今から約25年前、世の中にインターネットが普及し始めると、「テキストサイト」と呼ばれる、面白おかしい文章を掲載したホームページが流行しました。やがて、この文章を中心にしたネットコンテンツはブログ、そしてTwitterに代表されるようなSNSへとその舞台を変えながら、今なお多くの読者やユーザーを抱えています。
今の時代、いわゆるメディアと呼ばれる媒体を通したり書籍を発行したりせずとも、誰でもネットを通じて世の中に文章を発信することができます。ただ、カッコいい文章の書き方や人の心に届く表現方法について、学校の国語で(素晴らしい文学作品に触れていても)明確なテクニックを習った人は多くないはず。
本書では、「文章を書く」ということについて、初級にあたる〈書く〉、中上級の〈練る〉、そして最上級の〈磨く〉という3つの章に分けて整理。基本的な書き方から表現技術までを、名作と呼ばれる文学作品などを引用しながら解説しています。
たとえば、「改行」について説明するパートでは、改行がない文章は読みづらいとし、具体的な文字数なども挙げてどこで改行すべきなのかを提示。また「一文段落」を作ることで意味を強調したり印象を強めたりする、プロのテクニックにも言及。
さらに、「足もとのおしゃれ」と題した、「語尾」についてのパートではとても印象的な事例が。夏目漱石の『吾輩は猫である』を例に、語尾に込められた見事な演出を分かりやすく伝えてくれます。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈(だけ)は記憶して居る。吾輩はここで始めて人間というものを見た。然(しか)もあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。此(この)書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
それぞれの文末表現を注意深く見ると、「猫である」「まだ無い」「見当がつかぬ」「記憶して居る」「見た」「種族であったそうだ」というふうに、どれ一つとして同じ形がないことに驚く。なかでも、「まだ無い」の次の文で「見当がつかない」とせずに「つかぬ」と音を変えた点が目を引く。これはおそらく、別の段落になっているにもかかわらず、ともかく「ない」という文末が隣り合うのを避けるためだろう。文末に限らず、同じことばを繰り返さないよう注意し、人一倍音の印象を大事にした漱石の美意識というものが端的に示された一例であると言うことができよう。
自分自身、つい単調になってしまう語尾の難しさに直面することもあり、『吾輩は猫である』の有名な書き出しの素晴らしさを、語尾視点で解説したこの部分にはハッとさせられました。題材として取り上げているのは文学作品ですが、これはブログなどネットで発信するエッセイやレビューを書く上でも参考になりそうです。
また、「手を抜くと文が長くなる」というパートは、自覚があるゆえ、そのタイトルからして耳が痛くなる話なので、ついつい食い気味に読んでしまいました。読みやすい文章にするため、短めに切ることを促し、目安として平均30文字以内に収めるのがベスト、50文字以上だと読みづらくなるとしています。すでにこのレビューにおいても、50文字超の文がちらほら……。
文章を短くするにはどうしたらいいのか、という問いには、表現を飾りたがる悪い癖を直す必要があると一刀両断。一つの文に情報を詰め込み過ぎないよう注意を促します。一方で、短文が続く構成も読みづらいとしていますが、短すぎる場合はそれほど気を遣わなくていいそうです。その理由については
短い文を続けるのは努力が要るから、自然にそんな文展開にはめったにならないからだ。短い文を連ねた自然な文章は、充分に時間をかけ、練りに練って書いてあるはずなのだ。
確かに言われてみれば、自分が文章を書く時も、短い文ほど何を入れて何を削るか推敲していた印象があります。深く考えずに書くと、ダラダラとした長文になってしまっている……。身に覚えがありすぎます。そしてこのパートの締めくくりに切れ味抜群の〆を用意。
手を抜けば、文は自然に長くなる。それだけはいつも念頭におきたい。
書く側が時間をかけないと、読む側で時間がかかる。他人の時間をむしり取る権利はだれにもない。
厳しい言葉ではありますが、文章を書く、ということに真摯に向き合っている姿勢が伝わってくる一文です。
このほかにも、本書では句読点の使い方やリズムのある文章の作り方、そして映画や音楽、グルメなどのレポートを書く際の参考となりそうな、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚に関する表現方法なども、たくさんの事例と共にピックアップしています。
また、本書の終盤では、自分のスタイルを確立するためのアドバイスも書かれています。
自己のスタイルを身につけたければ、できるだけ多くのいい文章、好きな作家の文体にふれるようにすることだ。もっとも、主体性をもって読まないと、好きな作家のコピー人間に終わってしまう危険性もある。いい文章を読むのは、瘠せ細ったテクニックを盗み取って人を欺くためではない。ひとには譲れない自分の文体の熟すまで、その「文体」を、すなわち、言語というかたちの奥にある表現の心を酌んで自分の糧とするためである。
一方で、うまいなとは思うけれど好きになれない、そんな文章は自分の文体を確立する役には立たないので、こだわる必要はない、とも。必要なことと不要なことを明快に提示してくれていて、とてもわかりやすいです。
なんとなくの我流で漫画や書籍レビュー、ライブレポートなどの文章を書いてきた自分にとって、文章の作法を突き詰めた本書と出会えたことは、貴重な財産となりました。感覚的に(そうだろうな~)と思っていたことが明示されていたり、知らなかったテクニックに触れることができたり。ちょっとした工夫や心構えがあるかないかで、文章は大きく変わるのだと思います。
書く側の視点に立った本書ですが、読む側の視点においても、今まで気づかず流してしまっていた文章の奥深さを感じることができる、そんなスキルが身につくかもしれません。書き手、読み手に関わらず文章に触れるすべての人にとっての、新たな気づきが得られる1冊です。
レビュアー
中央線沿線を愛する漫画・音楽・テレビ好きライター。主にロック系のライブレポートも執筆中。
twitter:@hoshino2009