼ら武士たちの色恋沙汰に取材した出来事が散見される。そこでは虚実が定かでない記事もある。その点では古文書・古記録などの歴史学の“王道”からの隔たりは免れないかもしれない。実証を任ずる正当志向から離れることを承知で、中世日本の諸相を耕すことも必要ではないか。
勇気を要する行為であることはおわかりでしょう。批判的意見があることは織り込み済みなのですから! 
しかし、そうでなければ語れないことがある。そうでなければ描けない世界がある。
自分は本書に、多くのことを教えられました。本書のゆたかさも、そこからもたらされている、と断じていいでしょう。

北野武の映画『首』は日本史上最大の謎とされる事件「本能寺の変」の背景に男色(衆道)と嫉妬が濃厚にあったことを描いています。裏付けはほとんどありませんが、日本史上最大の論争といわれる最澄と空海の争いの背景に男色関係があった(これは最澄の弟子筋である瀬戸内寂聴さんが明確に認めています)ことを考え合わせれば、こういうことは当然あっただろうな、と考えざるを得ません。
この側面は、今後の研究であきらかにされていくでしょう。本書はその第一段階としても、大きな価値を有しています。

それともうひとつ。本書は、たとえば源義経のような、ピュアラブ一直線みたいなイメージの人に関しても「じっさいはそんなことないんだよ」と教えてくれています。そういう楽しみ方ができるのも、本書のかえがたい魅力のひとつです。

レビュアー

草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。

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