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2025.07.14

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都への憧れと田舎への郷愁──憧れと反発のはざまで育まれた列島文化史

「都会と田舎」という対立構図めいた図式で、この国の文化史を語るとき、何が浮かび上がってくるのか? 本書はそんなテーマで書かれた興味深い1冊である。著者は日本近世史、地方史を専門とする歴史学者の塚本学(1927ー2013)。本書の原本が平凡社から刊行されたのは1991年だが、その内容は2025年の今読んでも、いや今だからなおのこと考えさせる内容である。

歴史のなかで、都市と田舎は「先進」と「後進」、または「文明」と「未開」、あるいは学問や娯楽が集中する場所としない場所といった抽象的・具体的イメージを育んでいった。著者は多彩な文献をもとにその変遷を辿(たど)りながら、決して単純な二項対立に収まらない両者の相互作用、さまざまな影響を解き明かしていく。そのなかで著者は下記のような独自の分析で日本近代史を捉えており、本書はその歴史観を証明する1冊ともいえる。
地方文化の発展の道は、一八世紀後半からの一世紀ほどの時期には、かなり明るい前途をもっていたと、ここでは考えた。近代の学芸に触れたときに、これを取り込んでいくだけの力をもてなかったことが、わたくしたちの先祖とこれまでの世代との悲劇だった。
各章には「都市の論理」「反都市文明」「国家という単位」「民衆知と文字文化」といったタイトルが冠され、取り上げられる時代、場所、地域のスケールや格差を表すモチーフも多岐にわたる。特に江戸時代前後、徳川幕府によって都(みやこ)が京都から江戸に移され、徐々にそのイメージを固めていく過程は、この時代を中心に研究してきた著者ならではのディテールが冴える。なお、本書には「みやこ」という言葉の語源や漢字の出所についても、詳しく語られていて面白い。

たとえば江戸時代初期に描かれた仮名草子『竹斎』は、京都の貧乏医者・竹斎が「いなか」に下って生活を立て直そうとするという物語だが、京都人の目からは辺境と見られていた時代の「花のお江戸」への冷淡な評価と、真の「みやこ」への京都人の愛着がありありと描かれているという。
主人公は最初からいなかへ行くことを明らかにしているにもかかわらず、この本の半分以上は、京都での見聞に費やされる。つまり全体としては京都から東海道を経て江戸に至る見聞記の構成に違いないのだが、分量でいえばその三分の二近くを、京都市内の見聞記が占めるのである。(中略)いなかへ下ることにした主人公は、こうした京都文化への惜別の情を断ち切れなかった。そして、江戸での記述には、これに対応するような遊びの場面がまったくない。作者は江戸の繁華を讃えるかのような文で最後を結びながら、実は京都の都市文化に絶大な誇りを抱き、「花のお江戸」を新興のいなか町としてとらえているのである。
だが、日本全体の支配者となった幕府を中心に、「いなか」から出発した江戸のイメージは大きく変えられていく。その過程も興味深い。
京都も江戸も、諸国の物資が集まり、田舎にはない各種の文物がゆたかにみられる土地であった。それは、多くの田舎人にとって魅力になった。この点では両者の差は基本的にない。先進の地という位置を両者は諸国に対してもつことができた。
ただ、京都に対して、これをこえる都という意識をもった都市として出現したのが江戸であった。都市江戸はその開設早々から、あずまの都を称しただけでなく、天下を支配する将軍家の居所として、こここそが都であるという感覚をもった。
のちの明治政府も、ある意味ではその政策を踏襲したと言え、彼らが打倒した江戸幕府よりもさらに強権的な「中央」イメージを築き上げていった。その構図は、将来的には東京への一極集中傾向を招き、この本が書かれた1991年から現在もあまり変わっていないように思える。
東京は江戸の位置を継いだが、京都の「都」の移転でもあった。天皇と「みやび」とを東京に移した新政府の施策は、東京に、全国の人民を教化する拠点という意味合いをもたせた。天皇は最高の教権も手中に集約して、みずから道徳の体現者となった。その天皇の居所であり、将軍家政府よりはるかに強力に学校と軍隊とを通じて国民教育を展開した政府の拠点が東京であった。
旧幕時代の悪習を強調し、人民の頑迷・未開を指摘して、その習俗をかえるという欲求を強くもった政府は、欧米の「文明」の全国への流布をその手段とした。その際に、東京こそが「文明」の窓口の役を担わされた。
明治政府の優越意識は、教化というかたちで沖縄・北海道などに達し、長じて植民地政策に結びつく。欧米列強と張り合うなかで「先進・後進」思考をさらに強めたのは、宿命的なこととはいえ、なんとも心苦しくなる(オーストラリアのアボリジニ政策なども思い出される)。そういった政策を、地方在住民を含む多くの国民が思想ごと受け入れていたという分析は辛辣だが、1927年に九州で生まれ育った著者も、幼いころにそんな時代の残り香を感じていたかもしれない。
方言は矯正されねばならぬものとされ、独自の王国の歴史と伝統をもった琉球文化に対して、沖縄県政下でのそのきびしさは沖縄出身者が一番「標準語」を話せるといわれるほどで、琉球文化を根底から滅ぼそうとした。国家形成に至らなかったアイヌ社会では、事態はもっときびしかったにちがいない。日本帝国は、台湾島さらに朝鮮半島を植民地として支配し、ここでも固有の文化伝統を否定する皇民化政策を強行した。住民の屈辱と反感がはげしいものであったことは当然であるが、沖縄県民とアイヌ文化の継承者以外の各地住民が、ここに地方文化の個性を圧殺していく動きとの共通性を意識したとみるのはむずかしい。普遍的な世界に対する個性的なものの主張を日本という単位でしかできないというすがたができあがると、日本国家の一体性の強調とその拡大こそが、自分たちの個性的地位の向上であるかのような意識がひとびとを捉えた。
長﨑健吾による本書「解説」によると、著者は青年期に、民俗学の大家・柳田國男に大きな影響を受けたという。しかし、あるときから柳田は、地域ごとに異なる文化の多様性を掘り下げることに関心を持たなくなったと(その政治的振る舞いも含めて)本書では批判する。多様性を重視する現代において、これまた興味深い見解と言えよう。
そして柳田は、日本民俗学の確立を一身に担う自負ともあいまって、日本という単位での考察に力を集中するようになった。農政学者として画一的な農政に反対し、山地民や被差別民など日本文化の多様性に着目していた当初の姿勢とは違って、日本文化が基底のところで一体のものであることを前提にして、これを探ることにその関心が向けられていった。
(中略)
郷土研究として民俗学に接したひとびとにとって、これは裏切られた感を与えるものであった。
本書後半では、「都」が「地方」を意識した事象の数々にもフォーカスする。権力者が支配対象として「民草」の実相を知る必要以外にも、医学や自然科学(本草学)などの研究分野において、田舎の人々が生活のなかで採り入れてきた「民衆知」が広く求められた面もあった。
本草学も救荒書も、自然観察を不可欠の基礎とし、自然観察は、民衆知に学ぶことなしにはできなかった。
本草学者たちは、ひとがめったに訪れない山間僻地にも旅して、山野の動植物に目を向けた。道案内があり、調査者はその協力によって採集の場所を知るだけでなく、草木の名前をきくことも多かった。
幕府はそれらを国民の生活維持のための知識としてストックし、診療所の開設や薬草栽培の事業などにフィードバックさせていった。著者が言う「地方文化の発展の道」がそこにはあったと、本書は説く。

だが、間もなく歴史は大きな転換点を迎え、「明るい前途」はいつしか失われていく……その過程は本書を読んで確かめていただきたいが、一度は「近いところまで行った」道だからこそ、改めて学べるところは多い。地方文化の重視、都市と田舎の協調といった現在進行形のテーマを考えるうえで、今こそ読んでおきたい1冊だ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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