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2025.07.03

レビュー

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「源・平・藤原」姓を掠めとった中世武士団。偽りの血脈に秘められた企て

最近、歌舞伎の世界を描いた映画『国宝』が話題を呼んでいるが、その劇中で重要なモチーフとして扱われるのが「名跡」である。それを踏まえて、こんなところから本書の引用を始めさせてもらおう。
トップレベルの歌舞伎役者は、仮に本名が全く違っても、「市川」「中村」「尾上(おのえ)」などを名乗らなければ格好がつかない。それと同じように、有力な武士の一部は名乗るべき“役名”を名乗っているに過ぎず、真の素性は雑多で混沌として、その正体が得体の知れない者だったり、卑姓の(血統的に貴さに欠ける)古代氏族だったりしたのではないか。新たな時代を切り拓いた有力武士は、実は貴人でも新興勢力でもなく、時代の終焉とともに退場を迫られつつあった古代卑姓氏族が、全身全霊の努力で生き残りを図り、首尾よく生まれ変わった姿だった――。それが本書で披露したい“深層”の歴史像である。
「名前」は昔から人間についてまわるものだったが、日本においてその意味合いや価値が一段と増したのが、中世の武士社会だった。武士団は平安時代に発生し、いつしか藤原氏・平氏・源氏といった有力氏族が他を圧倒したが、それ以外の氏族が武士としての生き残りをかけて活用したのが「名前」だった。本書は、歴史に名を残す有名氏族のなかにも、実は「直系の血族」ではない者が多く混ざっていることを白日の下にさらけ出す。日本古代・中世の研究者である著者が、室町時代の系図集『尊卑分脈』ほか膨大な資料と向き合い、既存研究への疑念と強靭な執念深さをもって調べ上げた力作である。

もともとは「古代地方卑姓氏族」と称されるような無名の氏族でも、その血筋の痕跡が「まるで犯罪現場の血痕や指紋を念入りに拭き取るように、系図から拭い去られた」例は数多くある、と著者は指摘する。いわゆる政略結婚や、養子・猶子(義理の子)になる者など、その手段はさまざまだが、なかには縁もゆかりもないのに勝手に有力氏族の血族を名乗る剛の者もいたという。

「斎藤」や「近藤」といった現在ではごく普通に見かけるポピュラーな名字も、かつては藤原氏という当時の最有力氏族と近縁であることをアピールする重要な意味を含んでいた。これらの「○藤」姓について、その人物や氏族の役職・居住地などを由来とみる従来の説に対し、著者は〈○氏と藤原氏の双方の血を引く〉ことを意味する“二姓合成説”をもって改めて掘り下げていく。「○藤」姓のみならず、こうした名前の成立過程を新たな視点から推理していく過程は非常にスリリングであり、著者の根気強いリサーチ力にも圧倒される。
秀郷流藤原氏の中核には、確かに藤原秀郷の男系の子孫がいた。しかし、中核から外れた周縁部では、佐藤・首藤(守藤)家のように、中世社会を生き残ろうとする種々雑多な人々が複雑に絡み合うネットワークを構築していた。それが“秀郷流藤原氏”の正体なのだった。
また、外部から有力者の懐に入り込もうとする野心家もいる一方、有力者のほうから無名の者を積極的に「家族」として取り込む例もあった。これも中世社会の一様相として興味深く、詳しくは本書を読んでその濃密なドラマ性を噛みしめてほしい。
以上に見てきたように、院政が始まって院が恣意(しい)的に寵臣を取り立てるようになると、院の眼鏡に適(かな)った出自不明の少年が側近に成り上がって寵愛を誇った。そして、源・平・藤原などの貴姓が支配的な当時の氏族秩序に合わせて系譜を飾り立てるべく、院の命令で貴姓の人の猶子になって貴姓を仮冒し、真正の貴姓の人々に交じって(むしろ、彼らに勝る権勢を誇って)貴姓の人らしく振る舞う、という現象が普通になった。特に、白河院が創設した新たな側近集団「北面(の武士)」の主力は、藤原盛重・平為俊や源重時など、自分自身や家族がそのような来歴を持つ出自不明の人々ばかりだった。
数ある事例のなかで特に印象強いのが、大中臣(おおなかとみ)氏のエピソードである。鎌倉幕府に下司(げし)として仕えた大中臣安平(やすひら)という人物は、のちに藤原康則と改名し、「新藤(しんとう)庄司」と名乗って源頼朝に仕えて御家人となった。著者は、大中臣氏が「こうした詐欺的な出自の浄化作業(ロンダリング)を得意としたらしい」と語ったうえで、このように分析する。
この事例は、「藤原康則」などの堂々たる貴姓出身者らしい名乗りを、額面通り本物の藤原氏と簡単に信じてはならない、という教訓である。通常、こうした改姓では養猶子などの手続きを踏むが、〈大中臣安平→藤原康則〉という変身には、何らその形跡がない。当人が勝手に、好きな姓と諱(いみな)を名乗っただけなのだった。同じことは源氏や平氏でも起こっていたと考えるのが自然で、そのような偽の貴姓出身者が中世社会にどれほど素知らぬ顔をして紛れ込んでいたか、想像を絶するものがある。
時の権力者になびき、素性を偽るような生きざまはあまりかっこいいものに見えないが、大中臣氏の場合、そこには別の「権威との戦い」という側面があった。そして、自らに制約を与え続ける古い名前を捨てることが、新しい時代に踏み出すためのアクションでもあったのではないかと著者は見る。そう考えると、権威などそもそも信じていないような達観した潔さすら感じられてきて面白い。
大中臣安平は東大寺との間に根深い対立を抱え、しかも敵の東大寺は執念深く強力で、最後はそれに負けた。彼は間違いなく、東大寺と同等以上に強い庇護者を必要とした。彼が成立間もない鎌倉幕府に速やかに帰属したのは、幕府という後ろ盾を東大寺に対抗させるためとしか考えられない。その時、彼は大中臣安平という古代卑姓的な姓名を綺麗さっぱり捨て、「藤原康則」という姓名に着替えた。それは、東大寺という古代的な権門を捨て、幕府という中世ならではの権門に適応した彼の、〈自分が帯びる古代らしさを一掃し、中世社会の一員に生まれ変わろう〉という決意表明に見える。
本書を読んでいて驚かされることのひとつが、現存する一次資料がいかに「書き損じ」「聞き違い」に溢(あふ)れているかということ。さらに、多くは手書きの草書体であることも相まって、後年の研究者による「誤読」も頻発したであろうことも推察される。著者はそういったトラップに挫けることなく、あらゆる記述を疑い、しつこく検証を重ね、大胆なまでのイマジネーションを駆使して真実を目指して突き進む。研究職とは何か?という根源的問いかけまで読者の脳裏に浮かび上がってくるような、読み応え満点の1冊だ。なお、文中にはめまいがするほど膨大な数の人名が登場するので、メモをとりながらの読書もオススメしたい。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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