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2025.06.12

レビュー

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なぜ生き物は変わっていくのか。進化の謎を解き明かす旅の終わりに見たものは?

“調律者”とは何か? 多種多様な種の進化を導き、その形質を予定どおりに整え、あるいは環境に合わせて変容させる、見えない力はこの世に存在するのか? それはもしかして “神”と呼ばれる存在ではないのか?

……そんな巨大な謎に、科学的視点から迫っていく壮大なサイエンスミステリーが本書である。著者は『歌うカタツムリ 進化とらせんの物語』(岩波科学ライブラリー)や『ダーウィンの呪い』(講談社現代新書)などの著書がある、進化生物学と生態学を専門とする理学博士。350ページにも届くなかなかのボリュームだが、硬軟取り混ぜた巧みな筆致で、ページを繰る手を止まらなくさせる1冊である。
探し求める「進化のパーツ」は、大進化と小進化、一般性と特殊性、そしてそれらの空隙を埋める色々な時代、長さ、大きさの進化の断片だ。旅の最後に、集めた「進化のパーツ」で、迷宮の隅に潜み進化を調律している不思議な存在にまつわる謎を解こうと思う。
冒頭の「はじめに」の章で、著者は本書のコンセプトを“旅”と表現する。その言葉はさまざまな意味を持つ。ひとつは、生物の進化にまつわる謎を解き明かそうとする科学史の長大かつ紆余曲折に満ちた旅。またひとつは、著者が現在の進化学者となる道程を自伝的に語った人生の旅路の記録。そして、フィールドワークを主とする研究者である著者が世界各地で繰り広げた冒険譚。どれも無類に面白い。
サメを横目に、生温(なまぬる)い泥水の中を進む。不気味な浅瀬をなんとか泳ぎきり、岸に辿り着いた。真っ赤な泥の上を這うように上陸する。そこで私が最初に目にした物は、腐乱したヤギの死体だった。足元を見ると、ドッグフードのような無数のヤギの糞が散らばっている。集積した糞が、赤い浜辺にいくつもの紫色の帯を作っていた。
このように専門書とは思えない、怪奇ムードたっぷりの冒険小説めいた描写もありつつ、やはり専門書とは思えないユーモアに溢れた筆致でも笑わせてくれる。宮田珠己のエッセイにも似た軽妙な味わいとでも言おうか。若き日の著者が、大学院入試を前に、たまたま古生物学の道に進むことになった経緯を描いた場面もそのひとつ。
すると教員は、初対面の私を部屋に迎え入れ、椅子に座るよう勧めた。そしてテーブルを挟んで私の正面に座り、ふうとタバコの煙を吹きつつ横目で私を見ると、さっそく説明を始めた。
「うちでは動物を対象に、生物学としての古生物学をやっている」
は? 動物? 古生物?
卓上には貝殻や化石がいくつも並んでいる。棚に目をやると、置かれているのは海産動物の液浸標本だった。そこで私は初めて部屋を間違えたことに気が付いた。うっかり化石を研究する古生物学の研究室に来てしまったのだ。誰この人。
さらに、著者は漫画や映画や小説などのポップカルチャーにも明るく、『葬送のフリーレン』『指輪物語』『バスカヴィル家の犬』といったタイトルを繰り出し、楽しくわかりやすい例え話を織り交ぜながらテンポよく話を進めていく。興味はあっても難しそうだと思って手に取るのを怯んでいる人は安心されたし。

何より、研究対象への愛と情熱に溢れた文章が快い。著者は大学院生となって間もなく、小笠原諸島で未知の陸貝(カタツムリ)の化石群を発見する。この場面でも、当時の感動と興奮が生き生きと伝わってくる。添えられた写真にうつるモンスターマイマイの容貌も確かにすごい。
この大きさと重量感。平たく巻いた貝の化石――アンモナイトだ。アンモナイトの化石を発掘してしまったのだ。
いやまて、アンモナイトは中生代の海洋生物だ。それがなぜこんなところに。
怪訝
(けげん)に思いつつ、その円盤状の化石を裏返してみた。大量の粘土が付着している。こびりついている粘土を慎重に取り除く。すると、ぽっかりと大きな唇のような形の殻口が現れた。口の縁が異様に分厚く広がっている。その付け根に、広い臍孔が見える。
カタツムリだ。それも特大サイズの、化け物のようなカタツムリだ。
それまでの人生で指折りの度肝を抜かれた瞬間であった。
図3-1 発見した「モンスターマイマイ」
図3-1 発見した「モンスターマイマイ」
この本では、生物の進化の謎を集約したような主役級スターとして、カタツムリがフィーチャーされる。確かにこんなに研究しがいのある生き物はいない、と読み進めるほどに実感は増していく。「表現型可塑性」と呼ばれる現象や、「戦士型」と「籠城型」、「樹上性」と「地上性」などのわかれ方、生息地による進化の違いなども非常に興味深い。別種だと思ったら見た目が違うだけの同種だったり、DNA解析してみたら同系統ではなく別系統だった例なども出てきて、一筋縄ではいかない種の多様性を実感させる。
ではなぜヒラマキガイ科の多くは、殻の形と系統が一致しないのだろう。実はこれらは、遺伝的に同一の個体でも、異なる生育環境で育つと、異なる形の殻を作るケースが多いのである。これは「表現型可塑性」と呼ばれる現象である。カワコザラもその例だ。形が容易に変わるので外来種と在来種の区別が難しい一方、育ちが違うだけの個体を別種と勘違いしてしまう。
ほかにも、タニシ、トンボ、モアやキウイといった多彩なスター(生物)たちが登場するが、ひときわ強烈な個性派キャラとして印象に残るのが、ニュージーランドに生息する巨大昆虫ウェタ。映画『ロード・オブ・ザ・リング』や、ハリウッド作品の特殊効果などを手がける映像制作会社WETAワークショップの社名の由来ともなった虫らしいが、こんな威容の持ち主だとは初めて知った。確かに一目見ただけで「進化とは……?」と考えさせるような風貌である。このモンスター昆虫と著者が、ニュージーランドの知人宅の庭(というより森)でばったり出くわすエピソードも楽しい。
ふとライトで照らされた眼前の樹木の幹に、大きな黒い物の影が浮かび上がった。一瞬、気味の悪さにぞっとしたが、すぐにそれが巨大な昆虫だとわかった。大きなバッタのようだが翅(はね)のないスズメバチのようでもある。頭部が異様に大きく、太く長い大顎があってクワガタムシのようにも見える。なんだこれは?
後肢に長い棘があり、危ないので容器を被せて捕まえた。ヤバすぎる虫である。遭難の可能性を忘れるほどの異形だ。

(中略)
何食わぬ顔で捕獲した奇怪な昆虫を見せると、「ウェタだ」という。樹上性の仲間で、オークランド・ツリー・ウェタという種類の雄であった。
図8-2 オークランド・ツリー・ウェタ                            (Hemideina thoracica)
図8-2 オークランド・ツリー・ウェタ                            (Hemideina thoracica)
フィールドワークを主とする研究者の宿命として、時には生命の危機さえ感じるほどの不思議な現象にも出会う。北硫黄島での学術調査に参加した著者は、登山には慣れていたはずなのに登攀中に崖から落ちそうになったり、いないはずの人影を見たり、宮﨑駿アニメの悪役みたいな目に遭ったりと、さまざまな怪異に見舞われる。そして、そういう場所には古代の世界を思わせる自然環境が広がっており、多種多様な動植物がほかでは見られない生態を形成していたりする。ほとんど諸星大二郎の漫画の世界だ。
図10-2 左:オガサワラベッコウが多産する北硫黄島高地(三万坪)の森林。右:形の異なるオガサワラベッコウ(上:背が高く肋があり角張る、中:背が高く丸い、下:扁平で丸い)
図10-2 左:オガサワラベッコウが多産する北硫黄島高地(三万坪)の森林。右:形の異なるオガサワラベッコウ(上:背が高く肋があり角張る、中:背が高く丸い、下:扁平で丸い)
すこぶる面白い「冒険読み物」でもありつつ、現役の研究者として、そして次世代の学生たちを指導する教育者としての提言を散りばめた専門書としても、本書は読ませる。
知に流派は不要。知を受け継ぎ、改良と創造を加え、着想と挑戦と成果を楽しむ相手は、あらゆる世界に開かれていると思う。
しかしそれにもかかわらず、学生はあなたが業績を挙げるための使い捨てのソルジャーではないという意識、それから次世代に知を伝え、次世代がその上に自分の知らない新しい何かを築くことに、自分が何らかの喜びを見出す――この教育と研究の伝統と、その歴史の継承を大切にする考えは、グールドの主義を全面的に支持したいと思う。
著者は、かつて自身に多大な影響を与えた古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドをはじめ、多くの先達が残してきた功績(功罪)を振り返りながら、科学の徒として前進してきた人々の軌跡を記す。そして、後続の学生たちが次々と野心的な研究に取り組み、生物学を更新していく姿も歓迎すべきものとして捉える。若い世代を激励するような、感動的なメッセージをいくつか引用しておこう。
“誰もやってないから”以上に素敵な動機などなかったのである。それに気づいて実行してみせるのが才能なのだ。
大切なのは研究の中身。「通すこと」「取得すること」を研究の目的にすることくらいつまらない話はない。私は、他者が決めた既存の評価基準でしか、自分の研究や仕事の意義を語れない人とは上手くいかないが、そんなこと知ったことかとばかり、人がやらないことを着想してチャレンジする人を無条件に支持するし尊敬する。楽しそうだし。
本書は、あくなき探求心のバトンリレーを継ぐものとして、自身はどうあるべきか?という著者の所信表明でもある。そして、何かを探求せずにいられないというヒトの性質も、ひょっとしたら“調律者”の仕業なのではないか?とすら読んでいるうちに思わせる。漫画『チ。 ―地球の運動について―』も彷彿させる、壮大な“知の旅”の醍醐味を味わわせてくれるエキサイティングな1冊だ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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