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2025.03.31

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朝ドラ「あんぱん」のモデル、やなせたかしの愛と献身の人生を愛弟子が描く

ただ、ひとつだけ、私には人に誇れることがある。それは、この詩は初投稿で、初入選を果たしたということ。生まれて初めて、商業誌上で活字になった、私の作品。無数の詩のなかからこの一篇を選んで下さったのが、ほかならぬ、やなせたかし先生であったということ。
何かが始まる予感がした。
何かとっても素敵なことが。
『アンパンマン』の作者として日本でその名を知らない者はいない、やなせたかし。漫画家・絵本作家・詩人など、数多くの肩書を持つ彼は、1973年から2003年までの間、雑誌「詩とメルヘン」の編集長をつとめた。この雑誌に十代のころ出会い、23歳のときに初投稿し、のちに作家として世に出ることになる女性が、本書の著者である。「詩とメルヘン校の生徒」を自認する著者による「先生」の評伝には、我々が知る“やなせたかし像”とは異なるものをも含む、貴重なエピソードが満載だ。

なお、本書は2015年刊行の『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』の文庫化。文庫判だけの解説、新たに書き下ろされた著者による掌篇小説も加えられている。
私は、やなせたかしという、類(たぐ)い稀(まれ)な才能に恵まれた、天性の詩人の書いた言葉に出会ったことによって、詩や童話や小説の持っている無限の力を知り、不可思議な魔力に心を奪われ、畏怖の念を抱きながらも、一歩でもいいから近づいていきたい、この手でつかまえてみたい、と、あこがれるようになり、それ以降、今日まで、言葉と文章に取り憑かれた人生を生きることになる。
やなせ先生は、生まれながらにして、詩人だった。
ひとりの読者から第一線の作家へと成長した愛弟子が語る“やなせたかし像”は、とても興味深い。十代の多感な時期に彼の作品に触れ、大いに影響を受け、間近で交流を持った者だからこそ見えるディテールや深みが、そこにはある。著者は1990年代に渡米するが、それまでも、それ以降も、やなせたかしが2013年に死去するまで、親しい師弟関係を保ち続けた。
私は先生から、数え切れないほど多くの贈り物をいただいてきたけれど、その最たるものは「詩」だったと思っている。先生の「言葉」であり「声」であり「歌」である。言ってしまえば、先生の存在それ自体が詩であり、贈り物であった、ということなのかもしれない。
本書では詩をメインに、やなせ作品がふんだんに引用される。上記の著者の言葉が大いに納得できるほど、いま読んでもその素晴らしさはまったく色褪せていない。特に「ところで あなたは……?」のフレーズが毎回繰り返される、雑誌「詩とメルヘン」巻頭に記された「編集前記」の秀逸さにも、改めて感動してしまう。ありきたりな表現だが、まさに言葉の魔術師と呼ぶに相応しい。

その才能がいかに抜きん出たものであったかを分析する著者の言葉は、熱烈なファン目線でもあり、言葉を操る同業者となった人ならではの評論でもある。これらの批評も大いに読ませるが、著者自身の記憶と体験とを結びついた「ほんとうの先生の姿」の描写も、すこぶる面白い。

たとえば、1981年の秋、著者が初めて「先生」と対面したときの場面。華やいだ気持ちが、カラフルなディテールとともに生き生きと描かれている。
やなせ先生は、ジーンズ姿だった。ブルージーンズに、茶色っぽいシャツ、グレイのジャンパーみたいな上着を合わせていた。
テーブルに近づいてきた私の姿を見つけると、
「やあ!」
と言って、手を挙げた。それだけでもう、私の心は興奮と高揚の乱気流である。
その一方、著者は鋭い観察眼で、やなせたかしという作家に内在する「何か」を見つけずにはいられない。そして「先生」へのオマージュも交えながら、情熱的に言語化する。
先生にお目にかかったときには、私はいつも、燃える太陽のような明るさと、まっ赤に流れる血潮のような情熱を感じていながらも、同時にそこにつきまとう、どこかひんやりした影のようなもの、最後の最後のところでは人を寄せつけない、冷たさのようなものを感じ取っていたように思う。だからこそ、先生に惹かれた。太陽の持っている深い影の部分に、私は吸い寄せられたのだ。
本書では、やなせたかしの人生に深い爪痕を残した戦争体験、作家として味わった長き不遇の時代、明るさと背中合わせにあるダークサイドにも等しく迫る。それこそが、やなせ作品の「優しさ」をより力強くし、深みを与えているのだということが、この本を読めば実感できるだろう。

以下は『ぼくの詩と絵と人生と』所収の「戦場」という詩に添えられた著者の優れた“作家論”の一部である。ぜひ、詩の原文と併せて味わってほしい。
戦争も、先生の手にかかると、こんなにも美しい詩になる。美しくて、悲しい。シンプルな言葉に胸を突かれる。「なぜ ぼくらは 殺しあうのか」――。先生は、笑顔で人にパンを分け与えながら、胸の奥に、まるで海のような悲しみを抱きつづけた詩人だった。
そして、いまだに多くの読者に愛される絵本『やさしいライオン』(1975年刊)について、著者は「この絵本には、先生の優しさのすべてがこもっているように思える」と語る。
戦争をはじめとする人間の暴力に、唯一、立ち向かえる手段としての優しさ。人間の根源的な悪に対抗できる武器としての、生きとし生けるものへの愛。この愛と優しさは、先生の全詩に宿る言霊であり、先生の仕事の在り方、お人柄そのものであり、アンパンマンにつながっていく血脈でもある。
そんな「先生」が長年、心血を注いだ仕事が、雑誌「詩とメルヘン」だった。そこから育った“卒業生”である著者は、やなせたかしのライフワークだった同誌の意義、その存在の大きさを、本書で明らかにしていく。絵本や漫画などの功績でしか、やなせたかしを知らない人にとっては、新鮮な記述の連続だろう。
先生の王国だった「詩とメルヘン」で、先生は王様兼国民として、十一個の仕事をひとりでこなしていた。
表紙の絵と一行フレーズ。編集前記。目次カット&寸評。詩の挿絵。豆カット。書き下ろしメルヘン。一こま漫画。エッセイ。絵日記。童謡。編集後記。

(中略)
これだけの仕事を毎月、三十年間にわたって、つづけてこられた先生は、超人としか言いようがない。しかも、このほかに、ご自身の詩集、アンソロジー詩集の編集、絵本の創作、アンパンマンの仕事などもなさっていたのだから。
作者の有名無名を問わず、優れた詩を美しいイラストとともに掲載する誌面は、多くの読者を惹きつけた。現代人の傷つき疲弊した心に光を与える作品を届けること、そして巷に埋もれた才能にチャンスを与えること。それを同時に叶える場だった「詩とメルヘン」は、著者曰く「先生」の精神そのものを表すような雑誌であり、著者自身にとってもかけがえのない存在だった。
無名の人だけではない。疲れた人、寂しい人、悲しい人を、微笑ませたい。人の心を喜ばせたい。何かしたい。人が喜ぶことを。
愛と献身。それが、先生の喜びだった。この「私のよろこび」もまた、「詩とメルヘン」の屋台骨だった。創刊号から、最終号までの三十年間、「詩とメルヘン」を終始、支えつづけていた。私も三十年間、支えられていた。「詩とメルヘン」は、無名だった私に手を差し伸べてくれた。小説家として無名の苦しみを味わっているときにも、この美しい雑誌は、私の心を慰めてくれた。「詩とメルヘン」は私の原点であり、今も、私の書く全作品の底を流れる川でありつづけている。
「詩とメルヘン」と並走した「先生」、そして彼を師と仰いだ著者の物語は、ひとりの少女が大人の作家へと成長していく軌跡とも重なる。その道程には、かなり赤裸々で、生々しい告白もある。文庫版に寄せられた掌篇小説『シークレット・ラブ』は、その最たるものと言えよう。それは、常に表現者として読者の心揺さぶるものを模索し続け、長い苦闘を乗り越えて才能を爆発的に開花させた「先生」への、精いっぱいの返歌にも見える。

数ある印象的な場面のなかから、最後にひとつだけ引用したい。著者が渾身の思いで書き上げた小説が編集者たちに受け入れられず(それどころか不当な叱責まで浴びせられ)、作家として身を切るような痛みを抱えていたとき、晩年の「先生」もまた病魔に苦しめられていた。そんなときに彼のもとを訪ねた著者は、和やかな師弟の会話を楽しんだあと、ふとした「先生」の察しのいい言葉に、それまで保っていた平静を失ってしまう。
「大丈夫?」という問いに、答えを返せないままでいる私に、
「うん、まあ、元気ならいいんだけど。あ、ちょっと待ってて」
先生はそう言うと、廊下の先に姿を消した。靴を履き終え、先生がもどってくるのを待った。再び姿を現したとき、先生は大きめの紙袋を手にしていた。
「これ、よかったら、持っていく?」
差し出された紙袋のなかには、アンパンマンのぬいぐるみが入っていた。ばいきんまんと、ドキンちゃんも。
「ありがとうございます!」
笑みがこぼれた。
この、信じられないぐらい巨大な優しさ。いちばん心が弱っているときに、地上の人間すべてを温かい気持ちにさせるキャラクターたちのぬいぐるみを、その作者本人からとっさに手渡されるという場面に、ノックアウトされない読者はいないだろう。まさしく「こんなのでよければ」と、自らの頭の一部(から生み出されたもの)をちぎって差し出すような……。こんなときにも「先生」は、自分がアンパンマンの作者である自覚はほとんどなかったのかもしれない。この優しさのパワーに、「愛の人」やなせたかしの凄さを、改めて感じずにいられない。

今春放送予定のNHK連続テレビ小説『あんぱん』では、やなせたかしとその妻・小松暢をモデルとした夫婦の物語が描かれるという。そして本書は、やなせたかしから「詩の心」を学んだ者として、文学だからこそできる表現にこだわった作品である。みずみずしく豊かな言葉たちを通して伝えられる、やなせたかしの天真爛漫な明るさと表裏一体のメランコリー、愛と献身、そして途方もない優しさを、はたしてドラマは表現することができるのか。そんな興味もかきたててくれる1冊だ。

愛の人 やなせたかし

著 : 小手鞠 るい
イラスト : やなせ たかし

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レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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