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2025.06.20

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天皇、政治家、国民……板挟みとなって煩悶してきた宮内庁長官、歴代10人の奮闘記

皇室に関するニュースを耳にするたび、「宮内庁」の存在を意識する。とはいえ、私たちの生活に直結する組織ではなく、その実情を知る機会は多くない。

本書によれば宮内庁では現在、約940名の職員が国家公務員として働いている。内閣府の下に置かれた、内閣総理大臣が管理する行政機関であり、職員の業務は皇室に関するあらゆる事象にわたっている。本書に収録された組織図を眺めると、「侍従職」「式部職」「書陵部」といった歴史を感じさせる部局名だけでなく、「御料(ごりょう)牧場」「陵墓課」「宮殿管理官」など、見慣れない役職名もあり、職務の幅広さがうかがい知れる。
そんな組織を束ねるのが、宮内庁長官だ。旧憲法の下では「宮内大臣」と称された役職だが、戦前において天皇と密接な関係にあったのは、むしろ内大臣や侍従長だったそうだ。特に後者は、天皇の公私を支える側近であったという。戦後に制定された日本国憲法において、天皇は政治的機能を失い国民統合の象徴となり、「宮内大臣」は「宮内庁長官」として天皇を支える役職となった。
昭和の亡国の歴史をくりかえさないためにも、天皇の政治利用は絶対に阻止しなければならない。ある特定の政治勢力に利用されていると国民が受け止めれば、国民統合の象徴としての信頼と権威は瓦解し、天皇制の存続も危うくなる。
そのための「盾」として、重要な役割を担うことになったのがオモテを仕切る宮内庁長官である。宮内庁は内閣の下にある官庁だが、天皇を政治的、恣意的に利用としようとする動きがあれば、内閣といえどもその指示に抵抗しなければならない。ある局面では政府から超然とする必要があり、その気概が求められる。宮内庁長官は難しい職務である。
そう語る著者は、かつて全国紙の記者として、皇室や歴史問題などの分野を担当し、多くの著書を手掛けてきた。その取材力は高く評価され、2006年度には新聞協会賞を、2022年度には日本記者クラブ賞を受賞している。2024年4月に退職したのちはジャーナリストとして文筆活動を行う中で、十数年来の付き合いがある本書の担当者から声をかけられたことが、今回の執筆につながったという。著者いわく、宮内庁長官に焦点を当てた本は過去になく、だからこそ、「この視点から象徴天皇を描いてみればおもしろいのではないか」と考えたそうだ。

そうして本書は、天皇や皇室にまつわるテーマや出来事ごとに、全6章を通じて時の宮内庁長官の知られざる奮闘や苦悩を浮き彫りにしていく。時代とともに打ち寄せる難題に、彼らが天皇の意向を汲みつつ、いかに政治や世間と対峙し、調整してきたかを記すことで、象徴天皇制の形成過程や、そのいびつさ、そして長官職が持つ「盾」としての役目とゆらぎがつまびらかになっている。

ちなみに歴代10人の宮内庁長官のうち、自身の仕事について在任中に発信する者はいなかったと、著者は指摘する。初代の田島道治(たじまみちじ)と3代目の富田朝彦(とみたともひこ)などは、没後に書き残したものが発見され、世に発表されたものの、歴代最長の25年という年数を務めた2代目の宇佐美毅(うさみたけし)については残された資料が極端に少なく、著者は難しい取材と過去の取材経験を元に、本書を構成したそうだ。だからこそ、本書が出た意義はより大きいともいえる。

ほかに、リアルタイムでは知り得なかった情報に多く触れられる点も挙げておきたい。たとえば第五章では、現在は上皇となった明仁天皇の生前退位に至るまでの経緯が描かれている。昭和天皇が崩御した時はまだ幼かった私も、この代替わりは日々ニュースを眺めていた。にもかかわらず、当時は知ることのなかった過程や事情が次々と登場する。特に天皇陵の簡素化検討についてのくだりは驚かされた。
天皇の火葬は十七世紀初めの後陽成(ごようぜい)天皇が最後で、以後はすべて土葬されてきた。陵も幕末以後は国威発揚の意味も含んで巨大化していた。葬儀のありかたの見直しは、天皇の制度の大きな改革でもあった。
このような改革が長官はじめ宮内庁側から発案できるはずもなく、明仁天皇、美智子皇后の考えだった。
そもそも昭和天皇が土葬されていたことも初めて知った上に、土葬から火葬に変えることが「大きな改革」とされたことにもびっくりした。何より、それが当人たちから発案されなければできなかったという事実も盲点だった。おそらく、同じような事柄はまだまだあるのだろう。皇室の人々と宮内庁長官の苦労を、また一つ垣間見た気がした。

レビュアー

田中香織

元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。

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