著者は土星の衛星、エンセラダスの地下海に「生命が生息している可能性があり得る」熱水環境を示した関根康人氏。アストロバイオロジーという宇宙における生命に関する学問の第一人者です。宇宙には生命体は存在するのか、それならば生命はどこから来たのか。我々はどこから来たのか。地球規模のミクロな視点から宇宙規模のマクロな視点へ、そして過去から現在へ。さまざまな視点を切り替えて本質的な問いに取り組む欲張りな学問への入門書、と言っても過言ではないでしょう。
本書がまず読者に向かって整理してくれるのは出発点です。「生命とは何か」。
根源的なこの問いに対し、必要最小限の共通語彙を提示し、前提を提示します。そしてさまざまな研究者の仮説に触れ、定義→証拠→仮説という科学的なプロセスを経て、我々読者に追体験させてくれる。そんな誠実な構成が、まるで良質なSF小説を読んでいるかのような感覚で、筆者の読者を置いていかない強い意志を感じました。

この時点で、古生物学に、宇宙にと、科学欲張りセットな布陣なわけで、かつての科学少年だったハートをくすぐり、夢中にならざるをえないのです。
かくして核心に迫っていく過程で、生命の起源をめぐっては、“有力だけれど決定打ではない”仮説がいくつも並びます。ミラー実験に始まる化学進化やオパーリンの提案、地球史の極端として語られるスノーボールアースや大量絶滅、月形成を伴うジャイアント・インパクト(巨大衝突)、分子進化の文脈にあるRNAワールド、そして現生生物が共有する最終共通祖先LUCA。
それぞれのトピックはいずれも科学やSF的なものが好きな人間だったら耳にしたことがある内容で、最新の知見にアップデートしながら読み進めて行く中で、あまり耳にしなかったトピックに目がとまりました。現生生物に共通する最終共通祖先LUCAです。
LUCA、Last Universal Common Ancestor。現生の生物界(細菌・古細菌・真核生物)に共通する祖先系統、いわば系統樹の根元に位置する存在です。
確かに、そういうものがあっても不思議ではないよな。と一般人である私はそこで感心して新しい知識に満足してしまいましたが、本書はさらにLUCAになる前に、LUCAに至るまでを解明しないと生命の起源ではないよね、とより深い起源に迫っていく姿勢に膝を打ちました

惑星は、生物が生まれ死んでいくだけの舞台でありません。地殻・海・大気・内部熱がつくる循環が反応の“場”を並べ替え、濃淡を生み出します。読み進めるほど、地球が「生命を育む装置」として立ち上がってくるように感じられます。海と陸の比率、火山活動の周期、衝突史や潮汐などは一見ばらばらに見えるのですが、惑星のスケールで見ると同じダイナミクスの一部だとわかります。 そして私も、あなたもそのダイナミクスの一つの歯車であるということも。
そうして著者が考える生命誕生のシナリオが“一つの答え”として提示されます。ここまで丁寧に仮説や検証のデータを積み上げてきた本書を読み進めてきた読者には、決定版と断言しない姿勢が、かえって科学的で誠実に感じました。
仮説をつなぎ、条件を積み上げ、観測と実験のすき間を仮説が補っていく。
その循環自体が、私たちの思考を広げてくれます。読み終えるころには、問いは「生命はどこから?」から「どのように条件がそろったのか?」へと、静かに更新されているはずです。
宇宙探査は今日も前進を続け、新しいデータは新しい反証可能性をもたらし、起源研究は今後も続いていくでしょう。だからこそ、定義から地球史、分子進化までを一本の線で結ぶ本書のような書籍が入口としても、肩肘を張らずに、しかし確実に視野と裾野を広げてくれる意味を持っています。
授業の補助教材としても、研究入門の道しるべとしても、一般読者の知的好奇心に応えうる1冊です。