ダーウィンは偉大だった。進化のおもなメカニズムとして自然淘汰を発見し、生物の多様性を種分化によって説明した業績によって、歴史上もっとも偉大な進化生物学者であることを私は疑わない。でも、それは、ダーウィンが完璧であることを意味するわけではない。間違ったこともたくさん言っている。
まず読者に投げかけられるのが、そもそもダーウィンの書いた『進化論』を我々はどこまで理解しているのか?ということ。著者はその偉大な発見や革新性を改めて紹介しつつ、その後の研究により「必ずしもダーウィンの言うとおりではない」部分があることも率直に指摘していく。
また、下記のような言葉についても、知らずに誤解していた人はわりと多いのではないだろうか。
ただ一つ、はっきり言えることは、ダーウィン自身の考えが、「ダーウィニズム」や「ネオダーウィニズム」と呼ばれたことは一度もない。
ダーウィンの考えに何らかの変更を加えたものを「ダーウィニズム」とか「ネオダーウィニズム」と呼ぶのである。
ある種の自然淘汰(性淘汰)によって、特殊な形状に進化した生物の具体例として、シュモクバエという熱帯地域の生物がここで登場する。そのヘンテコな姿には驚くこと請け合いだ。「一体どう進化したのか?」と考えずにいられないが、その興味深い過程も本書ではしっかり解説される。
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後にタリーモンスターと呼ばれるようになるこの化石は、10センチメートルほどの動物の化石で、頭部の先端が蛇のように長く伸びた構造になっていた。その一番前にはワニのような口がついており、口には歯のような構造も観察された。また、頭部からは細い棒状の構造が左右に突き出していて、その先端は眼になっていたと考えられる。
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「事実は小説よりも奇なりというが、進化が生み出す多様性は、ときに私たちの想像力を超える」と著者は語る。つまり、生物の進化を考えるうえでは、人間の想像力が追いつかないゆえの誤解も生まれやすいということを教えてくれる(それこそダーウィンもその轍を踏んだくらいだ)。
「進化の方向性」という面で格好の例として挙げられるのが、恐竜と鳥(一応ことわっておくと、鳥類は恐竜が進化したものではなく、あくまで同じルーツを持つ別系統の生物群である)。翼竜は滑空によって飛行能力を進化させたと考えられているが、逆に飛行能力を失う方向で進化した恐竜もいたのではないか。この考察もまた、人間の単純な思い込みを裏切るような進化のプロセスとして興味深い。ちなみに羽毛付きのデイノニクスの復元イメージも、すごくかわいい。
もしかしたら、現在のダチョウのように、空を飛んでいた祖先が、二次的に飛行能力を失って、デイノニクスやヴェロキラプトルに進化したのではないだろうか。翼竜やコウモリには、二次的に飛行能力を失ったものは知られていないが、鳥類(つまり恐竜)には、二次的に飛行能力を失ったものが、たくさんいるのだから。
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人生で一番楽しいことは、無駄遣いと道草だという。無駄遣いはともかく、道草は進化にとって重要である。目的に向かって一直線に進むような進化だけでは、生物の複雑で素晴らしい構造をつくることはできないのである。
なかでも印象深いのが、“シンギュラリティ”の到来について著者の語る見解だ。つまり、人工知能(AI)が自らの能力を上回る人工知能を新たに作り出す時点……それが個から個を生むだけのバトンリレー的な継承なら特に脅威を感じる必要はないが、明らかに“進化の条件”がそこに発生したとしたら?
本当に恐れるべきは、人工知能に自然淘汰が働きはじめたときだ。たとえば1つの人工知能が2つの人工知能を作るようになったときだ。そうなったら、本当に取り返しがつかないことになるのではないだろうか。