1988年にライターとしてデビューした著者は、文学や映画、音楽、演劇といった多岐にわたる分野で、レビューやコラム、インタビューなどの執筆活動を行ってきた。批評家、評論家としてもその名を知られ、多くの著書を出版している。早稲田大学や立教大学で教鞭を執るかたわら、2021年からは、特定非営利活動法人「映画美学校」の「言語表現コース」、通称「ことばの学校」で主任講師も務めている。
著者によれば、「『ことばの学校』は映画と直接関係はなく、日本語による『言語表現』全般を学ぶコース」だそうで、著者の発案から学校側との協議を経て生まれたカリキュラムだという。そして本書の副題「ことばの再履修」は、2022年にこのコースのことを書いたエッセイの題名だった。著者はそのエッセイを引用した上で、こう述べている。
本書は「ことばの学校」と密接な関係を持っています。講義の内容そのままというわけではありませんが、同校の受講生以外の方にも、私が「ことばの学校」という試みでやりたいと思っていること、その根幹となる「ことば」の使用と表現にかんする幾つかの考え方をお伝えしたいというのが、これから始まる「ことばの再履修」の動機のひとつです。
さて本書では、例としてさまざまな作品が引用されている。小説はもとよりエッセイ、哲学、評論、戯曲と、そのジャンルは幅広い。本好きな方であれば、過去に読んだことがあってもなくても、興味を惹(ひ)かれるタイトルばかりだろう。しかし、それだけ多くの作品を取り上げながらも、著者は具体的に「何を」書くかについては言明していない。その選択はあくまで読者に委ねられており、「『何か』を書きたい」と思っている人が「書くこと」にたどりつけるにはどう考えればよいかという道筋が、驚くほど丁寧に説明されていく。
ほかにも意外な点がある。たとえば技術論の書であれば、「書き方」を指南したり、決まった「型」を教えたりするものもある。しかし本書において著者が突きつけるのは、その逆だ。
書くこと、読むこと、話すこと、語ること、綴ること、述べること。文章には、技術という要素もありますが、それだけではありません。「上手い文章」や「良い文章」がひと通りしかなかったら、世の中の文章はぜんぶ同じになってしまいます。
ことばの使い方を学ぶこと、書くことを学ぶこと、言語表現を学ぶことの目的は、究極的には自分が自分だからこそ書けることば、ある意味では自分にしか書けない文章を書けるようになることだと思います。
現代に生きる限り、ことばからは逃れられない。書くことも読むことも考えることも、人生に欠かせない手段であり続ける。そうである以上、心のままに書きたいことを書けるようになるためには──本書が示す思考法に、触れてみては。