本書は臨床心理士・公認心理師として知られる著者が、満を持して世に送り出した1冊だ。冒頭で著者は、本書に込めた思いとねらいを以下のように記している。
カウンセリングとは何か。原理を示し、その全体像を描く。後述するように、それは臨床心理学において、僕の世代が前の世代から引き取った重たい宿題でした。この問いを解き明かすことに、僕は臨床心理学人生をかけて取り組んできた。20年、臨床経験を積み重ね、本や論文を書き連ねる中で、ようやく自分なりの言葉で、自分なりの視点で、原理的な答えを出せる時期が来た。
ところで、そもそも人がカウンセリングを必要とするのはどんな時なのだろうか。著者はそれを「人が人に話をする。この当たり前の日常が成立しなくなってしまうとき」と評し、こう解説する。
心の非常時とは、周囲から理解されにくい状態になり、孤立し、孤独になってしまう状態のことです。この孤独の苦しさに対処しようとして、余計に周りからは理解されにくい行動がとられたり、言葉を吐いてしまったりする。すると、孤独はエスカレートしていきます。
いわゆる「心の病」というのは、煎じ詰めて言えば、この悪循環しながらエスカレートする孤独のことです。統合失調症にしても、うつにしても、それぞれに状態像は異なるにしても、周囲から言動が理解されにくくなり、そのことで余計に苦しみが増幅していくという点で共通しています。あるいは、不登校などの問題でも、周囲がよかれと思って関わることが、かえって本人を傷つけてしまうということが起こります。
こういうときに専門家が必要になります。非常時の心を理解し、心が必要としているケアを提供すること。これをするために、専門的なトレーニングを受けたカウンセラーの出番がやってくる。
たとえばそれは、第2章で登場するカウンセリングに至るまでの仕組みでも同様だ。
カウンセリングの一番の特徴は、すぐにははじまらないことです。病院みたいに突然駆け込んでも診療してくれるということはできなくて(1対1で、しかも時間が決められている仕事の宿命です)、予約を取ることになります。
予約日を決めるために、ユーザーは何往復か事務的なメールのやりとりをすることになるので、僕のオフィスの場合は予約日までの時間は短くて2週間、長くて1ヵ月や2ヵ月先になります。
第3章以降では、カウンセリングが目指す2つのゴールが示され、そこに向けた実際のカウンセリングの内容が、著者独自の表現で言語化されていく。それは「カウンセリング」という行いに温度を与え、私たちの日常に確かな形を顕していく過程でもあった。だからだろうか、時に翻訳書を、時に小説を読んでいるような心地さえした。
タイトルのみならず、心とは、人間とは、生きるとは何か──さまざまな問いに答えを示した本書。読みやすさに反して、読みごたえは実にたっぷりだ。秋の夜長に、じっくりと腰を据えて読んでみては。