教室から教壇が消えたのはいつのことだろうか。教師の権威の象徴、「上から目線」の押しつけ教育、そんな議論があったのだろうと予想されるが、いまは机の間を巡回しながら生徒を「見守る」机間巡視(きかんじゅんし)が主流になっているという。
教師をやっている友人からそんな話を聞かされ感心したものだが、いま時代はそれどころではないらしい。先生たちの過酷な仕事環境で、教師そのものの「立ち位置」が根底から揺らいでいるようなのである。
中学教員の日常を題材にした本書は、漫画仕立てで読みやすく楽しい。だが、そこに描かれている内容は深刻、教育社会学の権威である監修者のもと、教育現場の「苦境」がひしひしと伝わってくる。
教員、あるいは教師とは、生徒の勉強を教える指導者のこと。多くの人はそんなイメージを持っている。
だが、話はそう単純ではない。
◯生徒の名簿づくり
◯転校生など、生徒数増減時の机椅子の設置
◯給食時のチェック
◯部活の指導(大会での審判員なども含む)
◯夏休み、各種行事などのしおりの作成(原稿、製本、大量コピーなど)
◯地域のお祭り時、夜の見回り
◯給食費、教材費などの会計業務
◯学校の備品管理、整理整頓、など
教員の仕事は多い。各学科ごとの受け持ち授業以外に、ざっと挙げただけでも以上のような仕事がある。
もちろんこの他に、生徒との日記の交換や声掛け、保護者からの相談やクレーム対応など、「生活や風紀」の指導者として、生徒たちとのキメの細かい指導が求められる。
いや、たいへんだ。
われわれの記憶にある先生の姿は、授業時間か、せいぜいが部活の前半ぐらいまでの「滞在イメージ」だ。だが、冗談じゃない。残業の深夜帰宅は年中行事。部活指導などで休日出勤はあたりまえ。イベントなどの早朝出勤には、(自費で)学校の近所に宿泊する苦労さえある。
はたして、教師の仕事の「責任範囲」はどこまでなのか。
本書のなかでも、そのことが疑問視される。学校運営に関わるさまざま業務、雑務のすべてを教員がまかなうべきものなのだろうか。たしかに、教師ではない事務職員もいる。だが、現在の制度では各学校にひとり。本文では、最低でも各学年にひとりは必要と増員を訴える。
「魅力ある仕事なのに、倒れる教員や心の病になる教員があとを絶たないのはなぜ?」
これは帯に書かれたコピーである。
平日は残業の深夜帰宅、生徒指導のために朝の出勤も早く、週末は部活動の面倒で休みなし。子育てをしながら家庭を持つ先生方も多いけれど、「部活離婚」などという物騒な話も聞く。何よりも「教員が生徒たちと向き合えないのが最大のリスク」と監修者は語る。
今、世間では盛んに「働き方改革」が求められている。
でもそれは、わかりやすい一般企業、なかでも体力のある大企業だけではなく、全業種にわたってゆとりある充実した働き方ができるように改革が進められるべきだと思う。
働くときの「いい環境」ってなんだ?
自分が見つけ出したその職業の「やりがい」を肌で感じながら、余裕のあるかたちで、自己の能力を最大限に発揮し、大きな成果を生む。それに付随し、じゅうぶんな給料をもらい充実した生活を営む。これこそが理想だ。
まずは本書で、中学教員の置かれた現状を知ってほしい。先生方の日々の苦労、職場での機微、教育への情熱が、読みやすい漫画のなかにいっぱいつまっている。
本文にこんな一節がある。
ベテランの先生は「良い先生にならなくていい。普通の先生になろう」と言います。「良い先生になろうとすると、かならず破綻するよ」「無理なことは無理だと言え」とアドバイスされます。(中略)大切なのは、それぞれを認め、受け入れたうえで、自分はこう考える、と生徒と同じフィールドで、ともに一生懸命になることでしょう。先生は「先に生きている」だけ。ひとりの人間として、そのままの姿でいられる「普通の先生」が、本当に「良い先生」なのかもしれません。
まさに教壇のなくなった現在の学校の理想形。それが叶うのであれば、改革はどんどん進めるべきだ。
これから先、教員は学校においてどんな存在になっていくのか。また、周囲の人たちや行政はそれをどのようにサポートしていかなければならないのか。
ふと、自分の何十年もの前の学校生活や「お気に入りの先生」の顔が目に浮かぶ、いい本だった。
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。