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2025.04.04

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鉄、亜鉛……金属は体内で、いったい何をしているのか? その驚異のはたらきと機能!

人体にはわずかながらに金属成分が存在する。それらは「毒素」ではなく、基本的には生命活動を維持するための重要な要素としてはたらいている。なかでも最もポピュラーな存在は血液中の「鉄分」であろう。
鉄は、人の体内に4~6gが存在する。亜鉛の2倍以上、銅の60倍以上であり、金属元素のなかでは最大量を誇っている。体の中の鉄のほとんどはタンパク質と結合しており、その約65%がヘム鉄タンパク質として、酸素分子の運搬を担うヘモグロビン中に存在している。
本書は、一見イメージ的に隔たっているようにも思える「金属と生命」の密接な関係を記した1冊だ。薬学博士として長年のキャリアを誇る著者(1942年生まれ)は、これまでの発見のプロセス、最新の知見も交えて、現在わかっている事実と仮説を述べていく。

その文体は上品かつ丁寧だが、時には元素周期表がしっかり頭に入っていないと読めないくらい、ノーブレーキ・手加減なしの部分もある。すらすら読みやすいとは言えないかもしれないが、「知の奔流」に触れる醍醐味は確実にある。

まずは人体における元素濃度表をご覧いただこう。「こんなに多いのか」と驚く人もいるだろうし、微量・超微量の元素に記された必須性を示す記号にも興味を惹かれるのではないだろうか。
ついでに、微量元素の1日における必要量表も引用しよう。健康に気を遣う人、妊娠中などで体調管理に気を付けている人は、見ておきたい内容だ。
金属と生命のひそかな蜜月は、それこそ生命の起源や、進化のターニングポイント=カンブリア大爆発の時代にまでさかのぼる。プロローグには、「微量元素」をさす英語のふしぎな言い回しが取り上げられ、本書は言わばその言葉の意味を読者が大いに納得するまでの、大河ミステリー的な旅路でもある。
生体必須微量元素は、英語では「bio-essential trace elements」と表される。「trace」は「トレース(痕跡)」という意味なので、あまり科学的な表現には感じられないかもしれない。
しかし、この言葉は本来、写真が発明されて以降の「時間の痕跡をとどめるメディア(媒体物)」の代名詞として使われていた。写真は、絶え間なく流れていく時間の中のある特定の瞬間をとらえ、記録し、その痕跡――その瞬間の対象物の姿や形――を残すプロセスである。この用語が、写真から生物学に持ち込まれ、「trace elements」という表現が誕生した。
キーポイントとなるのは、約5億年前に起きたカンブリア大爆発。現在へとつながる多様性、複雑かつ神秘的な生体メカニズムを一挙に生み出した、地球生命の大変革である。その「trace(痕跡)」こそが微量元素の存在である、という説は刺激的だ。
この大事件が発生したころ、大陸の大移動や地球全体が氷で覆(おお)​われて凍りつく「全球凍結」などがあり、大陸運動や火山の噴火熱などによる岩石や土の溶解、あるいは氷の融解にともなって大量の岩石や土砂が海洋へと流れ込んだ可能性が考えられる。
その結果、当時の海水中にはあまり含まれていなかった多種多様な元素、特に金属元素が岩石や土砂とともに海洋に流入して溶けはじめ、それらが海洋中の植物や微生物を含むさまざまな生物の体内に取り込まれた可能性が考えられているのだ。
また、多くの生物にとってなくてはならない「酸素」は、もともと極めて強い毒性を兼ね備えたものであるという事実は、いまでは多くの人が知っているだろう。だが、この毒性を抑え込みながら生命維持に役立てるメカニズムを構築するにあたり、生命が「海洋に溶け込んでいた鉄、銅、亜鉛、マンガン、ニッケル、セレンなどの、さまざまな金属イオンや半金属元素」を動員したことを知る人はおそらく少ない。本書はその複雑かつ精緻なメカニズムも詳しく解き明かしていく。
もし地球に金属や金属イオンが存在していなかったなら、生物は効率的なエネルギー獲得方法を身につけることはできず、また酸素の毒性を回避することもできなかっただろう。この金属特有の性質は、生体成分の大部分を構成する有機物ではまかなうことができない。金属イオンを活用することでしか得ることのできない生体メカニズムの獲得こそが、地球上で生物が繁栄できた第一の理由であると考える所以(ゆえん)である。
さらに本書では、約38億年前に最初の生命が誕生したとき、そこに金属元素が介在していた可能性についても言及する。そのすべては解明されていないが、いつの日か革新的発見がなされたとき、そこにどんな意外な条件(元素の存在)があってもおかしくない、ということも示唆される。
ここに紹介したように、生命の“素”をつくる低分子化合物は、条件によっては海水中や熱水噴出孔付近で金属イオンを触媒として合成されることが、部分的に明らかになったと考えられる。しかし、生命の合成という段階にたどり着くには、まだまだ解決しなければならない多くの難問が待ち構えている。すなわち、細胞の合成、エネルギー産生系の成り立ち、生命の再生産(増殖や生殖)、栄養物質の取り込みと排泄、物質代謝や呼吸のしくみなどがいかにして誕生したのか――これらを解明するための、さらなるブレイクスルーとなる研究が必要であろう。
そして後半、本書は「微量元素の活用」というテーマに移行する。それは人類の「近代科学の発展」とも軌を一にするものだ。金属工学、原子力開発、医薬・医療の進化など、時代を経るごとに「金属=無機元素と人間」の関係性は深まり、多岐にわたっていった。

そのなかで著者は、1869年に「元素周期表」を発表したロシアの化学者ドミトリ・メンデレーエフに最大級の賛辞を贈る。近代科学のバイブルといえる1枚の表を生み出した科学者の才気とひらめきは、現代に生きる我々にとっても「essential(必要不可欠)」な「trace(痕跡)」となった。まさしく「微量元素(bio-essential trace elements)」を語る本書でフィーチャーするにふさわしい。多くの科学者に刺激と勇気を与え、この先も支え続けるだろうメンデレーエフの偉業を、熱く褒め称えずにいられない筆者の敬意にも胸打たれる。

また、近代科学が発展するずっと以前から、人類が金属や鉱物などの無機元素をごくわずかながら医療に役立ててきた歴史も語られる。古代メソポタミアや奈良時代の昔から、その薬効がすでに発見されていた事実は興味深い。
紀元前の古代メソポタミアの石版や、古代エジプトの医学について記された「エーベルス・パピルス」には、現代の知識からみて金、銀、銅、鉛、スズ、鉄、ヒ素やマグネシウムなどを含む鉱物、岩石、宝石が、病気の治療に用いられていたことが書かれている。
たとえば、水銀、マグネシウム、鉄を含む化合物を、それぞれ梅毒、胃腸障害、貧血の治療に用いたのだという。
生命と金属の関係には、まだまだ解明されていないことが多くある。その未来に、きっと我々の想像を覆すような発見が確実にあるだろうと思わせる、期待と刺激に満ちた1冊である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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