そうして「御家騒動」はある種の固定観念をもって語られ続け、フィクションのみならず、現実の歴史研究にも影響を与えてきた。しかし日本近世政治史を専門とし、現在は九州大学基幹教育院の教授を務める著者は、その前提に疑問を投げかける。
一般的な歴史書をひもといてみると、幕府は大名統制策の一環のなかで、大名を改易(かいえき)する絶好の理由として御家騒動を利用したという叙述が繰り返されている。(中略)
ところが、実際に騒動の経過をみてみると、騒動が幕府に露見しても改易にならない事例の方が圧倒的に多い。有名な例では、鍋島(なべしま)騒動、黒田騒動、対馬(つしま)の柳川(やながわ)一件、伊達騒動などがあるが、いずれも改易とはなっていない。
本書では、御家騒動を引き起こす当事者たちの行動の原理がいかなるものであったのかを、幕藩制という時代相のなかから具体的に解き明かすとともに、御家騒動の定説=御家騒動が幕府に露見すると改易に処せられる、といった固定観念がどのような歴史的な経緯のなかで生まれてきたのかを明らかにし、これまでの凝り固まった「定説」を再検討してみたい。
どの章でも、具体的な御家騒動が次々と紹介される。その情報量の多さと密度の高さには、途中で満腹感を覚えるほど。そして読めば読むほど、著者の疑問が核心を突いていたことにも気づかされる。「御家の一大事」が、ひいては「御家のお取りつぶし」にも関わる事態であるならば、大名も家臣もそうそうお上に訴え出ることはないはず──というのは、典型からの思い込みゆえだったことを、あらためて実感した。
本書の原本は、2005年に中公新書(中央公論新社)から刊行された。それは著者の旧著『幕藩制的秩序と御家騒動』(校倉書房)を基とした新書で、旧著の専門的な内容に当時の最新の知見を加え、一般向けにわかりやすく書き下ろしたものだった。
今回の文庫化にあたっては、新書刊行時の誤認や誤植などを修正し、史料引用の統一が図られたほか、巻末には「『御家騒動』のなかの女性たち」と題する補論が加えられている。この補論では、男性当主のプライベートな空間である「奥向(おくむき)」について、原本の刊行後さらに進んだ研究を基に、嫡子の決定方法と武家諸法度の関係や、家督相続の最終決定者など、大名たちの婚姻制度にまつわるあれこれが記されている。
中でも興味深かったのは、フィクションでたびたび描かれる愛妾と家臣の密通事件だ。題材として多く登場するものの、実際の状況をつぶさに洗い出すと、その不自然さが見えてくる。たとえば愛妾の外出一つとってみても、事前にさまざまな許可や根回しが必要で、思い立ってすぐに出られるような環境ではなかったという。そもそも、「奥方の空間に男性は一人で入れず、必ず複数で行動する必要があった」というから、密通そのものを成り立たせるのが難しい。つまり
「御家騒動」につきものの密通事件は、奥方における男女の出入りが厳格であることを知らないか、あるいは奥方の実際のありようを無視して創作された話であると指摘せざるをえないのである。