いじめの末に自殺した少年の遺書
いつも4人の人(名前が出せれなくてスミマせん。)にお金をとられていました。そして、今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても…。だから…。また、みんなといっしょに幸せに、くらしたいです。しくしく!
あと、とられるお金のたんいが1ケタ多いと思います。これが僕にとって、とてもつらいものでした。これがなければ、いつまでも幸せで生きていけたのにと思います。
僕からお金をとっていた人たちを責めないで下さい。
僕が素直に差し出してしまったからいけないのです。
ノンフィクションとフィクションの間で
第1部は、月刊『現代』に連載された7回の内容を挟みながら、当時の取材状況が描かれる。型破りでアマノジャクな記者・小林は、混乱、怒号、狂騒、沈黙、悲しみが飛び交う西尾市で、取材を1年間続ける。いじめのあらましは、ほぼこの第1部で明らかになるが、それはあくまで表層であって、清人君が遺書に残した思いの深層にはたどり着かない。
第2部で、小林は取材で築いた生徒や教師、教育委員会などとの関係を繋ぎつつ、足利事件(1990年、栃木県足利市で4歳女児が行方不明となり、他殺体で発見された事件。この事件で菅谷利和氏が逮捕されて有罪が確定するが、2009年の再審で無実が確定し釈放される)に関わる。さらに鹿児島県知覧市で「死んできさまらをのろってやる」「おれが死ねば、いじめはかいけつする」という遺書を残して自殺した中学3年生の事件や、1997年の酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件を取材する。
そして第3部。清人君の自殺から6年以上経った2001年、小林は再取材を始める。成人したいじめの加害者、関係した生徒、傍観者たち……。清人君の自殺が、彼ら自身にもたらした影響や変化を聞き取っていく。第1部ではすくい上げられなかった生徒たちの思い、新たな事実を含めて、清人君がどういう経緯でいじめられるようになり、自殺に追い込まれたのか、高い解像度で記される。
いつも心配をかけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きして下さい。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん、昔から迷惑をかけてスミマせん。寛人、ワガママばかりいっちゃダメだよ。また、あえるといいですね。
最後に、お父さんの財布がなくなったといっていたけれど、2回目は、本当に知りません。
see you again
第4部において小林は、清人君の死という癒えることのない傷を抱えたままの家族に、あらためて取材を行う。
本書は、実際に1994年に起きたいじめによる自殺を取材し、長く関わったルポライター小林篤氏によるものだ。しかし、本書はあくまで物語(フィクション)であるとプロローグに記されている。
なぜノンフィクションにしなかったかといえば、関係者のプライバシーを公表することは、筆者の本意でも、目的でもないからだ。
いじめの深層のその先へ
だからといって、いじめがなくなった訳ではない。1994年当時はシンプルに学校内外での「暴力」が主流であったのに対し、現在はSNSでの無視、悪口レベルから誹謗中傷まで、現場と手段を変え、より広範囲にカジュアルに行われている。「いじめはなくならない」という悲観的前提は、学校も家庭も受け入れざるをえない状況だ。
では、そもそもいじめとはなんなのか? 小林は、精神科医の中井久夫が記した『アリアドネからの糸』というエッセイから、多くの知見を得る。
子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家族や社会の中で権力を持てないだけ、いっそう権力に飢えている。子どもが家族の中で権利を制限され、権力を振るわれていることが大きければ大きいほど、子どもの飢えは増大する。
いじめ側の手口を観察していると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。
清人君の場合、同じ部活の同級生や、ツッパリやヤンキー流の美学を持っていた上級生の存在が、その暴走を止める役割を担うはずだったし、その機会もあった。しかし、食い止められなかった。また学校の先生も、不適格者だったわけではない。指導力が足りなかった、踏み込めなかった、忙しかった。理由はさまざまあるが、先生は学校という組織を円滑に回すことが優先事項なのだ。だから閉塞する。すべてが明るみに出たときに「いじめに気づかなかった」で突き通し、残された生徒を守るためだと口をつぐみ、学校側に不都合な記録を改竄(かいざん)するのも、そのせいだ。
気づかなかった。
タイミングが悪かった。
ボタンの掛け違い。
悪い空気が醸成されていた。
いじめが発覚したとき、こんな“とおりいっぺん”の説明が繰り返される。そして並のノンフィクションであれば、そこで本を締めくくるだろう。しかし小林は、「なんだこりゃ?」と自分が抱いた遺書への感想に忠実に、それが「明らかにできないこと(=書けないこと)」であっても構わず、深層に近づこうとする。
清人君という人格は、どういう環境や教育、信条により作られたのか?
そしてなぜ清人は、死を選択するに至ったか?
それを、清人君の死に最も傷ついた父や母、兄弟や祖母たちから手がかりを得ようとする。清人君の死から10年経っても癒やされることなく、ずっと血を流し続けているような人に対して、問いかける小林は正直恐ろしかったのではないか? どこまで触れていいのか、滴(したた)り落ちる血の量を見極めつつ小林は問い続ける。そこから立ち現れる清人君の像に、読者は胸が締め付けられる思いをするはずだ。
「問題の答えのヒントを教えるのが得意です」
読み終えて、改めて装幀を見る。これは夕焼けなのか、朝焼けなのか、猛烈に知りたくなった。清人君が自殺した夕方の風景なのか、それともこれから朝の光が差し込むのか? 朝の光であれば良いのにと思う。