ただ、ひとつだけ、私には人に誇れることがある。それは、この詩は初投稿で、初入選を果たしたということ。生まれて初めて、商業誌上で活字になった、私の作品。無数の詩のなかからこの一篇を選んで下さったのが、ほかならぬ、やなせたかし先生であったということ。
何かが始まる予感がした。
何かとっても素敵なことが。
なお、本書は2015年刊行の『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』の文庫化。文庫判だけの解説、新たに書き下ろされた著者による掌篇小説も加えられている。
私は、やなせたかしという、類(たぐ)い稀(まれ)な才能に恵まれた、天性の詩人の書いた言葉に出会ったことによって、詩や童話や小説の持っている無限の力を知り、不可思議な魔力に心を奪われ、畏怖の念を抱きながらも、一歩でもいいから近づいていきたい、この手でつかまえてみたい、と、あこがれるようになり、それ以降、今日まで、言葉と文章に取り憑かれた人生を生きることになる。
やなせ先生は、生まれながらにして、詩人だった。
私は先生から、数え切れないほど多くの贈り物をいただいてきたけれど、その最たるものは「詩」だったと思っている。先生の「言葉」であり「声」であり「歌」である。言ってしまえば、先生の存在それ自体が詩であり、贈り物であった、ということなのかもしれない。
その才能がいかに抜きん出たものであったかを分析する著者の言葉は、熱烈なファン目線でもあり、言葉を操る同業者となった人ならではの評論でもある。これらの批評も大いに読ませるが、著者自身の記憶と体験とを結びついた「ほんとうの先生の姿」の描写も、すこぶる面白い。
たとえば、1981年の秋、著者が初めて「先生」と対面したときの場面。華やいだ気持ちが、カラフルなディテールとともに生き生きと描かれている。
やなせ先生は、ジーンズ姿だった。ブルージーンズに、茶色っぽいシャツ、グレイのジャンパーみたいな上着を合わせていた。
テーブルに近づいてきた私の姿を見つけると、
「やあ!」
と言って、手を挙げた。それだけでもう、私の心は興奮と高揚の乱気流である。
先生にお目にかかったときには、私はいつも、燃える太陽のような明るさと、まっ赤に流れる血潮のような情熱を感じていながらも、同時にそこにつきまとう、どこかひんやりした影のようなもの、最後の最後のところでは人を寄せつけない、冷たさのようなものを感じ取っていたように思う。だからこそ、先生に惹かれた。太陽の持っている深い影の部分に、私は吸い寄せられたのだ。
以下は『ぼくの詩と絵と人生と』所収の「戦場」という詩に添えられた著者の優れた“作家論”の一部である。ぜひ、詩の原文と併せて味わってほしい。
戦争も、先生の手にかかると、こんなにも美しい詩になる。美しくて、悲しい。シンプルな言葉に胸を突かれる。「なぜ ぼくらは 殺しあうのか」――。先生は、笑顔で人にパンを分け与えながら、胸の奥に、まるで海のような悲しみを抱きつづけた詩人だった。
戦争をはじめとする人間の暴力に、唯一、立ち向かえる手段としての優しさ。人間の根源的な悪に対抗できる武器としての、生きとし生けるものへの愛。この愛と優しさは、先生の全詩に宿る言霊であり、先生の仕事の在り方、お人柄そのものであり、アンパンマンにつながっていく血脈でもある。
先生の王国だった「詩とメルヘン」で、先生は王様兼国民として、十一個の仕事をひとりでこなしていた。
表紙の絵と一行フレーズ。編集前記。目次カット&寸評。詩の挿絵。豆カット。書き下ろしメルヘン。一こま漫画。エッセイ。絵日記。童謡。編集後記。
(中略)
これだけの仕事を毎月、三十年間にわたって、つづけてこられた先生は、超人としか言いようがない。しかも、このほかに、ご自身の詩集、アンソロジー詩集の編集、絵本の創作、アンパンマンの仕事などもなさっていたのだから。
無名の人だけではない。疲れた人、寂しい人、悲しい人を、微笑ませたい。人の心を喜ばせたい。何かしたい。人が喜ぶことを。
愛と献身。それが、先生の喜びだった。この「私のよろこび」もまた、「詩とメルヘン」の屋台骨だった。創刊号から、最終号までの三十年間、「詩とメルヘン」を終始、支えつづけていた。私も三十年間、支えられていた。「詩とメルヘン」は、無名だった私に手を差し伸べてくれた。小説家として無名の苦しみを味わっているときにも、この美しい雑誌は、私の心を慰めてくれた。「詩とメルヘン」は私の原点であり、今も、私の書く全作品の底を流れる川でありつづけている。
数ある印象的な場面のなかから、最後にひとつだけ引用したい。著者が渾身の思いで書き上げた小説が編集者たちに受け入れられず(それどころか不当な叱責まで浴びせられ)、作家として身を切るような痛みを抱えていたとき、晩年の「先生」もまた病魔に苦しめられていた。そんなときに彼のもとを訪ねた著者は、和やかな師弟の会話を楽しんだあと、ふとした「先生」の察しのいい言葉に、それまで保っていた平静を失ってしまう。
「大丈夫?」という問いに、答えを返せないままでいる私に、
「うん、まあ、元気ならいいんだけど。あ、ちょっと待ってて」
先生はそう言うと、廊下の先に姿を消した。靴を履き終え、先生がもどってくるのを待った。再び姿を現したとき、先生は大きめの紙袋を手にしていた。
「これ、よかったら、持っていく?」
差し出された紙袋のなかには、アンパンマンのぬいぐるみが入っていた。ばいきんまんと、ドキンちゃんも。
「ありがとうございます!」
笑みがこぼれた。
今春放送予定のNHK連続テレビ小説『あんぱん』では、やなせたかしとその妻・小松暢をモデルとした夫婦の物語が描かれるという。そして本書は、やなせたかしから「詩の心」を学んだ者として、文学だからこそできる表現にこだわった作品である。みずみずしく豊かな言葉たちを通して伝えられる、やなせたかしの天真爛漫な明るさと表裏一体のメランコリー、愛と献身、そして途方もない優しさを、はたしてドラマは表現することができるのか。そんな興味もかきたててくれる1冊だ。