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2022.12.31

レビュー

日大理事長就任、老いとの近づき方……林真理子氏による9年ぶりの人生論新書!

成熟の個人差

林真理子さんの本を読み始めるときはベッドサイドのランプシェードを薄手のものに取り替える。そうすればランプの光量が増して文字がしっかり読めるからだ。翌朝早くに仕事があろうが関係ない。読み終えるまで後ろ髪をグイグイ引かれ続ける。そんな強い作家にはなかなか出会えないし、人工知能がどんなに進化したって彼らには絶対マネできないと思う。

『成熟スイッチ』も強い本だった。読み終わったその週に会った友達全員に「おもしろいよー!」と挨拶もそこそこに早口で切り出したくらい好きなエッセイだ。一体何がこんなに私を前のめりにさせるのだろう。

シャープでリズミカルで美しい文章だから? もちろんそれが最初の理由だ。だって林真理子さんだもの。もう誰が見たってわかる一級品。私はふたつめの理由をここで説明したい。

頭の奥で「そうなのかも」と薄々予感していた事実を、この本は語っている。

年をとって、後輩に成熟の素晴らしさを教えてくれる人と、老いの醜さを見せつける人がいます。若い頃には、それほど違いがなかったかもしれない人たちが、歳月を経ると、まるで別世界の住人のように振り分けられていきます。成熟にも格差が生じてくるのです。

ここを読んでギクッとなるのは私だけじゃないはず。あこがれの先輩は大勢いるけれど、そうじゃなくて視界に入らない人もたぶん存在する。

では成熟はどういう状態なのか。

私の中で「成熟の完成型」として真っ先に思い浮かぶのが、二〇二一年十一月に九十九歳で亡くなった瀬戸内寂聴先生です。人間は成熟しきると、大抵のことはどうでもよくなってくる。寂聴先生のように、いろんな人を受け入れ、いろんなことを許してあげるということは成熟の証(あかし)だと思います。

ああ、すてきだ。このあとに続くエピソードがまたおもしろい。自分が今までいろんな先輩にしてもらったことと重ねながら読んだ。

この本は「あなたも成熟したいでしょう?」とささやく。少なくとも私はそのメッセージを受け取って「ハイそうです!」とページをめくった。人に囲まれ、相手をニコニコと大切にできる人になりたい。何年先なんだろう。

大人になるに従って、年を取ってちょっと丸くなった程度じゃ成熟なんてしないことに気がついてしまって、焦(あせ)っていたのもある。お人好しとも違う気がするし、単純なレシピではなさそうだ、どこから手をつけたらいいのだろう。どうやったら変われるのだろう。そんな頼りない私の心にきれいに収まる本だった。

私はまったく人から頼りにされていない

たとえばこんな文章に私はホッとする。

二十代三十代でやったことがバカだったなあと身に染みてわかってくるのが四十代前後だと思います。
三十代の半ばぐらいから私はあることに気がつき始めていました。
「私はまったく人から頼りにされていない」
その事実は日を追うごとに大きくのしかかってきて、
「いいかげん、頼りにされないことに飽きた」
という心境にもなっていきました。
(中略)
具体的に私が焦りを感じていたのは、文学賞の選考委員になれなかったこと。当時ライバルだと言われた人たちが次々と小説誌の新人賞の選考委員になっていく一方で、私にはなかなかお声がかからなかったのです。
そこで私が決めたことは、作家としてちゃんと仕事をしていこうという至極真っ当なことでした。

直木賞やいろんな文学賞の選考委員を務めて日本大学の理事長でもある林真理子さんにこんな時期があったのか。さらに時代をさかのぼると、もっとヒリヒリしたエピソードがある。とても勇気づけられた。『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなった頃、男性から異常に叩かれていたことについての回想だ。

どうしてここまで憎まれるんだろうと理解できなかったのですが、ある時、筑紫哲也さんにこんなことを言われました。
「『あんたたち何よ!』と男性にわかりやすく歯向かってくる女性のことを、実は男性は嫌いではない。ハヤシさんは捉えどころがないから、嫌われるんじゃないの」
男性と戦おうとするわけでもなく、ムキになるわけでもなく、普通にヘラヘラと接してくるし、敵か味方かワケがわからないから嫌われる、というのです。
理由はともかく、あの時代に男性から異常に嫌われていたことは、私がフェミニズム的にも戦ってきたという印象に一役買っているのかもしれません。
経験上、男性は女性をある程度のレベルまでは叩きません。叩くどころか、庇護してくれます。叩き始めるのは、その女性が思いのほか頭角をあらわしてきたり、はっきりと自分の敵となるレベルにまで達してからです。そのいじめ方は尋常ではなく、つらいですが、頭ひとつ抜きん出るとまた違った景色が見えてくるはずです。

「つらい」と負の感情や過去の失敗を書いてくれると私はとても安心する。そしてそれだけじゃ絶対に終わらないのが林真理子さんの真骨頂だ。俯瞰(ふかん)して、あたらしい自分を見つけていく。まっすぐ明るくて強い。

おしゃれは自分のためだけじゃない

今のうちに教えてもらえてよかったなと思う大人の世界もこの本は見せてくれる。私の目下のあこがれであり、おっかなびっくりの対象でもある「ワイン」の項を紹介したい。自分の心がけひとつで身の回りは変わるのだなとよくわかる。

会食におけるワインというのは、人の賢さや謙虚さ、セコさや卑しさまでを露呈させてしまう、恐ろしい魔物です。
(中略)
手痛い経験のある方も多いと思いますが、それなりのレストランに行くと、ワイン代というのは相当な威圧感をもってお会計に影響してきます。

覚えがあります。ではもし高級なお店でご馳走してもらうなら、どんなふうに選べばいいのだろう。

支払ってくれる側の人が「ボルドーでもなんでも好きなのを選んでください」と言った時に、「これ、飲みたかったんだ!」と飛びついてしまう人がいる。
ご馳走してくれるお金持ちの懐はそれぐらいでは痛みませんが、品性と人間性をその場にいる皆に見られていることを忘れてはなりません。
私はご馳走してもらう時のワイン選びでは、
「山梨のワイン大使をやっているので、山梨のワインをお願いします」
と言うようにしています。山梨のワインなら高くても一万円台ですみますし、ちゃんと故郷の山梨も立てられるからです。

その場にいる人みんなが楽しくなるチョイスだ。この章ではワイン選びと一緒に大切な「おしゃれ」についても教わった。

ところで、高級店に招待してもらったら、出来るだけおしゃれをして行くことも、招いてくれた人とお店への礼儀だと思います。
「今日は嬉しくて、こんな格好して来ちゃいました!」
と着飾ってくれた方が、招待した方も嬉しいのは当然でしょう。

その日をどんな気持ちで迎えているかを相手に伝えるよいチャンスなんですよね、おしゃれって。

悪口のテクニック

ピリッと辛味の効いたエピソードも林真理子さんの本の魅力だ。たとえば「話術のスパイス」である大人の「悪口」は、こんな書き出しから始まる。

私はかねてより「酒席で悪口を言わない人は信用ならない」と言ってきました。ただし断っておきたいのは、私の言う「悪口」とは「ちょっと毒のある噂話」です。ストレートすぎる悪口は下品ですし、場をしらけさせてしまうだけ。年をとってネガティブなことを言いすぎると人間性を疑われます。

そう!  おもしろくて知的でいたずらな大人はたいてい悪口が上手(うま)い。寒くなくて、余裕があって、くすくす笑える。なんだか健康的なのだ。では林真理子さん流の会話の毒はというと……。

会話で盛り込む毒の入れ方にも工夫が必要です。ある女優さんがこう言いました。
「私、Aさんと林真理子さんて、ずっと同じ人かと思ってたー」
当時、Aさんはとても売れている作家でした。そこで私はまず、
「私、あんなに下手じゃありません」
そしてすかさず、
「私、あんなに売れてません」
と付け加えるのです。「あんなに下手じゃない」で毒が入り、少し緊張が走りますが、「あんなに売れてない」と言い足すことで毒が薄まり、プラスマイナスゼロになるわけです。

この軽快なアップダウンが楽しい。そういえば大人同士の楽しいおしゃべりって立体的だ。

一人でいることを恐れずに済む人間

紹介し始めたらキリがないくらい林真理子さんの魅力が並ぶ本なのだが、最後にあとひとつだけ。本屋の娘として育った作家が、若い人に向けて語る「読書」について。

「いっぱい本を読んだからって、立派な大人になって、いい会社に入れるとは限らない。でも、本を読むと、大人になった時に一人でいることを恐れずに済む人間になれます」
若い人は一人でいることを恐れ、もっぱらスマホで「つながり」を求めますが、読書の習慣があれば、一人でもカッコよく見えるし、退屈もしません。
微力かもしれません。それでも本屋の娘として、一人の作家として、これからも読書の素晴らしさを若い人に伝えられるよう努めたいと思います。

こちらの孤独を見透かしてドキッとさせ、すかさず「一人でもカッコよく見える」を添えるチャーミングさがとても好きだ。実際、私は林真理子さんの本を読むと、自分の退屈さから逃げ出せる。だから大人になっても後先考えずに夜通し読んじゃうのか。

成熟した人になるためのスイッチを求めて手探りしている人に「ここだよ」と手を添えてくれるような本だ。いろんなところにスイッチは隠されている。そして、私の周りにいるすてきな大人のこういうところが私は好きだったんだ、と答え合わせをしながら読んで、とても幸せだった。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。

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