「戦争の時代」前夜に書かれた本
私が『維新暗殺秘録』を発表したのは昭和五年五月のことで、当時の日本はけわしい世相を見せていた。それを裏づけるように、大正十年十一月四日には首相原敬が暗殺され、(中略)昭和期をむかえて普通選挙が実施されると無産政党の結成、共産党への弾圧が相次ぎ、財界の不況と社会の不安はひとしお深刻さを加えた。
しかし、世界恐慌の嵐は吹き荒れていました。第二次世界大戦はここから起こったといっても過言ではないでしょう。アメリカの失業率は23%を超えていましたし、3割以上に達している国もありました。日本もその嵐に巻き込まれています(昭和恐慌)。
不況対策としてたいへん有効なのは、昔も今も変わりません。戦争をすることです。なにしろ武器弾薬が湯水のように使われますから、モノが売れまくります。失業率も驚くほど低くなります。仕事がないなら兵隊になればいいのです。ただし、人口減(景気悪化の要因)と敗戦のリスクがかぎりなく大きいために、容易に手出しはできません。
このころ、「戦争の足音」は誰の耳にもあきらかに聞こえてきていました。
これはそのような時代に生まれた、暗殺をテーマとした本です。殺伐とした時代の空気は、本書のここかしこに表現されています。
歴史を語りつつ、歴史を表現した本
幕末の京都(天皇の御所があった)では暗殺が相次いでいました。ここに取り上げられた事件も、多くは京都を舞台としています。当時、国論は開国と攘夷(外国人排斥)に二分され、攘夷を旗印とした暗殺事件が後を絶ちませんでした。新撰組とは早い話が京都治安維持部隊ですが、そんなものを投入しなければならないほど、当時の京都には暗殺が横行していたのです。
とはいえ。
そう感じる人も多いことでしょう。
幕末の暗殺事件は二百数十件にのぼると言われており、とんでもなく多いことはまちがいありません。しかし、戊辰戦争(内戦)があった時代です。戊辰戦争の戦死者は八千を超えていますから、京都の暗殺事件なんかかわいいもんだと言わざるを得ません。さらにつけくわえるならば、明治に入ってからの内戦、西南戦争では1万3000を超す死者が出ています。
にもかかわらず、本書には明治になってからの事件をほとんど取り上げていません。本書を通読すると、元号が明治に変わると暗殺もおさまったのかとカンチガイしてしまいますが、こと要人暗殺にかぎれば、明治になってからの方がずっと多いのです。
大久保利通、森有礼、伊藤博文は暗殺されました。板垣退助や山縣有朋の暗殺未遂事件も起こっています。西郷隆盛は自決と伝えられていますが、ほんとにそうかという意見は当時からありました。
この本は幕末に焦点を当てた本だ、明治になってからの事件は対象外だ、という論は一応、通ります。しかし、幕末の大事件、孝明天皇(明治天皇のお父さん)の毒殺説にまったくふれず、名字帯刀もしてない目明かし(岡っ引き)の暗殺を述べるというのは、今の目から見るとずいぶんバランスを欠いているように思えます。
むしろ、「本書に述べられていないこと」に着目すべきでしょう。すると、昭和初期=戦前という時代が浮かび上がってきます。ひょっとすると、著者の意図のひとつはそこにあったのかもしれません。
本書は歴史について述べながら、その存在が歴史を表現しています。まさしく希有の本だと言えるでしょう。
坂本龍馬は英雄ではなかった
武田鉄矢さんはこの小説を読むことで、自身のグループに海援隊と名付けるほどファナティックな龍馬ファンとなりました。あなたの周囲にもそんな人があるのではないでしょうか。『竜馬がゆく』の人気はすさまじく、大河ドラマをふくめて幾度となくドラマ化されています。
もっとも、歴史にくわしい人の中には、「龍馬は大したことやっちゃいない」と語る人も多くあります。たとえば、大政奉還というアイデアは龍馬のものではありません。考え出したのは幕臣である勝海舟と大久保一翁です(このことは『竜馬がゆく』にも語られています)。龍馬は英国グラバー商会のスパイであり、言いなりになってただけだ、という否定できない陰謀論さえあります。
興味深いのは、本書には『竜馬がゆく』以前の坂本龍馬のあつかいが表現されていることです。
龍馬の暗殺は一緒に殺された中岡慎太郎と並列で語られています。いずれも土佐(高知県)出身ですから、同郷の著者にひいきがあったことは容易に想像がつきますが、それでも一節を与えられているにすぎません。いま同じ本をつくるなら、こうはならないでしょう。これもまた、本書の特徴と言えるかもしれません。
維新は暗殺をともなう
「桜田門外の変」ほど維新史に大きな衝動と影響を与えた事件はない。これは井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)が大老(たいろう)という絶大の要職にあって他をいれぬ専制ぶりを発揮していたとき、「暗殺」という手段によってたおれ、三百年近くつづいた幕藩体制および江戸幕府の没落を暗示したからである。
桜田門外の変は、井伊を除かねばならぬ、という強い意志によって決行されました。犯人となったのは水戸藩士(事件のときは脱藩している)を中心とするグループです。
彼らはまったく死を恐れてはいませんでした。自分たちは死刑になるだろう。そんな覚悟のもと犯行におよんだのです。
ただし、彼らのうちに井伊を殺してどうするかという具体的なヴィジョンがあったわけではありません。殺すということが目的だったのです。
暗殺は多く、「その後」を考えず行われます。実行者は、あいつ邪魔だからやっちまおうとか、○○はけしからんとか、凶暴な心持ちを抱いて犯行におよびますが、その後どうしようとは考えていません。当たり前のことで、自分は死刑になると考えている人間が、「その後」を考えるはずはないのです。
「なにかが起こりそうだ」というのが、当時の国民の心おびやかす不安であった。昭和維新の声を聞きながら、私は人に勧められて『維新暗殺秘録』を民友社から出版したのだが、まもなく首相浜口雄幸が狙撃され、翌年には満州事変が突発、(昭和)七年には団琢磨や井上準之助などの財界の巨人が凶刃に消え、同年「五・一五事件」が発生して首相犬養毅が殺された。十一年には「二・二六事件」で内大臣斎藤実、蔵相高橋是清、陸軍教育総監総渡辺錠太郎らが凶弾にたおれた。それから支那事変、太平洋戦争へ日本の悲劇の歴史が積みかさねられていったのである。
(引用者注:年月日など適宜略)
しかし、二・二六事件はそうではありませんでした。事件は、1500名ちかい軍隊を動員した、首都の重要拠点を占拠するクーデター計画でした。目的は要人暗殺ではなく政府転覆だったのです。暗殺はその過程で行われたにすぎません。
結果として、クーデターは失敗に終わりました。しかし、この事件が強く戦争を呼び寄せることになります。
小説ばかりでなく優れた歴史論考を数多く発表した作家・松本清張は次のような意味のことを語っています。
「二・二六事件以降、軍部は絶えず事件の再発をちらつかせ、政・財・言論界を脅迫した。すべては軍の思うとおりになった。軍は軍需産業(重工業)を抱きかかえ、戦争へ向かって歩み出した」
二・二六事件の首謀者である青年将校はみな、昭和維新を標榜していました。
維新が叫ばれるとき、かならず血なまぐさい事件が起こります。
維新とは旧システムの疲弊とその刷新を求めた言葉です。同時に、流血を表す言葉でもあります。
ことは暗殺事件の多発にとどまることはありません。明治維新が戊辰戦争をともない、昭和維新に日中戦争/太平洋戦争がともなったように、やがて戦争に行き着きます。歴史がそれを証明しています。
本書『維新暗殺秘録』は、ふたつの維新を語った、希有の書物であります。