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2025.05.19

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奴隷、黒人ロイヤリスト、帝国臣民、再捕獲奴隷のリアル! 黒いイギリス人の歴史

「黒いイギリス人」ないし「黒人のイギリス人」とはBlack Britishの訳語で、『オックスフォード英語辞典』によると「黒人、ないし非白人の人種的起源を持つイギリス人」である。

甘い地獄

イギリス人といえば、まずもって「白系イギリス人」を思い浮かべる。しかし、黒いイギリス人の歴史は長い。まだイギリスが「ブリタニア」と呼ばれるローマ帝国の一属州だった2世紀から3世紀には、アフリカ系ローマ人がイギリス諸島に到着していたことが分かっている。イギリス人をアングロ・サクソン人だとすると、その時期は200~300年も早い。ただ、イギリスの歴史の中で、「黒いイギリス人」が存在感を示すのは、やはり奴隷貿易が始まる近代以降のことである。
大西洋奴隷貿易はイギリス、アメリカ、アフリカを結びつける三角貿易である。ここでのアメリカとはジャマイカを中心とするカリブ海諸島も含まれる「アメリカ世界」である。アメリカ黒人は、カリブ海諸島の黒人とともに、この三角形のアフリカからアメリカへの一辺から生み出された。こうした意味では、アメリカ黒人を作り出した主役の一人はイギリスであったともいえる。
本書は、この大西洋奴隷貿易の成立から、現代に至るまでの黒いイギリス人の歴史を詳らかにしていく。そして、そこから立ち上がるのは、極めて野蛮で傲慢なイギリス帝国の姿。英国王室まで乗っかって、やりたい放題。金と野望にまみれた、真っ黒な歴史だ。

まずは16世紀、スペインやポルトガルが仕切っていた西アフリカの奴隷貿易に(海賊行為で)切り込んで味をしめたイギリス人。17世紀には黒人奴隷を使い、カリブ海東端のバルバドス島で砂糖の生産を始め、それはジャマイカへと広がっていく。これで莫大な富を得た砂糖プランテーション経営者は、従僕として黒人奴隷を引き連れてイギリス本土へと上陸していく……。そんな状況を踏まえ、国王チャールズ二世が奴隷貿易に参入するために設立したのが、王立アフリカ会社だ。圧倒的な権限を持つこの会社が市場を独占すると、これに属さない独立系交易商の対立が激しくなるのだが、このときの独立系交易商の主張が振るっている。
彼らは、どこでも誰とでも何でも交易する権利は、すべてのイングランド人に与えられた自由の一つであり、アフリカ人を奴隷化する権利は「イングランド人の自由」の基本要件であると訴えた。

夢の国シエラレオネの挫折

黒いイギリス人の歴史は、その当事者が記録を残している訳ではない。記録を文字として残しているのは、もっぱら彼らを支配した“白いイギリス人”だ。奴隷を規定する法律、当時の新聞、書籍、そして逃亡奴隷の捕獲や返還を求める広告記事から黒いイギリス人がどう扱われたのかが明らかにされる。その視点は、一貫して「奴隷=資産」であるというところが生々しい。さらに黒いイギリス人は、アメリカの独立戦争や世界大戦で「自由」を餌に兵士として戦場に駆り出されては裏切られ、イギリス国内で貧民化していく。そして奴隷解放運動がわずかに進むや、忌むべきものを視界から取り除くように、彼らをアフリカへと送り返そうとする。そうして生まれたのが「シエラレオネ」という国である。もともとシエラレオネは、土地は痩せているわ、毎年豪雨に襲われるわ、とても人は住めるところではなかった。そこで死者の山を築きながら、解放奴隷たちが切り開いた国こそがシエラレオネなのだ。

これは余談だが、新しい「007」シリーズの7代目ボンド役に、一時イドリス・エルバという黒人俳優がキャスティングされるのではないかと噂された(彼の一番有名な役は、マーベル映画の「マイティ・ソー」シリーズで地球とアスガルドの架け橋を守っていたヘイムダル役だ)。彼はシエラレオネ出身の父とガーナ出身の母のもと、ロンドンで生まれた黒いイギリス人だ。そんな彼が、もし国王陛下のために戦うボンド役を得たら……と想像すると、英国史を踏まえたとびきり複雑で皮肉なプロットができそうだけど、そのバックストーリーは007シリーズには荷が重たすぎる。それほどにシエラレオネの歴史は、イギリスのどす黒い歴史と一心同体だ。

話を戻す。白いイギリス人の、黒いイギリス人に対する意識を支えた大きな要素が「科学的人種主義」だ。人種多元論と骨相学、はたまた頭蓋計測学なるものに基づく疑似科学の横行。「ニグロは知的にヨーロッパ人より劣る」「ヨーロッパ文明はニグロの要求や性格に適合しない」といったことが公然と主張された。
科学的人種主義は、イングリッシュ・ジェントルマンの人種的優越性の感覚を強化した。専門職にあり教育を受けた階級が、人種に関して最終的に前提としたのは、自分たちが文明人であること、イングランドで自分たちは啓蒙されたインテリであるとの自己認識であった。
世界とイングランドの大衆の愚かしさと野蛮さを見下し、上に立つ有能な啓蒙された少数者としての自己意識を満足させる方法として、彼らが求めたのは、地位と人種のプライドであった。
こうした黒いイギリス人の歴史は、そのどれもが近現代の世界を映す鏡のようだ。第二次世界大戦以降のすべての人種や民族への弾圧、差別、虐殺。それらはすべて、こうしたモノの見方のうえに行われ、驚くほど進化していない。現在進行中のトランプの強硬な移民政策も、Xのタイムラインやまとめサイトに連日流れてくる誹謗中傷の言説も、このクソのような古典的な意識とは無関係ではない。

本書は、白いイギリス人が残した記録から、黒いイギリス人の歴史を描き出そうとしている。それとは逆に、もし、あなたが60年代以降のイギリス音楽シーンの知識があれば、逆に黒いイギリス人たちが発したメッセージを本書に補完しながら読めるはずだ(そうすると、より一層面白く読める)。ビートルズやローリング・ストーンズがアメリカの黒人音楽の影響下にあったことは有名な話だし、なにより奴隷貿易の重要拠点であったジャマイカから登場したボブ・マーリーは「目を覚ませ、立ち上がれ」と歌い、英国生まれの黒いイギリス人を団結させた。その姿に共感し、不況と経済的貧困に喘いでいた白人の若者が起こしたのがパンク・ムーブメントである。現在、誰もが暗い政治の時代を予感するなかで、次に来たる反動のムーブメントがどんなものになるのか? それを知るためにも、この黒いイギリス人史は最良のテキストである。

レビュアー

嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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