イギリス貴族っておもしろい!
踊るように読める1冊だ。エリザベス女王の在位70周年をお祝いする式典が続く2022年に発売された講談社学術文庫の『イギリス貴族』は、かつて日本の港町で『秘密の花園』のお屋敷の描写ばかりしつこく読んで育ち、今はNetflixのドラマ『ザ・クラウン』をぐるぐると繰り返し観ている私にぴったりの本だ。イギリス貴族にはなんともいえない魅力がある。大きなお屋敷に暮らしながらも普段の装いは飾り気がない。男女問わず馬や狩猟に熱心。そして何やら私にはわからない「お仕事」をなさっているようだ。実際のところ、どんな価値観で生きる人たちなのだろう。
本書はこんな書き出しから始まる。
今から十数年前の夏、イギリスへ着いた直後に起きたある事件のことは、まだ記憶の隅にありありと残っている。
当時激しいゲリラ活動を展開していたカトリック系過激派組織のアイルランド共和国軍、略称IRAが、アイルランド沖を愛艇で航行中のマウントバッテン卿なる人物を爆弾によって暗殺し、連日マスコミが大々的な報道を展開するとともに、多くのイギリス国民が深い悲しみにうち沈んでいたのである。(中略)
マウントバッテン卿は貴族でありながら、軍人としても超一流だったという。
イギリス王室を描く『ザ・クラウン』を観たことのある人ならば「ああ、あのおじさまですね」と思い出すはずだ。ノルマンディー上陸作戦の初期計画を指揮し、最後のインド総督で、参謀総長も経験したマウントバッテン卿。彼はフィリップ王配の伯父でもある。全部が猛烈だ。日本の貴族の印象とはちがう。そして著者の小林章夫先生もそんなイギリスの貴族の不思議な姿に興味を持つのだ。
本書はこうしたイギリス貴族の姿を、その豊かな生活ぶりや時代の荒波との闘いを含めて、できるだけわかりやすく、そしてなおかつできることなら面白く描こうという、むこうみずな試みの産物と言えるかもしれない。
そう、とても面白い本だった。どの章も文章が弾んでいる。貴族の起源、たくさんの使用人、めくるめく広大な領地、そして現代の貴族が切り拓く活路、楽しい話がくるくると続く。夜通し聞いていたい愉快なおしゃべりのよう。「参考文献」の項でニコニコしてしまう本なんて初めてだ(愛情と尊敬がつまった素敵なパートなので絶対読んでほしい)。すっかり小林先生のファンになってしまった。
貴族の使用人の「つらい仕事」
本書に登場する豊かな貴族の生活なかでも特に強烈だったエピソードを紹介したい。貴族といえば日々使用人に囲まれて暮らしているイメージだったが、実態は私の想像をはるかに超えていた。
たとえば一八世紀頃の文献を読むと、上は執事から下は洗濯女にいたるまで、三〇種類ぐらいの段階に使用人が分類されており、その中には御主人様の手紙を届けるだけが仕事というのまである(通信手段が限られていた時代だから、これはこれで結構忙しかった)。
仕事の切り分け方が細かすぎる。そして小林先生による「これはこれで結構忙しかった」という補足がキュートだ。確かに電話もメールもない時代ですものね。強烈な仕事はまだまだ続く。このお手紙係よりも大変かつ謎の使用人が「フットマン」だ。小林先生も「恐らく一番つらい仕事」と評する驚愕の仕事内容は……、
これはその名の通り、お殿様が馬車でお出かけのときに、常に駆け足で伴走した人間で、ロンドンから田舎のカントリー・ハウスへ帰るときも馬車のそばを走っていた。一八世紀ぐらいまでの馬車はそれほどのスピードが出なかったとはいえ、なんともつらい勤務である。
想像するだけで足がつりそうになる。つらい。しかもこのハードなお話はここで終わらない。
あるときなどは、貴族同士が互いのフットマンの健脚を自慢して譲らなかったことから競争となり、ゴールした途端に息絶えたものもいたというから、命がけの仕事と言えるかもしれない。
人様の仕事にケチをつけるのも無粋だけど、なんて過酷な仕事なのだろう。このハードワーカーことフットマンは「第五章 金と暇が生み出したもの」で再登場する。かつてフットマンにマラソン競技をさせる代わりに自らが走った大変レアな貴族がいたそうで、これはこれで強烈だ。
ノブレス・オブリージュによる職業選択
イギリス貴族に染み渡る「ノブレス・オブリージュ」も本書は楽しく紹介してくれる。言葉だけを聞くとツンと気高くかっこいいものを想像してしまうが、実際はとても質実剛健なのだ。色で例(たと)えるならピカピカの金色ではなく、なめらかな鈍色。本書を読むと「高貴」や「優雅」の輪郭がとてもクリアになる。
では、「高貴な身分に生まれついた者にはそれに伴う義務がある」とは具体的にどういうことなのか? まず、恵まれた環境について。イギリス貴族の豊かさはたとえばこんなスケールで語られる。
莫大な財産に恵まれた貴族は、生活になんら不自由はないし、額に汗して働く必要もなかった。(中略)ある意味では金と無縁だったと言えるかもしれないのである。
ここでふと思い出すのは、イギリスのさる貴族のお坊ちゃまの言葉だ。近頃では買物でも現金によって払うのではなく、小切手やクレジット・カードが大いに幅を利かせている。(中略)ごく限られた金持ちだけが持てるプラチナ・カードがあるが、かの坊ちゃまによれば貴族にはこんなものは不要で、名前と顔がその代用をするというのである。
恐れ入りましたー! 広大な土地を所有し、そこからの収益で暮らしている貴族にとって、お金はありすぎるもの。だからガツガツとした金儲けや商売にいそしむなんてできないし、むしろ軽蔑の対象。その軽蔑は彼らの生き方やパブリック・スクールでの教育、さらには職業選択にまで反映される。
長男の場合は跡取りだからこれは別として、二男、三男となると、自らの手で生計を立てる必要が出てくる。その際に、たとえば株式仲買人とか保険業、銀行業などは避けられる傾向が強かった(過去形で述べたのは、近頃の財政事情ではそうも言っていられなくなったからである)。やはり金銭とのつながりが強く感じられるからだろう。
ここでもカッコ書きが生々しくて面白い。じゃあどんな職業が当時の貴族にとって望ましいものだったのかは、読んでたしかめてほしい。ツンと気高いだけじゃない、大切な仕事ばかりだ。
そして、私たちが就く機会はなかなかないだろうなという貴族ならではの仕事もある。ノブレス・オブリージュと強く結びついた仕事の代表格である「治安判事」だ。かつては町の治安を司るお奉行様のような役目だったが、今も昔もなんと無給! 「金と暇のある人間でなければ、とてもやっていられないものなのである」との小林先生の言葉になんども頷いた。でも、本書ではこんな楽しい治安判事の実例も紹介される。
ちなみに筆者の友人の父上は、サマセットシャーの名門貴族だが、二〇年あまり治安判事を務めた経験があるそうだ。しかし、田舎で住民ものんびりと平和に暮らしているせいか、その間事件らしい事件は三度しかなく、一つは窃盗(銀の食器が被害にあった)、あとの二つは夫婦ゲンカによる傷害(どちらがケガをしたのか訊き忘れた)だったそうである。したがって、もっぱら結婚式の立会いばかりやっていたと笑っておられた。
“町の治安を無給で守る高貴な人”というと思わずバットマンを想像してしまうが、本物はじつに和(なご)やか。貴族って本当にいるのだなあと思わせるちょっとしたエピソードがどれもしみじみと楽しい本だ。
小林先生は、イギリス貴族と彼らをとりまく「金と暇のある人間でなければ、とてもやっていられないもの」を、ユーモアと優しい敬意を込めて描く。スポーツもその対象だ。そう、イギリス発祥のスポーツのなんと多いことか。「もともとあれはイギリスの貴族が始めたものなんだよ」と耳にしたことのあるボート、クリケット、競馬、狩猟はいかにして貴族社会で育まれたのか? これらがいかにイギリス貴族の性格にマッチしたスポーツなのかが軽快に語られる。まさか卓球も貴族のスポーツだったなんて!
かつての「金と暇のある人間」が近代化と戦争の波でどう変わっていったのかも、本書の大切なテーマだ。最後の「第六章 貴族の生き残り戦略」は、貴族が祖先から受け継いだ遺産をなんとかして守り(ときどき失い)、現代もたくましく生きる物語だ。とても読み応えがある。イギリス貴族は幻ではなく今もたしかに存在しているのだとよくわかる。
シンプルな好奇心とともに、ぜひ本書で繰り広げられる貴族の世界を覗いてほしい。桁違いのエピソードたちが出迎えてくれるはずだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。