PICK UP

2025.11.20

レビュー

New

学徒動員、特攻、友の死……戦後日本を支えた数奇な世代、「戦中派」の昭和史

2025年のいまを生きる私たちは、再び「戦前生まれ」もしくは「戦中派の親世代」などと呼ばれるようになるのだろうか。そして将来生まれてくる「戦後派」の子供たちに、こんな世界を作った大人たちとして恨まれる日が来るのだろうか(人類が地上から消え去ったら、戦前戦後もヘッタクレもなくなるだろうが)。そんな不安を抱く人々には、本書は格好のデモンストレーションになるかもしれない。

現状、この国ではほとんどの大人が「戦争を知らない子供たち」となり、かつて世を支えていた「戦中派」と呼ばれる人々の存在が、どんどん貴重さと重要性を増している。本書はそんな彼らの肖像を、戦前から戦後にかけて検証してみせる力作である。著者は『昭和の参謀』『おかしゅうて、やがてかなしき――映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』の前田啓介。「戦中派」として生きた人々の著作や証言、さらに著者自身による取材もふんだんに織り交ぜ、生々しい実感とともにそのメンタリティを浮き彫りにしていく。

著者自身の家族の記憶から始まる本書は、「戦中派」の真情と体感に迫る内容ゆえに、その文章も(限りなく平静を保っているとは言え)自然とエモーショナルなものとなる。だからこそ随所で読者の胸を打つ。約500ページの大著だが、ページを繰る手が少しも止まらないのは、それが将来の日本人の姿を映し出す「鏡」だからだろうか。

そもそも、戦中派とはどんな人たちのことか? 著者は、その定義を「1917年生まれから1927年生まれ」とする。人格の大部分が形成される多感な青年期を、戦争に占められた世代。著者はさらにこんな要素も付け加える。
私が考える戦中派の範囲について説明を続けると、私は戦争前に過ごした時間の有無、生か死かを逡巡したかどうかが重要だと考えている。
それこそ有名な本のタイトルどおり、「君たちはどう生きるか」という問いに否応なく対峙した世代だった。その先には、当然のごとく「死」が大口を開けて待ち受けていた。先述した定義でいえば、1945年8月の終戦時には生きていれば18歳から28歳までにあたる世代だったが、その多くは死んだ。兵士となった者は戦闘中の死があり、餓死や病死もあった。兵役に就かなくとも、空襲、原爆で大勢が死んだ。無論、多くの女性も含まれる。ようやく戦争が終わっても、生き残った者のほとんどが死者の呪縛を背負った。

「僕自身、戦中派と呼ばれるのが一番しっくりくる」「フル・ネームで呼ばれるような感じである」と述べる作家の安岡章太郎は、1956年の『文藝春秋』5月号に掲載された『モテない「戦中派」』という文章で、より詳しい実感を語っている。それは当時のリアルな“元・若者らしさ”でもあったのだろう。
そして「戦中派」について、自分の大学の同期生で、今はそれぞれの道で生計を立てている友人たちを思い浮かべ、「ある特殊な親近感をおぼえる」と続ける。
別々の環境にいても、会えば心置きなく、会話をはじめる。そこには「おたがひにメグリアハセの悪い時代に生れたといふ共感があるからにちがひない」と推測し、「こんどの戦争で、おれたちが一番ワリを食つてゐる」というのは「共通の感情の基盤」なのだと記している。
大人たちが始めた戦争に巻き込まれた若者たちが、どんな青春を過ごしたか。将来の人生設計など到底立てられない時代だったからこそ、限定された生を可能なかぎり充実させようとした青春もあったし、ノンシャランと生きることで深刻な世情に背を向け、反骨の精神を示した青春もあった。それらの生きざまは決して要約できないし、本書でも極力それを避けている。

すべてが灰色だったわけではなく、むしろ映画『君の名前で僕を呼んで』(2017年)を想起するような瑞々しさで迫る場面もある。懸命に徴兵忌避に励んだ者の記録も、ぜひ将来の参考として覚えておきたいところだ(ただし、それなりの苦労やリスク、罪悪感や白眼視がついてまわる過酷な作業でもあるというのがしんどい)。また、世代的には本書が提示する「戦中派」のすぐ下の世代にあたる作家・色川武大の自伝エッセイを思い出すような興味深い記述もある。戦前・戦中の大衆娯楽の貴重な記録でもある色川の著作も、本書と併せてぜひ読んでほしい。
座談会で田村は「鮎川と二人で寄席にばかり行っていたような気がする。映画、芝居、文学、おまけに詩まで大政に翼賛し奉っているんだから、ピュアなのは古典落語ぐらいなんだ」と言い、「落語はよく聞いたよ。あのときはもう一種のデカダンスだよ」と述べる。鮎川も「簡単に言えば、現実逃避的な江戸の話をやるわけなんだから、それだけでもういいわけだ。外国は駄目なんだ」と応じる。
そんな田村が出征する時は、実家の料理屋で「ひどく派手」な送別会が催され、「芸者屋のオヤジ」から「立派に死んでください」と言われ、腹を立てた。
印象深いといえば、1941年12月8日の開戦の記憶もまた、生々しく迫ってくる。2025年を生きる我々にも「こうして戦争は日常と地続きで始まるのだろう」と実感させる、背筋が寒くなるような場面だ。
客は一人もいなかった。安田が一本つけて欲しいとお願いすると、女将は立ち上がり、四斗樽から片口に受けた酒を徳利に移しながら、

「戦争なんかはじまっちまって……安田さんが、今夜の口あけだよ」

と、屈託のない口ぶりでつぶやき、笑ったという。そして『昭和 東京 私史』はこの女将とのやり取りで終わる。東京の冬、破滅に向かう前の静けさが、ありありと眼に浮かぶ。
安田は第一章にも登場した丸山邦男との共著『学生』でも、この夜の相客の一人もいないガランとした飲み屋を思い浮かべると、「『戦争』は、ああしてはじまるのだな、といつも思う」とした上で、「『戦争』はそのようにしてはじまり、女将は、いつもといささかも変らぬ様子で、『その日』を迎え送ったわけだ」とつづっている。
日々刻々と死に近づいていく実感のなかで、絶望や虚無に負けないようにつとめた若者たちは、ついに戦場に駆り出され、身も心も破壊されていく。そのプロセスも本書はしっかりと収める。以下の文章は、のちのダイエー創業者、中内㓛が語った戦場体験だ。最初はまるで希望に満ちた文言のように読めるが、徐々に壮絶な絶望と虚無が立ち上がってくる。大岡昇平の小説『野火』を思い出すような、戦慄をさそう名文だ。
要するに信じているのは、明日がある、ということだけですね。寝て、目が覚めたら明日があるということだけで、そこから先のことは全然考えません。人間も極限まで行くと、思考は停止してしまいますね。いま今日があって、寝て目が覚めたら明日があって、横で話していた兵隊が冷たくなっておる、ということです。誰が生き延びていくか。生き抜き競争みたいなものですね。(中内・御厨編著『中内㓛』)
フィリピンのルソン島で死線をさまよった中内は、そのときの経験を「食糧はないのに自分はウジ虫に全身を食い尽くされそうだ。腐った肉を自分で切り取り一命は取りとめた」「アブラ虫、みみず、山ヒル……。食べられそうなものは何でも食う。靴の皮に雨水を含ませ、かみしめたこともあった」と述懐する。そのような壮絶な体験をした者は、生き残ってもなお、ある不条理への割り切れない思いにとりつかれることになる。それこそが「戦中派」の烙印かもしれない。以下は、安田武の著書『戦争体験』からの抜粋。
アイツが死んで、オレが生きた、ということが、どうにも納得できないし、その上、死んでしまった奴と、生き残った奴との、この“決定的な運命の相違”に到っては、ますます納得がゆかない。――納得のゆかない気持は、神秘主義や宿命論では、とうてい納得ができないほど、それほど納得がゆかない。まして、すっきりと論理的な筋道などついていたら、むしょうに肚が立って来るだけのことである。
「戦中派」を「戦中派」たらしめるのは、彼らが「偶然に」生き残ったからだ。いかに必死に立ち回り、生き延びるために努力しようと、生と死はただ紙一重だった。その残酷さと重みを告げる本書中盤のフレーズもまた忘れがたい。
彼らは八月十五日以降も生き続けねばならなかった。
戦後の復興期、その後の高度経済成長期、そして現在に至るまで、「戦中派」は過酷な道を歩み続ける。実はこの後半部こそ、本書のハイライトと言える。参考作品として、岡本喜八監督・山口瞳原作の映画『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)も強く薦めておきたい。

また、「戦中派」の存在こそが日本の高度経済成長を可能にしたのではないかという、社会学者・間宏(はざまひろし)の考察も興味深い。言いかえれば、同じような経済発展を戦後世代やその子孫に求めても、土台無理な話だったのではないかということも痛感させられる。
その上で間は「戦前派、戦中派の人びとにとって、戦時中の日々の生活において、死は日常性であったという事実である。軍人はもちろん、勤労者にとっても、明日の命だけでなく、一寸先に死が待っていた」と論じる。彼らは戦時期だけではなく、戦後の高度経済成長期も、そういう心情で働いていたというのだ。そして、それは「日本人の仕事を生きがいとする生き方と結びつき、『死に物狂いで』働くとか、『命懸け(懸命)で働く』、仕事で死ぬのは仕方がない、という労働観を生み出した」と考察した。
さながら贖罪のごとく、我が身を焼き尽くすように戦後を生きた「戦中派」も少なくなかった。以下は、本書で「戦中派」の代表的存在として登場する、ある人物が晩年に同世代に向けたメッセージである。なんともユーモラスで豪放磊落(ごうほうらいらく)な呼びかけに聞こえるが、彼はこれを56歳の若さで亡くなる前に、病床で書いていたという。つまり、すでに自身にとっては遅すぎる警句だった。
戦中派は、自分の一身を鳥の羽か虫っけらのように扱うことを長年教えこまれ、戦中から敗戦まで徹底的に肉体を酷使され、戦後の混乱期からようやく立ち直ると、ただがむしゃらに、戦争協力者の汚名をそそぐには身を粉(こ)にして働くほかはないようにして働き、妻子の愛し方も人生の楽しみ方もろくに知らず、肉体酷使の習性を身につけたまま、五十を幾つも過ぎないのにぽっくり逝ってしまう奴が実に多い。腹立たしいほど不器用な、馬鹿正直な男たちである。
一度捨てた命だからこそ、本気で大切にすべきではないのか。戦中派生き残りは、すでに定年年齢を過ぎた。第二の人生の荒波はいかに厳しくとも、残された余生を充実して生きようではないか。死んだ仲間の分まで(こういう発想そのものが戦中派的であることはよく承知しているのだが)、大いに長生きしようではないか。
繰り返しになるが、これは「鏡」である。著者は1981年生まれの44歳(2025年現在)なので、今すぐ戦争が勃発したとしても「戦中派」には含まれないかもしれない。彼らと同じ轍(てつ)を踏むには、年を取りすぎたと感じる読者も少なくないだろう。それでも我々は今こそ彼らの声を聞かなければならない。「戦中派」が次々と世を去り、いよいよ当時の証言者が失われていくのを見計らったかのように、こんなにも呆気なく戦争への道筋に導かれていく日本人(と、日本人の風上にも置けないような権力者)の愚かさは、どうやら筋金入りだ。懸命にその流れを食い止めてきた「身をもって戦争を知る世代」の心情と体感を、私たちは受け継がなければならない。まだ生きたいと思うならば。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

こちらもおすすめ

おすすめの記事

レビュー

幕末から台湾有事まで──この国は何を守ろうとしてきたのか。「国防」の日本近現代史を読み解く。

  • 歴史
  • 社会・政治
  • 宮本夏樹

レビュー

暴力は連鎖し破局へと至った。昭和の「暗黒の歴史」から何を学ぶべきか。

  • コラム
  • 岡本敦史

レビュー

神話に支えられた「大日本帝国」の真実。右派も左派も誤解している戦前日本の本当の姿とは?

  • コラム
  • 草野真一

最新情報を受け取る

講談社製品の情報をSNSでも発信中

コミックの最新情報をGET

書籍の最新情報をGET