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2025.05.30

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省庁の中の省庁、内務省はいかに生まれ、いかに衰退していったのか。巨大官庁の実像

1873(明治6)年に創設され、1947(昭和22)年に廃止されるまで、内務省は日本の「省庁の中の省庁」として君臨していた。その規模と権限はとてつもなく大きく、現在の警察庁・消防庁・総務省・国土交通省・厚生労働省などの役割を兼ねており、さらに都道府県知事の省内からの任命・派遣、選挙運営、神社行政、植民地行政なども含まれていた。その巨大さゆえに、これまで全体像をつかむことが難しかった組織の全容を、多角的に明らかにしたのが本書である。550ページ超という大部だが、「良くも悪くも」近代日本を形作った組織の真の姿を知りたい読者には、必携の研究書といえる。

本書は大きく分けて、序論/通史編/テーマ編に分かれており、通史編では内務省の誕生から終焉、その後の影響までが語られ、テーマ編では同省の各部署が担った様々な役割・沿革・組織図、功罪や性格なども語られる。そのほか各章の末尾にはコラムが設けられており、細部へのさらなる興味をかき立てる構成になっている。

とにかく多岐にわたる内容なので、「内務省研究会」として集った複数の著者がテーマ別に執筆。この研究会は、2001年に若手歴史研究者を中心に立ち上げた勉強会がもとになったグループだという。ゆえに、章ごとに読み応えのあるページが最後まで続く。まずは序論から順を追って読み進めてもよし、ピンポイントで興味のあるところから読み始めるもよし、味わい方は読者の自由だ。

内務省といえば、悪名高き特別高等警察(特高)や、容赦なき選挙干渉や思想統制、あるいは軍部と連携して戦時体制を固めていった「権力の走狗」的なマイナスイメージで捉えられることが多い。だが、決してそれだけではなかった……という多様な面も明らかにするのが本書の目的のひとつである。

ほんの少し前まで封建社会だった国で、国民の生活に密着した行政組織として果たした役割は大きく、また現在の社会制度に影響を与えた部分も少なくない。戦時中も、軍部と全面的に結託していたわけではなく、時には拮抗しながら施策を進めていた様子もうかがえる。

一方で、政権交代と内相の人選に伴う、あまりにも政局に左右されすぎる人事は、日本のあらゆる組織が抱える宿痾の根源を見るようでもある。だからといって現在の地方自治・民選首長システムが万全かというと……という問題提起も本書には含まれている。

本書で特に印象深いのが、通史編のラストを飾る第四章「内務省の衰退とその後――戦中~戦後期」だ。ここに、本書成立のモチベーションが凝縮されているとも言える。
結果的に、近代日本の行政及び政治にとって圧倒的な存在感を示していた内務省は、消え去った後も多くの余韻を現在に至るまで残しているのである。しかしながら、これまで「戦後の」内務省については解体の過程を描くだけで済まされがちであった。戦前と戦後(近代と現代)が切り離せると考える世間の傾向は研究の世界でもあったかもしれない。戦後日本の行政・政治が研究対象として扱われる場合にも、戦後民主化によって日本が変化したという評価を受け入れ、戦後のみを見て事足れりとする傾向があったことは否めないであろう。
(中略)
それに対して、わかりにくい存在である戦時・戦後の内務省について、改めて検討をし直すことの意義を問うのが本章にとっての大きな課題である。単に内務省という存在を越えて、近代・現代の日本の行政政治の在り方を視野に入れるのであれば、内務省の余韻や亡霊について考える必要が発生するのはむしろ当然の帰結であろう。
近代日本の形成期にあたる戦前、そして制度は成熟しながらもイレギュラーな体制を敷かざるを得なかった戦中の社会状況を、行政面から知ることができるのも本書の魅力である。たとえば、テーマ編の第六章「救貧・慈善から『社会事業』へ――社会政策」では、社会福祉という発想自体が未完成だった時代において、内務省がそうした社会事業にどのように取り組んだか(あるいは取り組もうとしなかったか)、やがていかにして厚生省が誕生したか(1938年に設置)という経緯が興味深く語られる。

生活困難者の救護については、1874年に制定された「恤救規則(じゅっきゅうきそく)」という法令が長らく基準となっていた(それに代わる「救護法」が施行されたのは1932年)。詳しい内容は本書を読んでほしいが、そのルールは冷徹で弱者への配慮に欠け、「非常に単純、かつ受給資格を厳しく制限する」ものだった。さながら現代の自己責任論のルーツにも見える。
初代の救護課長であり、社会課長、社会局長を歴任した田子一民は、一九二二年の著書『社会事業』のなかで、恤救規則について、「いかに、自立自営主義の経済学が、我が先輩の頭脳を支配し、又当時の人々には積極的に共存、共栄する思想の欠けて居たかが窺われる」と述べている。つまり、貧困は貧者の自身の責任であるとする「自立自営主義」にもとづく恤救規則では、もはや不十分だと述べ、その改正の必要性を強く示唆したのである。
テーマ編ではこのほか、神社宗教行政、警察行政、衛生行政、土木行政、帝国議会との関係、軍部とのつながり、防災行政、港湾行政といった、「行政のデパート」とでも呼びたい内務省の多彩なはたらきを知ることができる。これらのディテールから当時の社会のリアルを知ることは、現代の「あるべき社会」を考えることにもつながるだろう。

第八章「国民統合をめぐる攻防――内務省と軍部」は、やはり読ませる。いわゆる「赤紙」=臨時召集令状の送付も、内務省末端にあたる市町村兵事係の仕事だった。そういった業務も粛々とこなしつつ、地方行政権を軍部に奪われることには徹底的に抵抗し続けたという(国民や制度を守るためなのか、権威や縄張りへの執着なのか判別しがたい部分もあるが)。

1945年6月、内務省は軍部発案の「国民義勇隊」と「地方総監府」の管理・設置を担う。前者は、内地に残った国民を戦闘員として本土決戦の場に駆り出すための組織。後者は、各地の連絡が戦闘により途絶した場合、孤立した地方がそれぞれに中央同様の権限で行政をおこなうための機関である。いよいよ末期的状況の産物といえるが、内務省はこれらが軍の管理下に置かれることも頑なに拒んだという。一方で、このころには「(内務省は)傍でみていて暇になった」という証言もあり、2年後の組織解体を予感させるような、不気味かつ投げやりな“息切れ”にも見える。
内務省は、敗色が濃くなってきた一九四三年以降、各警察署を通じて民心調査を実施しており、「暇になった」ころには本土決戦を前に、国民の不安、不満、恐怖が限界に達していることを認識していた(警視庁情報課「警視庁より見たる社会情勢一般」)。そして、義勇隊についても「軍が国民を道連れにしようとしている。けしからん」(元次官灘尾弘吉(なだおひろきち)回想)とつぶやいていた。(中略)それにもかかわらず、国民義勇隊では国民を死に追いやるための法を起案し、地方総監府では内務省の力の源泉であった本省と地方を結ぶ線、国民とつながる回路が消えてしまった。以後、本省が「暇になった」ということは、事実上、仕事が少なくなったという意味と同時に、牧民官意識というプライドの両方を、本省を起点に手放しはじめたといえるかもしれない。終戦時の軍部クーデターを警戒していた警保局だけは多忙であったが、苛烈な空襲と本土決戦を前に内務省はなすすべがなかった。
また、「内務」省と言いながら、その行政範囲は海を隔てた台湾、朝鮮、満州といった外地――当時の植民地にまで及んでいた。本書終盤のコラム「内務省と植民地」「北海道と沖縄」は、ページ数的に物足りないぐらい知っておくべき内容だが、各ブロックの末尾には参考文献も詳しく書かれているので、より知識を深めたい読者はそちらも参考にしてもらいたい。最初は本の厚みにおののくかもしれないが、読み進めるほどに「もっと知りたい」と思わせる1冊である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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